ヒーローズ
終章 終わりなき終わり
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2
湖の周りの拓けた場所。そこには以前のような美しさは皆無だった。あちこちから立ち上がる炎。伐採された多くの木々。そこら中を走り回る動物達。湖にはヘビのような巨大な怪物がところせましと回遊している。
風雲は、碧之と煤利から少し離れたところにいた。
「お久しぶりですね、宮臥さぁん。いえ、救世主さま〜」
その節はどうも、と風雲は碧之に対し頭を下げる。真っ白の髪がふぁさりと下がる。
その風雲の行動に、煤利とセイヴァは驚いた顔で碧之を見た。碧之は重々しく呟く。
「なんで旅人のアンタがここにいんだ……」
恩人との思わぬ再会にも関わらず、碧之は敵意丸出しの目で風雲を睨みつけた。
「宮臥……もしかしてこの男が、私とはぐれたあなたを助けてくれたっていう人?」
煤利が風雲に視線を向けて、碧之に尋ねた。
「そうだ……なのに恩人のアンタがこの怪物が一緒にいるってことは……まさか、アンタが黒幕だったのか?」
見たところ風雲はセイヴァと敵対しているようだ。そしてカロン女王が言うことも鑑みると――風雲こそが真の黒幕である可能性が高い。
「う〜ん……ま、でもそうゆうことになりますかねぇ。ちなみにこのヘビみたいなモンスターはですねぇ、ワタシが創ったんですよぉ。名前はウロボロスちゃんって言いますぅ〜」
聞いてもいないのに風雲は嬉しそうに語り始めた。
「この子はね、ワタシが世界を越えるための装置に過ぎないんですよぉ。夢を阻もうとする者に対しての対抗手段。実力によって実力をねじ伏せる力の象徴。ウロボロスの名の通り、ワタシは永遠を手に入れるのですよぉ〜」
風雲は挑発するように体をくねらせる。すると湖の中の怪物、ウロボロスもそれに合わせるように蠢く。
「チィッ! クッソがァ! 貴様の妄想に付き合わされて堪るかよおおお!」
セイヴァは威勢良く唸ってはいるが、彼はもはや戦えるような状態とは言えなかった。恐らくウロボロスにやられたのだろう、神父のような黒いコートは引き裂かれ、体中の至るところから出血している。
「毒が全身に回った状態で何ができるの言うのですぅ負け犬ぅ」
風雲はそれだけ言うと、もはやセイヴァには興味がなくなったのか、彼の方には目もくれず、碧之にだけ語りかけるように話を続けた。
「見た目はちょっと不気味でサイズも困りものなんですがねぇ……だけどこういう時便利ですよね〜。邪魔者を排除してくれるぅ」
風雲はにこりと不気味に笑った。それを見た碧之は顔を不快に歪ませて言った。
「なら以前砂漠でオレ達を襲ったのもアンタだったってわけなのか?」
「はぁい。救世主さまとやらの実力を伺いたくてぇ……だけど大した事なさそうです」
はぁ〜、と大げさにため息を吐く風雲。それに対し、碧之は顔をしかめ吼える。
「言ってくれるぜ! だったら今度は本気で行かせてもらおうか……とはいえ一度は助けて貰った身だ。一応聞いておく、その少女を――ストレィ・ショットを解放しろ」
「あっはっは。いや〜、せっかくですが遠慮しておきます。いえね、ストレィさんの体を縛り上げているこの縄、ウロボロスちゃんの皮からできた特別性の超レアなものなんです。これはね、ウロボロスちゃんを倒さないと解くことができないようになっているんです。だから解放したくてもできないんです。なのでこれを解きたければ頑張ってウロボロスちゃんを倒して下さい〜」
風雲は嬉しそうに両手を広げて空を仰ぐように言った。
「そうかい。だったら良かったよ……! やっぱりこの世界はどうしようもなくゲームだよなあ! これで心置きなく暴れ回れるんだからな!」
碧之は笑った。
「珍しく気が合うわね、宮臥……ちょうど私もその化け物に借りを返したいと思っていたところなのよ」
煤利も哄笑する。
碧之はウロボロスに体を向けて、拳を握りしめ身を沈めた。煤利は2丁の拳銃を取り出してウロボロスに照準を合わせる。
「ふふふ……やっぱりこうなってしまいますよねぇ。上位世界のあなた達の存在自体が争いを呼んでしまうのですから仕方ないと言えばないですよね〜」
風雲は空を仰いだまま謳うように言って、指を鳴らした。すると湖の中から巨大なヘビのような怪物、ウロボロスが頭を出した。
「何言ってやがるんだ。この争いは全部アンタが仕組んだ事じゃねーかッ!」
碧之は腰を落とし、腕に力を込め、ウロボロスに向かって飛び込もうとする。
「違いますよぉ。所詮ワタシも、あなた達にとって都合のいい存在として創り出された虚構ですぅ。あなた達の為に、敵という役目が与えられただけに過ぎないのですよぉ」
風雲は悲しそうな瞳をして言って――その瞬間、怪物が咆吼し、その大きな口から炎の弾が吐き出された。
「ぎょおおおおおおおおおおおおッッッッッッッッッ!!!!」
超高温のエネルギーの塊が碧之達に向かって降り注ぐ。
「う、うわおッ!」
碧之はギリギリのところでそれをかわす。直後、炎の弾が地面に直撃し、火柱が立つ。もの凄い勢いで燃えさかる炎の柱。
一方煤利は華麗なステップで炎の弾をかわしながら、ウロボロスに銃弾を撃ち込んだ。打ち込む打ち込む打ち込む。踊る踊る踊る踊る踊る。
「――絶対銃撃円舞ッッ」
「す……すげえっ」
まるで虹のように、様々な色の弾丸を発射しながら煤利は舞っている。時には跳び上がって至近距離からの射撃。そしてどこから取り出したのか、マシンガンのような銃にショットガンのような銃と、多種多様な銃器でウロボロスを攻撃する。だけど――。
「ちっ……気を付けて、宮臥。あの敵はとんでもなく防御力が高いわッ。私の攻撃に対して耐性がある。恐らく銃弾の類は効かないわ!」
そう言って煤利はすぐさまショットガンを捨てて――本当にどこから取り出したのだろうか――巨大なロケットランチャーを担いで、すかさず放った。赤色の弧を描きながらウロボロスの頭に弾頭が命中する。
「ぎょぼおおおおおおおお!!!!」
命中した瞬間、轟音を立てて一帯に衝撃が走る。ウロボロスの頭が燃えさかる。しかし大したダメージは与えられなかったのか、ウロボロスは牙を剥き出しにし、叫びながら煤利に襲いかかった。
「くっ……早いッ!」
煤利は素早くロケットランチャーを放り投げて、横に跳ぶ――が、その刹那ウロボロスの頭が煤利の体のすぐ傍を駆け抜けた。直撃はしなかったが、煤利の体はそれにかすって大きくはじき飛ばされた。
「きゃああッッ!」
「す、煤利っ!」
煤利の体が地面に何度か跳ねて転がっていく。かすっただけでもの凄い衝撃のようだ。煤利は倒れたまま動かない。
「おやおや、毒にやられたようですね〜……そうそう。言い忘れていましたが、ウロボロスちゃんには猛毒があるんですよ〜。もし噛まれれば一瞬で死んじゃうことになりますよぉ。これがウロボロスちゃんの最大の武器でぇす」
風雲は楽しそうに鑑賞している。その後ろにはウロボロスの皮で作られた縄で縛られたストレィが苦しそうに横たわっている。風雲はチラリとストレィに目を向けて続ける。
「それと、このストレィさんを縛り上げている縄にも毒性があります。というかそもそもストレィさんにかかっていた呪いもその毒性の一部なんです。あっそうそう、だからその呪いっていうのも実は私が施したものなんですよぉ」
楽しむように語る風雲。
それを聞いた碧之は頭の中で何かが切れる音を感じた。
こいつが元凶。呪いの正体。神隠し。
「う……うをおおおおおおおおお!!!! 銃弾が効かないのなら、オレの拳でエエエエエエエエ!!!!!」
碧之は力の限り叫び――ウロボロスの頭部に向かって跳ぶ。拳を大きく振りかぶる。
「ふっふふふぅ〜、無駄なことを〜」
しかし風雲は余裕のまま不気味に微笑んだ。すると、ウロボロスの口が大きく開かれた。炎の弾が吐き出されるのか? 否、違った。
「ず、ぞ、ぞぞぞぞぞ……ゾオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
大地が揺れる。森がざわめき立つ。
この光景を碧之と煤利は知っていた。これは――2人が敗退を期することになった攻撃。
「まっ、まずい! 吸い込まれるぞッ!」
碧之が叫ぶ。
瞬間、ウロボロスがもの凄い勢いで全てを吸い込み始めた。次第に周囲の草や土などが宙を舞い始めた。
「ちいッ――っんなんだよぉお!? こりゃああっ!?」
湖の対岸ではセイヴァも動揺していた。傷ついた体を庇いながら後退する。
一方。ウロボロスの猛毒を受けている身にも関わらず、煤利が意識を取り戻した。
「うう……ま、まさかこれは……」
煤利は頭を揺らしながら周囲の異常を素早く伺う。
森の木々が飲み込まれていた。湖の水が飲み込まれていた。動植物が、モンスターが、飲み込まれていた。
「くうおおおお……」
空中にいる碧之の体も徐々に怪物へと引き寄せられる。これでは前回の二の舞だ。
「くっ、宮臥っ……」
毒に侵された煤利。
「ちっきしょおおお」
毒に侵されたセイヴァ。
戦えるのは碧之だけ。煤利もセイヴァもその場に踏ん張るのに精一杯でどうすることもできない。風雲と、傍に倒れているストレィは何故か引き寄せられていないようだ。
「くそおおおーー! だったらッ、このまま突っ込んでやるよおおおおお!!」
碧之は吸い寄せられつつも、そのまま身を任せウロボロスに拳を叩きつけようとする。碧之の周りには水や木や瓦礫が渦を巻くように飛来している。
「宮臥! やめなさい、無謀すぎる!」
煤利は碧之に向かって叫ぶ。頭からは血を流していた。
「そうですよぉ〜。あなた全然反省してないですね〜。前と全く同じことしてるじゃないですかぁ」
風雲は呆れるように肩をすくめた。
「うるせーよ……オレは無謀な男なんだ! それに……前と一緒じゃねえ! 今回はこんなにも障害物があんだよおおおおお! うらああああああ!!!!」
碧之は空中を漂いながら、吸い込まれながらも、宙を舞っている木を足場にして駆けていった。次々に木々の間を跳んでいく――。
「そうか、木を足場にすることで空中での自由を得ようと……」
前回は砂漠だったから空中で足場になるようなものはなかった。だが、今は違う。森中にある木々や白い建物の瓦礫がある。
そして次々と障害物に飛び移って行きながら――碧之はウロボロスを補足した。ウロボロスの頭の真上。碧之は最後の足場を蹴った。垂直に落下する体。碧之は右腕を思いっきり後ろに引いて、体を捻る――。
「くらえええッ化け物ッ! オレと煤利のッ、リベンジングッバスタアアアアアア!!!!!」
碧之はウロボロスの頭に思いっきり拳を振り下ろした。
鈍い音が響いて、衝撃が走った。そして――。
「ぎょひゅいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
真上から叩きつけられウロボロスは悲鳴を上げる。上から下へのものすごい力によって口が閉ざされ、衝撃で牙が欠けた。猛毒を注入するための牙が。
「そっ、そんな……」
風雲が口を開けて絶句している。ウロボロス最強の武器は失われた。
「うああああああああああ!!!!!」
だが、尚も碧之は止まらない。止められない。ウロボロスの頭を殴りつけたまま真下へ急降下する。10メートルッ、20メートルッ、30メートルッ、スピードは加速していくッッ。そしてバシャン――、と着水――ッ。
「ぶがぼぼおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
そのまま碧之とウロボロスは湖の中へと落ちていく。だがそれでも尚止まらない碧之。もっともっと深く! 強く! やがて海底に沈んだ白い遺跡が近づいてきた。
「うっ、ウロボロスううううッ!」
風雲は叫んだ。激しく取り乱している。
「ぎょおおおおお!!」
頭を殴りつけられた状態のまま、ウロボロスは閉ざされた口から炎を吐き出そうとする。口の中がみるみる真っ赤に染まっていく。そして――、
「ぼふぉおおおおおおおおおおおああああああああ!!!!」
衝撃。轟音。ウロボロスの体が一瞬、赤く閃光した。
その次の瞬間――大爆発が起こった。
「がぼおおあっっ!?」
碧之は水中で叫ぶ。そして体は水上へ向かって急上昇していった。
ウロボロスは口を閉じたまま炎を吐き出したのだ。その衝撃で碧之の体をはじき返した。それはまさに捨て身の戦法だった。
ウロボロスは自分の体内で爆発を引き起こしたのだ。
「ごがアアアアアアわあああッはっあッ」
碧之の体は爆発の衝撃で上昇し、湖の外まで吹き飛んだ。水しぶきと共に碧之は空に舞い上がる。辺りには湖に落下していく木々や瓦礫が無数にあった。虹ができていた。
「くっ、クッソォッ!」
碧之の体は空高く舞い上がり、再び落下方向へ。落ちながら碧之は水中を睨んだ。
「ぶるおおおおおおおおお……」
水中には口の中を真っ赤に染めたウロボロスの黒い影が。更に炎を吐くつもりだ。
「や、やべえ……」
碧之は口元を歪めた。次の瞬間、水中から今までとは比べものにならないくらいの巨大な炎の弾が飛び出した。碧之はそれをまともに喰らった。
「ぐわあああああああああぁぁぁぁーーーーーー!!!!!!」
碧之の体は炎の弾と共に遙か上空へと飛んでいく。雲を割って姿も見えなくなり――ポン、と空の彼方に眩しい光が瞬き、数秒後、上空から森全体に響く風圧が襲った。
数瞬置いて、碧之の体が空から落ち、ぐしゃり――と煤利の近くに碧之が倒れた。
「く……くっ、宮臥ああああああああ!!」
煤利は血を流し、片腕を押さえながら碧之の名を叫ぶ。足を引きずりながら碧之の元へ行く。燃えるような赤い髪は血に染まっていた。
「ちっ、あんの野郎ぉおオ……」
セイヴァは地面に膝をついてうなだれている。毒に侵された彼にはもう、戦う力は残っていないのだろう。
「フフフフ……もうこれまでのようですね……」
風雲は笑う。その横でストレィは苦しんでいた。絶望的な状況だった。
「ちっ、チックショオォおおおッ!」
叫んで、セイヴァは拳を地面に叩きつけた。煤利は碧之の体を抱き寄せている。
だが……碧之は目覚めない。
「――ではウロボロスちゃん、やってしまって下さい」
風雲は静かに無機質に怪物に命令した。
「グオアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
ウロボロスは、半分ほどに干上がった湖から大きく体をまっすぐ垂直に上げる。50メートルはあろうかという巨体である。
「くッ……」
ウロボロスを前にして、煤利は碧之を庇うように抱きながら死を覚悟した。
「ちいいい! クソがああ! 俺様が、俺様が負けるなんてえええええ!」
セイヴァは己の無力を悔やんだ。彼の長かった戦いは敗北で終わるのだ。
ウロボロスは大きく口を開け、体を大きく揺らして――そして。
そしてそのままウロボロスの体は――真下に、湖の中へと急降下した。
「なッ、なんだとおおおおお!?」
セイヴァは驚愕した。自分達にトドメをささずに湖へ突進した。なぜだ。湖に、あの真下にあるものは……そうだ。ウロボロスは真下にある――湖の中にある、白くて巨大な謎の遺跡に体を直撃させたのだ。
「こ、これは……」
煤利は泣きそうな顔で湖を見た。
森全体に降り注ぐほどのものすごい水しぶき。ガラガラと何かが崩壊する音……世界を支える白き遺跡が、砕け散ったのだ。
やがて――どこからともなく地響きがした。大地が大きく揺れ始めた。地面が裂け始めた。木々が倒れ始めた。森が消えていく。
煤利は為す術もなく、碧之を抱く腕にぎゅっと力を込める。
「まさか本当にこれが世界の中心だったなんて……世界が、終わる」
世界が――滅び始めた。