ヒーローズ

終章 終わりなき終わり

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

3

 
 煤利達には何が起こっているのか見当が付かない。ウロボロスは破壊に渦巻く湖の中を悠然と泳いでいる。
「は……ははははッッ! 勝ちました! これでワタシは永遠を手に入れましたっ!」
 風雲は正気を失ったかのように笑っている。
「そんなッ……遺跡を壊すこと……それが貴様の目的だったってえのかア!?」
 この遺跡を壊すことに何の意味もなかったのかと、セイヴァは風雲に怒鳴り散らす。
「そうでぇす。ワタシの目的は世界の中心である遺跡の破壊でぇす。ワタシにとっては世界を救うとか救世主とか、そんなものはどうでもいいのですよぉ」
「なッ、なんだとお?」
 セイヴァも煤利も風雲が言っていることが分からない。だけど、風雲はもっと分からないことを、不気味なことを、事実を言った。
「それにぃ……もうこんな演技も必要ないよね〜……だろう? 贄冶刀烏夜くん、それに煤ヶ崎煤利さん」
 風雲はセイヴァと煤利の――現実での、真実の――名前を口に出した。
「なっ、なんでその名前をおおおッ!? きッ、貴様いったい何者なんだああッ!?」
 セイヴァは牙を剥き出しにしてわめいている。半ばパニックに陥っていた。
「ははは、簡単だよ。君達をここに引き込んだのが僕だから……と言ったら、もう分かっちゃうよねぇ?」
 煤利が碧之の体をそっと地面に置いて立ち上がった。
「あ、あなた……まさか、心根酔~?」
 煤利の声は震えている。
「そうだよ正解〜。僕はあっちの世界で心理カウンセラーをやってる心根酔~だよぉ」
「な、なんだと……貴様があのカウンセラーだとおおお? な、なんで貴様がこんなことを」
 威勢とは裏腹に贄冶の声は震えていた。
「まあ、言っちゃえば、君たちは僕の為に動いていたようなものだよ〜。おかげで世界を色々知ることができたよ〜」
 ありがとう〜、と力なく拍手する風雲。
「あ、あなたは……やっぱりプレイヤーだったのね」
 煤利は舌打ちして言った。
「あはは〜。正確に言えば違うよ……僕は正真正銘こちらの世界の人間だ。僕は特別なんだ。この世界から、君たち上位の世界に行くことのできる人間さ……」
 現実からフォルス・ステージに来たのではなく、フォルス・ステージから現実へ来たのだと――風雲は言った。
「そ、そんな……特別って、そんな事できるわけがない……世界の内側の人間が外に出ることなんて……」
 煤利は震えを隠そうともせず、困惑した顔で言った。風雲は済ました顔で答える。
「君が言っている事は全部僕の受け売りじゃないか。まぁ、君たちを騙していたわけじゃないんだけどね……つまりこれは全部僕の考えたシナリオだ。この世界は架空に過ぎないんだ。だから誰かが物語を創ってあげなきゃいけない。そうじゃないとストーリーは進展しないし、僕も世界を越えることができない」
 碧之や煤利、贄冶、ストレィをこの世界に呼び寄せたのは、物語の為の駒にしか過ぎないと風雲は言いたいのか。
「なら……私達を襲った後、あなたが宮臥を助けたのもシナリオだったってわけなのね」
「そうそう。でも僕、本当は碧之君をカロンに行かせたかったんだよ。この計画をスムーズに進行するために。だって救世主の帰還って物語のかなり重要な要素だと思うんだよねえ。お話の王道じゃないか。それにさ……救世主である蒼乃君がカロンへ行けば、きっとカロンはこの森を一気に攻め始めただろう? その隙をついて僕が遺跡を破壊する計画だったんだ。そう、僕が世界を越えるためにねぇ」
 別に面白い展開になるのなら物語がどう進行しても構わないけどね〜、あっひゃっひゃっひゃっ――と気味悪い声で笑う風雲。狂っている――その場にいる誰もが思った。
 しかし――その狂うような風雲の笑いに、割って入る声が聞こえた。
「そ、その話は本当なんですかっ?」
 年期の入った凛とした声が響きわたって、物陰から一人の老婆が現れた。
「あ、あなたは……」
 風雲は笑いをピタリと止めた。
 そこにいたのはカロン女王だった。傍には孫娘のネローニアが女王の体を支えて立つ。
「カロン女王……」
 風雲は、目だけをカロン女王へ動かして、困ったような顔をしてみせた。カロン女王は憤慨気味に風雲を見据える。
「話は聞きました。風雲、これは一体どういうことなのですか? あなたはあたくし達の為に働いて下さっているのではなかったのですか? や、やはりあなたは魔術師だったと言うのですか……説明しなさいっ」
 カロン女王は慄然とした態度で風雲に対峙する。ウロボロスを前にしても怯む様子はなかった。開き直って風雲は口を開く。
「ふふん、僕が魔術師ですってぇ? ふん、確かにあなたから見れば僕は魔術師なのかもしれないし、だったらあなたにとって僕は魔術師という事でいいじゃないですか。そんな事はどうでもいいことです。それよりも……ええ、僕が言ったとおりですよ、女王様〜。僕はね〜、ただ真実の世界という場所に行きたかったんですよぉ」
 風雲は遠い目をして語り始めた。カロン女王も煤利達も、その異様な存在に圧倒されながら黙って見ていた。
「そしてウロボロスのおかげでとうとうそれに成功したんです……しかし、まだまだ盤石じゃなかった。無理に上位世界に行った為に存在が希薄になってしまったんだ」
 風雲は誰に対して言っている風ではなく、ただ自分に言い聞かせるように語る。
「こちらの世界でも、君達の世界でも僕は希薄だ。お互いの世界に行き来できる代わりに僕の魂も半分になったのかなぁ」
「希薄ってどういう事なの?」
 煤利は心根酔~を知っている。見た限りでは心根は普通の人間だった。
「そのままの意味だよ。僕は君たちの世界では、学校のあの部屋だけにしか存在できないし、僕の事を知覚できる人間もごくわずか。そしてこの世界でもある種超常的な存在になってしまった。どちらにも居場所がなくなったんだ……だけど、この遺跡の封印を解くことによってその因果から僕は解放された」
 風雲は両手を広げて声高らかに叫ぶ。
「もうこの世界はいらない! こっちの世界を壊してしまえば、僕は上位の世界にのみ生きることができる!」
 誰も、何も言えない。
「そんな、そんな……あなたは、あたくし達を騙していたのですかっ?」
 カロン女王は全身の力が抜けたような呆けた顔をしている。
「騙していたなんて人聞きの悪い。あなたは世界の真理が知りたいのでしょう? 僕はそれを見せてあげようと言うのですよぉ? それがこの世界の終わりなのです」
 風雲は馬鹿にするように鼻で笑った。
 この一言がとどめとなり、カロン女王はその場に崩れ落ちた。
「ああ……なんてこと……」
 苦しそうに頭を抱え込むカロン女王。
「お、お祖母様!」
 膝をついて倒れたカロン女王をネローニアが支えた。
「あっはっはーっ! カロン女王、あなたはとんだピエロだよ! そして君達みんなも! 僕の為にこんなに楽しいドラマを演じてくれてありがとう! みんなは僕の掌で踊っていたんだよ! これが僕の魔術の正体なんだよ!」
 碧之や煤利も、ストレィもセイヴァもカロン女王も全て、風雲のシナリオ通りに操られていたというのか。このシナリオ自体が世界を超えるための魔術儀式だというのか。
「あ、あなたは……どうやって世界を」
 カロン女王はフラフラになりながらも苦しげに言葉を発する。
「ひゃははぁ、尚も真理を求めるとはぶざまな君主だ……欲に目が眩んだ老獪め。そんな事あなたが知る必要はない。カロン女王……もうあなたに用はないのです! そしてそこにいる諸君もだよ! なぁに、だが現実世界の君たちは安心しろ。どうせ死んでも現実世界に帰る事はできるさ、ここでの記憶の全てを失ってねえ!」
 笑い続ける風雲。地面に倒れそうになるカロン女王と、それを支えるネローニア。
 大地の揺らぎがますます大きくなる。世界は――間もなく終わるのか。
 終末の中、風雲の笑い声だけが容赦なく響き渡っていた……まさにその時――。
「――うるせえッ!!」
 声がした。声の一番近くにいた煤利がいち早く気が付いて――すかさず振り向いた。
「く……宮臥っ!?」
 そこには碧之宮臥が目を覚まして、屹立している姿があった。
「おや〜? なにかと思えば救世主さまか。いや、君はつくづく不思議な人だ。君はかつてカロン国を救っているんだよね〜……いったいどういう経緯があったのだろう〜」
 風雲は碧之に問いかける。本当に碧之が救世主ならば、やはりここで命を落として記憶を失ったのか。だが、この世界に来たきっかけは……? しかし、この男にはそんな些細な事どうでもよかった。
「だからうるさいんだよ! そんなのは関係ねぇ! そしてアンタの正体だってどうだっていい! そんなことよりも……アンタはこっちの世界を否定するって言うのか!」
 碧之は爆発した。もう何も考えられない。目の前にいる男は敵、それだけでいい。たとえそれが、困っているところを助けて貰った旅人でも、いつも相談に乗ってくれる心理カウンセラーでも。
「少しは落ち着きなよ、碧之くん。僕はね、ただここじゃないどこかに行きたいだけだよ。悪い言い方をすればこの世界に飽きただけなんだ」
 ないものねだり。碧之も始めはそうだった。この世界を知ったとき、現実世界では味わえない感動をたくさん得た。それはきっと煤利も贄冶も同じだろう。
「だが、そうやって現実に行って――それでアンタはどうするつもりなんだ! また飽きたらそれでどうするんだ!」
「またさらに上を目指します」
 あっさり答える風雲。
「はあっ!? 上って、だってオレ達の世界が現実だろ!」
 現実の世界は勿論架空ではないのだからその上に世界なんて存在するわけがない。だけど風雲は笑いながら言う。
「はははっ。あなた達は、あなた達の現実が本当の現実だと思い込んでいるようですがねぇ……世界に本物なんてないですよ。上には上があるし、下には下がある。いえ……上も下もない。ただ無限に広がっているんですよ」
 あまりに飛躍した考え方。偏執の域に到達している。だが、もし仮に世界がパラレルに存在していたとしても――。
「だとしても世界を壊していいってことにはならない! この世界に生きる者達はどうするんだッ!?」
 自分の勝手な欲望で。自分の探求心、好奇心で何でも許されることにはならない。知ることは常に正しいことではないのだ。
「なに正論言ってンですかぁ? しょせん他人事の話なのによく言うよ。君は上位の立場だからそんなクソみたいな当たり前のこと言えるンですよぉ……君はただ、自分にとって都合のいい遊び場をなくしたくないだけなんだろう? それが本音なんだろう?」
 風雲は誘惑するように囁いた。その言葉に碧之だけでなく、煤利とセイヴァも少なからず反応した。そうだ。結局彼らにとってみれば全て偽物の他人事なのだ。本来彼らが入り込む余地なんてないのかもしれない。だけど――。
「そう、かもしれない……否定はできない……でも、だからなんだっていうんだ? 生憎だがオレはそんな事言われてウジウジ悩むようなキャラじゃねーんだよ。少なくともこの世界では。そうさ、悩むことなんかいつだってできる。だから今しかできないことをオレはやる。そしてオレはテメェをぶっ飛ばしたい……ただ、それだけなんだよッッ!!」
 瞳孔を開き碧之は吼えた。そうだ。碧之はこの世界で決して迷わない。本能に従って行動する。それが正しいか悪いかはひとまず考えない。今しかできないことを今やる。それが碧之にとっての正しさだ。
 風雲は舌打ちして逆上するように答えた。
「いいじゃないか、世界なんて無限にあるんだ。一個くらいどうってことないさ。だって世界の数だけ物語があるんですよ? できるだけたくさんの物語を読みたいのは当然の心理じゃないかぁ。それが人間のエゴであり進化であり原動力なんですよぉ。だから僕は甘んじて君達の……いや、世界の敵となろうではないか!」
 彼は、碧之達の敵と認めた。これで何も考えなくて済む。いかにもなこの発言はいかにも敵そのものだ。だから碧之は確信した。これで迷いなく思いっきりやれる。
「なら、やっぱりアンタはラスボスだ……」
 碧之はユルリ、と体を揺さぶった。内側から沸々と興奮するのを肌で感じた。静かに静かに、怒りを闘志を魂を燃やす。
「ん? どうしたんだい? 確かに僕はラスボスだけど……ふふふ、君ぃ〜まさかまだ諦めないつもりかぁい?」
 風雲は虚仮にするように碧之を見下している。しかし碧之はそんな言葉に耳を傾けない。
「おい、知ってるか? ラスボスってのは最後の最後に倒されるからラスボスって言うんだぜ?」
 碧之は知っていた。これがゲームなら今この瞬間がクライマックスシーンなのだと。そしてかつて煤利は言っていた。この世界の強さとは思いの強さなのだと。自分の意思次第で何だってできるし、この世界の何者にも負ける事はないのだと。
「……だから何だって言うんだい?」
 だったらもう状況は決まっていた。この勝負、碧之は勝つのは明白だと――。
「何だっていい。ヒーローは最後の最後に大逆転するもんだと……オレが言いたいのはそれだけだあああッッッッ!!!!」
 碧之は笑うように、牙を剥き出しにして吼えた。
 風雲も――つられるようにして笑った。
「あははははッ! 君みたいな人間がヒーローって! そんな精神論で勝てると思っているのかい!? だったらいいだろう! 望み通りに消えてもらうよ! ウロボロスッ!!」
「ぎゃぼおおっっっ!!」
 風雲の呼び掛けに応じて、湖を悠然と泳いでいたウロボロスが顔を出した。
「さあ、全てを終わらせましょう」
 風雲は言うと……ゆっくりとウロボロスの元へと近づいた。そして、
「な、なんだ!?」碧之が叫んだ。
 異様な現象だった。
 風雲がウロボロスの元まで行き、その巨大な体に触れたと思うと、一瞬辺りは閃光に包まれて――ウロボロスが淡い光に包まれた。
「なんだ、あれは……」
 白く発光するウロボロス。そして気が付けば、風雲の姿が消えていた。しかし、
「あはぁはぁはぁ! 素晴らしいっ、素晴らしい力だッ。これなら、これなら行けるッ。僕はきっと行けるッ!」
 辺りに響くような、風雲の笑い声が聞こえる。けれど、風雲の姿はどこにも見えない。
「こ、この声はっ――風雲はッ?」
 碧之は戸惑う。風雲の姿を探す。だが、真実は到底信じられるものでなかった。風雲の声が真相を告げる。
「ハハハハハハッ! 僕なら目の前にいるよッ」
 風雲の声は地響きのようにこだまする。しかし、碧之の目の前にいるのは白くなったウロボロスだけだ。
 そして、風雲は――いや、ウロボロスは言った。
「ハハハッ、まだ気が付かないのかいッ? 僕がウロボロスなんだよ! 僕がウロボロスと同化したんだよ!  君たちを消した後、この世界から脱出するためにねぇ!」
「なっ、まさかこいつが……」
 ウロボロスは、いや、風雲は――進化したのだ。
「さあ〜、じゃあ殺すよ!」
 風雲は、いや――ウロボロスは口を開けて威嚇した。口には刺々しい牙が再生していた。
 更に最悪の方向に転がっていく状況。
 碧之はしかし、そんなことで怯まなかった。
「は……ははっ。それならそれで都合がいいッ。だって要は……テメェをぶっ飛ばせば全部解決するって事だろッッ!!!!」
「ふふふふ〜、楽しいなぁ楽しいなぁ。僕は君を殺せる事を光栄に思えるよ。これは僕が君達の世界に行くための通過儀礼としようじゃないかっ! さあ、もっともっと僕を楽しませてくれ、碧之宮臥アアアアアアアアアアア!!!!」
 真っ白い巨大なヘビが吼えた。
「ああ、望み通り楽しむ暇もないくらいに楽しませてやるぜ! うおおおおおおおおおおおあああああああああッッッッ!!!!」
 碧之も吼えた。碧之の周囲の空気が振動し風が巻き起こる。
「くっ、宮臥っ! 駄目よ、そんな体で――」
 隣で煤利は碧之を止めようとする。だけど、碧之はもう止められない。目の前の敵を倒すしかない。そして――跳び上がった。
「るるるるうううらああああああああああッッッッッッッ!!」
 ウロボロスに殴りかかった碧之。空中で右腕を大きく引く。
 しかし、ウロボロスは体をくねらせて碧之をはじき返そうとする。
「ぬおおおおおお!!」
 だが――碧之は空中でバランスをとり、向かってくるウロボロスの体にとりついた。
「なにいっ!?」
 ウロボロスは醜く顔を歪ませる。
 そしてウロボロスの体にしがみついた碧之は、振り落とされないように胴体を足でしっかり挟んで、そして。
「くぅッ、らッええええッッ!」
 ウロボロスの胴体に拳をたたき込んだ。
「ぐふあッ!」
 ウロボロスは苦しそうに悶えた。
「まだまだだあああああ!!」
 更に碧之は拳をたたき込む。1発2発3発4発5発…………連続で、次々と、目にも止まらぬ速さで。
「ぐ……ぐおおおお……さ、さすがにやる……だがああああッ!」
 ウロボロスはその巨体を急降下させて湖へと潜った。
「うごぽおおお!?」
 碧之は振り落とされないようにウロボロスの体に必死にしがみつく。
「まだまだいくよおおおおおおッ! 碧之くぅ〜〜〜〜〜〜〜んッッッッ!!!!」
 そのままウロボロスは水中を高速で移動する。崩れた遺跡の残骸が碧之の体に迫り来る。それでも碧之はウロボロスの体から離れない。
「ちっ、しッつこいなああああ!」
 そう言ってウロボロスは再び湖からでた。頭を空高く突き出し、大きく旋回し始める。ぐるぐる頭を回し、遠心力でスピードがどんどん上がる。碧之はそれでも離れない。
「これならどうだァアアアーっ!」
 突然ウロボロスは自分の体を地面へと叩きつけた。ドスン、と地響きがした。長い体は森の中まで到達していた。
「が、がふうっ……」
 ウロボロスの体ごと地面に叩きつけられた碧之は気を失いそうになった。碧之を引きはがしたウロボロスはゆっくり上昇していく。
「さあ、ではこれで終わりだ。さようなら碧之くん」
 ウロボロスはガポリと口を大きく開けた。砕かれた牙の向こうに赤い蜃気楼が見える。炎の弾を発射するつもりなのだ。
「く、くそっ」
 碧之はまだ立ち上がれない。このままでは直撃してしまう。こんどこそ死んでしまう。その時だった――。 
 ドドドドドドゥララララララララララララァァァァァ――。大音量重低音で爆ぜる音ッ。
「ぎゃばばばばばばあああああっっ!!?」
 それとほぼ同時に――ウロボロスの体が真横にガクリとずれて、そのまま炎の弾は空中へと発射されてしまった。
「あ……な、な……誰だアアアッ!?」
 口から炎の残滓を発散させながら、体がずれた反対方向に顔を向けたウロボロス。碧之もつられてそちらを見た。そこにいたのは――。
「すっ、煤利っ!?」
 そこにいたのは巨大なガトリングガンを両手で構えた煤利の姿。苦しそうな顔だったが、勇ましく足を地面に踏みしめていた。
「煤利……ま、まだ毒が……」
 煤利はウロボロスの猛毒にかかっているはずだ。そんな状態で彼女は戦っていた。
「ふっ、見くびらないで欲しいわ……私だって先輩の意地ってものがあるのよ。あなたばかりに任せてられないわよ」
 にやりと笑う煤利。
 そして煤利はウロボロスに向けてガトリングガンを弾の続く限り発砲した。弾丸の色は全て青かった。
「で、でもっ――」
 煤利の身を案じる碧之。だが、碧之の言葉を煤利は遮って言った。
「それに、力を合わせないとこいつは倒せそうにないわ。それがゲームの基本でしょ? 強敵はみんなで倒す。分かった?」
 反動で体を揺らしながら、煤利は揶揄するように微笑している。だけど、ウロボロスに銃弾は通じない。
「無駄だ無駄だ無駄ですううううううううううううう!」
 狂い叫び、ウロボロスは再び炎の弾を吐いたッ――。
「くうッ!」
 いや――、ウロボロスが吐いたのは炎の弾でなく炎そのもの。まるで地獄の業火。
 煤利は転がるようにして勢い良く広がる火の海を避け、逃げながらもセーラー服の中から次々と手榴弾を取り出して湖へと投げ込み――、
「――爆殺宣言ッッッッッ」
 と、煤利が叫ぶと同時に――青い水柱が次々と高く上がった。
 水しぶきが視界一杯に広がる。しかし、それでもダメージは与えられなかったのか、しぶきの中から叫び声をあげながらウロボロスが現れた。
「だから無駄だと言ってるんですよおおおおおおおおお〜〜〜〜〜っっっっっっ!」
 煤利の走る方向に待ち構えるようにウロボロスの頭が突進する。そして、直撃ッ!
「くはあっ……」
「煤利いいいぃぃッッッ!!」
 煤利はウロボロスの体当たりをまともに喰らい、はね飛ばされた。炎の中を突っ切って尚勢いは止まらない。転がり続ける。碧之はすぐに追って、煤利の体を受け止めた。
「だ、大丈夫か煤利っ!」
 煤利の体を受けた衝撃で飛ばされそうになるのを碧之はなんとか踏みとどまる。
 碧之の腕の中で悶絶していた煤利が、乱れた赤髪を頭で振り払い弱々しく口を開く。
「な、なんとかね。でも……攻撃は成功したわ」
 煤利は不敵に笑っていた。
「成功って……アイツに重火器は効かないんじゃないのかよっ!」
 ウロボロスにダメージがないように見えた碧之には何の事だかさっぱり分からない。
「そうだよぉ。無理なんだって。そんな攻撃僕に効くわけない」
 ウロボロスは余裕に優雅に体をくねらせていた。
「ふふふ……馬鹿ね、宮臥。よく見なさいよ……」
 だけどそれでも煤利は笑っていた。そして煤利はウロボロスの方向――その足元――湖に指を差す。
「え?」
 碧之はウロボロスを見て、湖を見た。そして気が付いた――湖が、凍り付いていた。
 湖の水が、全て氷と変化していた。
「攻撃が効かないならまずは動きから。私が凍らせたのよ……この属性弾でね」
 青い銃弾。それは氷の弾丸――。無闇に発砲しているように見えた煤利だったが、湖を凍らせてウロボロスの動きを封じるつもりだったのだ。煤利が弾丸を手に持って見せる。それは身も凍りそうな程の――美しい蒼の色だった。
「さあ、宮臥。後は任せたわ。私の事はいいから行きなさい」
 煤利は微笑して碧之を送り出す。碧之は気分が最高に高揚する。
「は……はは。やっぱすげーよ、煤利は。だったら……心置きなくやらせてもらうぜっ!」
 碧之は拳に力を込めて足を踏ん張った。後は真っ直ぐ突き進んでウロボロスを殴るだけなのだが――。
「くはぁあッ、こしゃくなあああ!!! そんなものお前達ごと溶かしてくれるううううううッッ!!!!」
 しかしウロボロスは簡単には碧之の進撃を許さない。大きく口を開けて炎を吐き出そうとした。しかし。
「なっ、なにイイイイイィィィィィ!?」
 その時、ウロボロスは異常に気が付いた。今の今まで一人の男の存在を忘れていた。ただの負け犬だと考えて気にもしなかった一人の男。
 そして湖が凍ることで、ソレの進入を許してしまった。最も危険な不老不死の狂犬を。
「うるあああああああああおおおおおおおオオオオオオ!!!!!」
 レジスタンス組織『ナイト・フライト』のリーダー、セイヴァ。両手それぞれに剣を持ち、巻き舌でうなり声を上げながら、ウロボロスの体を駆け上がっていた。
「あ、あんな体で……ウロボロスの体を登っている……」
 碧之も驚いた。碧之と煤利が駆けつけた時、セイヴァは既に満身創痍だったはず。ウロボロスの猛毒に侵されていたはず。
「ぐるるるるごおおおおおおおおおおお!!!!」
 セイヴァは血を吐きながら――それでも――凄い巻き舌で怒声を上げながら走る。
「く、くそうッ……! この負け犬がッ……」
 ウロボロスはセイヴァを払い落とそうと体を激しくうねらせる。しかしセイヴァは振り落とされることなく、スピードを落とすことなく、高速で駆け上がる。
「主人公の俺様がこんな雑魚の引き立て役になるのは癪だが……そこは甘んじて今回だけは受け入れてやるッッ! 俺様のナイト・フライトをッッ台無しにした代償だあアアア! 白ヘビ野郎るうううおおおおおおおおおお!!!!!!!」
 そして頭部分まで上り詰めたセイヴァは――、
「二刀怒髪天ンンッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!」
 2本の剣をウロボロスの顎から頭に向かって――真下から真上に突き刺した。
「ぐ――ぬうううううっっっっっっっっ!?」
 口を閉ざされたウロボロス。これでウロボロスは炎の弾を出すことも吸い込むこともできなくなった。ウロボロスは必死に暴れ、セイヴァは振り払われた。
「ぐるわあああッッ……い、今だッ……いけえいッ! 我が下僕よおおおおおお!!」
 セイヴァがウロボロスの体から飛び降りながら叫ぶ。
「ああ、受け取ったぜ……アンタの怒りを、情熱を」
 碧之は拳を握った。これがラストチャンス。最後の一撃。
「ふぁしゃああああああッッッッッッ!!!!」
 だがウロボロスは碧之の攻撃を阻止するように体を激しくジタバタさせる。
「ちいっ!」碧之は顔を歪める。
 これでは照準が合わせられない。致命傷の一撃を与える事ができない。どうすれば。
 だが――碧之がそう思った時、
 パパパパンッ! ――鳴り響く発砲音。そしてウロボロスの体に青い光が次々と灯ってゆく。
「う……を……を?」
 ウロボロスが唸って、動きがゆるゆると鈍くなっていった。
「こ、これは……」
 碧之が隣を見れば、そこには両手にそれぞれ拳銃を構えた煤利がいた。拳銃からは青い煙が立ちこめている。
「豆知識よ……ヘビはね、寒さに弱いのよ。予め湖を凍らせていたおかげでもあるけど、これでやつは凍りついた。この時の為に研究しといてよかったわ。戦闘は何事も事前準備で決まるってね……さあ、宮臥! あなたの破壊力であいつを粉砕するのよ。必殺技を――使う時よッ!」
 煤利が親指を立てて碧之を送り出した。碧之に必殺技なんてない。だけど――。
「……ははっ、煤利ぃ。ほんっと、やっぱりアンタはオレの最高のパートナーだ……じゃあいくぜ、風雲ッ! オレのッ必殺技ッ!!」
 碧之は叫んで、空高く跳び上がった。現実ではない大気の中を馳せる。煤利が教えてくれたこの世界を謳歌する。
「そ、そんな……ここまでシナリオ通りだったのに……な、なんでここで僕が負けるんだ……あ、あり得ない。そ、そんな……や、やめ……っ」
 ウロボロスが声にならない声で叫んだ。しかし碧之は止められない。
「やめねーよおおッ!」
 上昇しながら碧之は叫ぶ。
 そして上空まで高く昇った碧之の体は、今度は重力に任せて落下していった。碧之はスピードを加速させてウロボロスへと急落下していく。その姿はまるで世界の重力を操るような、空を自由に駆けるような軌跡。
 今までくすぶっていた碧之。青春を賭けられるものが見つけられなかった碧之。取り柄も武器も何も持たなかった碧之。この世界で持っているのは己の体だけ。ただ拳で殴るだけの力。そして、だからこそ――その為だけに特化した能力。いま、開花する能力。即興の必殺技。
 最大限の打撃が与えられるなら重力すら無視し、空の中すらも自由自在に走る――それが碧之に与えられし加護。この世界での力。
 それが彼の憧れたカタチ――。
「うをおおおおおおおおおおッッッッ!!!!!」
 目の前の敵に最強最大のダメージを与えるために碧之は飛んだ。空気抵抗により体を燃やしながら空を駆けた。超スピードで、最上級最大限に重力を拳に乗せて――、
「これがあああああ!!!! オレの異能のチカラアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
 碧之の体が光り輝く。碧之を包む炎の勢いは増す。肉弾系究極技。誰よりも速く、誰よりも強い――ただの拳。
「ひ……ひいいいッ――」
「ただのヒーローのッッッッ――コブシだアアアアアアアアアッッッッッッ!!!!!!!」
 碧之の拳がウロボロスに振り下ろされたッ――。森中が震え上がるほどのものすごい衝撃が響き渡った。
 衝撃が広がった直後、ウロボロスの体中にひびが走っていく。ひびはウロボロスの体を伝わり、凍り付いた湖全体に広がっていった。
「ぬ……が、がッ!」
 断末魔の声を上げるウロボロス。
 そして――。
「あばよ」
 と、碧之はウロボロスの額から、殴りつけていた拳を引いた。
 その瞬間、パシィィィン――と、ウロボロスの体も湖も全てが粉々に砕け散った。無数の蒼い結晶が湖の中へと落ちていく。その中に碧之と風雲の姿があった。
「これが……これが救世主の力……いや、本物の世界の強さか……僕は……ワタシは」
 風雲の体は透け始めていた。今まさに世界から消滅しようとしていた。
「くそ、駄目だ……オレも、もう指先一つ動かせない……」
 碧之も満身創痍の状態だった。湖に向かって真っ逆さまに落ちていく。
 けれど、風雲の体は落下せずにフワフワと宙を漂う。まるで幽霊そのものだった。
「ははっ……どうやら終わりのようです。ワタシの負けです。世界はあなた達を選んだみたいです。ウロボロスを使って上位世界と下位世界の両方に存在したワタシは希薄な存在……これでどちらの世界からもワタシの存在が消えてしまいます」
 風雲の体はほとんど透けて、後ろの景色がはっきりと確認できるほどになっている。
「ですが……ラスボスというこのポジションもなかなか悪くはなかったですよぉ」
 そして風雲はにっこりと微笑むと――世界から完全に消え去った。
 碧之は一人、液体へと戻った湖の中へと着水した。
 そして――大地の揺れは強さを増し続けている。
「駄目だ、揺れが止まらねえ! この森はもう駄目だッ! 貴様ら、避難しろおお!」
 碧之は湖の上を漂いながら、セイヴァが叫んでいるのを見た。森中が激しく振動している。森の木々が倒れていく。生き物たちの悲鳴が聞こえる。
「まさか、もう終わりなのですかっ? この世界は崩壊してしまうのですか!? そんな……あたくしが、間違っていた……」
「お、お祖母様っ。ここは危険ですっ、逃げましょうっ!」
 カロン女王は茫然とし、ネローニアは動転している。為す術もなく立ち尽くしているのを碧之は見た。
 世界が悲鳴を上げているのを聞いた。大地が割れて天が裂ける。数多の生き物の泣き声が聞こえる。滅んでいく。死んでいく。なくなっていく。碧之の意識も次第に……。
 だが碧之は、薄れゆく意識の中で湖に浮かびながら、セイヴァに抱えられたストレィが目覚めるのを見た。見ればストレィを縛っていた縄はうっすらと消え始めていた。こんな状況なのに碧之は嬉しくなった。これでもう大丈夫だとなんとなく碧之は安心した。
 そして湖を漂いながら碧之は思う。もしかして、かつて自分が救世主だった時も同じような状況だったのかもしれない。こうやって自分は……命を落としたのかもしれない。
 だが――最後に碧之は見た。
 湖を泳いで自分の元に向かってくる煤利の姿を。碧之の名前を叫びながらこちらに向かう煤利を。
 そこで――碧之の記憶が途切れた。


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