ヒーローズ

第1章 碧之宮臥の幻想体験

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 光をくぐった先にあったものは――本当に異世界だった。
「これがフォルス・ステージ……」
 碧之の目の前に広がるのは一面の草原。近くに建物の類は一切ない見渡す限りの地平線。唯一確認できる建造物らしきものといえば、遠くの方に白い遺跡のようなものがぽつりと見えるのみだった。光のトンネルをくぐる前は夕暮れ時のオレンジに染まっていた世界なのだが、今はどこまでも続く、高く青い空が広がっていた。
 一見すると自然ドキュメンタリー映像で見るような――そう、人工的な物がないだけで大して現実世界と変わらない場所だなと碧之は思った。
「そうよ。ここが私達にとっての仮想空間。私達のエンターテインメントの世界。第二の世界よ」
 煤利は素っ気なく答える。
「ふぅ〜ん……って、ええッ!? ちょっ、煤ヶ崎さんっ、髪の色が……っ」
 碧之は何気なく煤利の姿を振り向いて驚愕した。ついさっきまで煤利の艶のある真っ黒い髪の色が今は燃えるような赤に染まり、さらにはそれに合わせるように瞳の色までもが血を吸ったような朱だった。ちなみに眼鏡もかけていない。そして服装はセーラー服のままだったが、先程まで着ていた学校指定のものとは意匠や色合いが少し異なっていた。
「ああ……だってこれはゲームなのよ? この世界を上手く生き抜くコツは、どれだけ現実と乖離できるか、どれだけロールプレイするかなの。だからこその過剰で濃厚な設定の付与なのよ」
 なんでもないように答える煤利。
「え、それってつまり……?」
「つまりあなたは駄目駄目なのよ。現実そのままの自分でネットゲームしたってつまらないってことなのよ。現実の自分から離れれば離れるほど面白いし、より世界を分けて考えられる」
 鏡がないので碧之は自分の姿を見ることができないが、恐らく現実の自分と全く変わってないのだろう。何事も平均かそれより少し下の取り柄も才能も何もない無気力男子。
「だから髪も目の色も変えたってこと? その方が現実の自分とは違う存在だってことを強く意識できるから?」
 よく見れば煤ヶ崎煤利。現実ではほっそりした体型をしているのだが、ここでは小柄な体型はそのままに胸がとても大きく成長していた。これが煤ヶ崎煤利だと言わなければ多分気付かないだろうなと碧之は思った。というか何気に胸小さいのを気にしてたのか?
「まぁそうよ。むしろここでは性別も偽るくらいじゃないと。ま、でもネットゲームで自分が演じたいキャラっていうのは結局のところ、普段は表に現れない自分の本心なのかもしれないけれど」
 煤利はふんと鼻をならし胸を張って答える。
 ならば煤利の性格が変わったような気がするのは、つまりこれが煤利の本性なのか。煤利の印象が、碧之が知る学校でのキャラからどんどん離れていった。
「でもまだ僕、この世界の要領とか分からないんだし……」
 不服そうに息を吐く碧之。その様子を見て煤利は舌打ちした。
「はあ……あなたもゲームでくらいもっとはじけたらどうなの。現実世界と同じように振る舞っていたら戦いなんてできないわよ。現実と非現実は紙一重。けどその紙一重で生き様はガラリと変わるの。もっと戦闘向きになりなさい。ここはバトルの世界なのよ」
 確かに紙一重だ。こんな簡単に異界へ行くなんて。日常のすぐ傍にあるなんて。
「といっても髪の色変えたりなんてどうすればいいか分からないし……」
 半ばいじけるように言う碧之に、煤利はやれやれといった感じで助言する。
「ふう……そうね、いきなりそんなイメージを定着させるのも無理があるわよね……。うん、ならまずは……とりあえずこの世界では一人称を俺で通しなさい。なにもやらないより少しはマシよ」
「お、俺?」
 意外な要求に目を丸くする碧之。
「そう、俺。あとは……そのなよなよした性格も駄目。ここでは熱いキャラで通して頂戴」
 ずびしと指を立てて難しい要求を下す少女。
「え……ええ〜。そんなこといきなり言われても僕――」
「僕、禁止!」と、煤利がケリを入れた。
「いてっ。何するんだよ!」
 涙目で脛を押さえる碧之。
「これから僕って言う度にお仕置きよ」
 なるほど、確かにこの世界では攻撃的なキャラになるらしい。
「わ、分かったよ。俺って言えばいいんでしょ。俺って……って痛あ! なんでまた蹴る!? しかも同じとこ!」
「その、『言えばいいんでしょ』ってのが駄目。『言えばいいんだろ』に直しなさい」
「な、なんだよそれ……ここまで凶暴な人だったなんて」
 少し涙がこぼれそうになった碧之。
「ふふ、勘違いしないでね。これはあなたの為にやってあげてることなの。チュートリアルってやつ。あなたがこの世界で少しでも長い間生きていられるようにね。ま、私的には別にあなたが一瞬でこの世界からリタイアしたところで何の弊害もないのだけど?」
「……うう」
 碧之は暗い顔をする。俺、そして乱暴な言葉遣い……。今の碧之にはほど遠い言葉だけど、碧之はかつてそういうキャラクターに憧れていた。とっくに忘れていた事だけど、煤利に言われてそんな昔話を思い出した。今はどうなのだろう。何にしても碧之はとうに幻想を捨てたのだ。
 けれど、今更だけど、形だけならやってみても罰は当たらないだろう。そうだ……所詮これは遊びだ。
「ああ、分かった分かった。とりあえず煤ヶ崎さんに従えばいい……って、あ痛ァ!」
 またしても煤利から鋭いローキックを頂いた碧之。
「そうそう、この世界では私の事は煤利って呼んで頂戴ね」
「な、なんか今の蹴りはすごく理不尽な気がするんだけど!?」
 ノリで蹴られた感じだ。
「理不尽なのがこの世界の掟なの。さあ、宮臥。そろそろキャラ作成シーンも終わり。いよいよ今度は実戦を始めましょうか」
 一人で上手くまとめて、煤利は碧之の体ごし向こう側に目を向けて微笑む。どこから取り出したのか、手には拳銃が握られていた。
「って、うわっ、銃だし! 煤ヶ崎さん、まさかそれで」
「そうよ、これで戦うのよ。あと、私の事は煤利って呼びなさい」
「あ、ああ……ごめん……す、煤利」
 それでいいのよ、と言って不敵に笑う煤利の横顔は尚も一点を見つめている。
 けれど敵ってどこにいるんだよ、と言いつつ碧之は煤利の視線の先が気になったのでその方向を何気なく見た。すると、
「……え? な、なんだよ、あれ……」
 遠くに何かを見た。碧之の視線はソレに釘付けになる。
 碧之の視線が捉えたのは――一匹のモンスターだった。そう、まさにモンスターと形容する他ない生物がいた。
 それは草原の遙か彼方から、二足歩行の猛スピードでこちらに向かってきていた。それは一見人間のような姿形に見えるがしかし――その頭は異様に大きく、まるでサッカーボールのように真ん丸で――とにかく異形の怪物だった。
「ああ、あれはね……さっき私が戦っていたモンスターよ。後一歩のところまいったんだけど詰めが甘かったわ……なら丁度いいわ。今度こそ奴を仕留めるわよ。私達2人で」
「ふ、2人でって、僕も戦うの!?」
 既存のどんな生物からもかけ離れた異物を前に、碧之は足が竦む。
「大丈夫よ。あいつはもう随分弱っているし、私がしっかり援護してあげるから。あと、僕は禁止だって。そんなんじゃすぐにやられちゃうわよ」
「あ、ああ……分かった、ぜ」
 しぶしぶながら碧之は戦う覚悟を決めたが、その瞬間ある疑問が頭をよぎる。
「あ、あの。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、す……煤利」
「ん? 何かしら?」
「僕……じゃなくて俺には武器ないの? ほら、煤利が持ってる銃みたいな」
 手ぶらだし、戦う術を何も持っていない碧之。
「あら? 武器持ってないの?」
 煤利は素っ気なく訊いた。
「いや、ないよっ! っていうかあるわけないじゃん武器なんて!」
「普通は何か持っているものだけど……珍しいわね。見た目も現実世界と変わらないし、武器も持っていない。あなたここに何しに来たのかしら」
 呆れるように煤利は言った。
「いや、君につれられてきたんだよ! わけ分からない内に!」
「人のせいにするなんてみみっちい男ね。ほんと、あなたってつくづくこの世界に向いてなさそうね。私の見込み違いだったのかしら」
 煤利はわざとらしく肩を落とした。その間にもモンスターはどんどん近づいてくる。それは見れば見るほど滑稽な頭をしていた。
「期待に応えられなくて悪かったなっ。そ、それよりどうするんだよ? 僕……俺、どうやって戦えばいいんだよ!?」
 律儀に一人称を言い直す余裕はあるが、モンスターとの接触まで一刻の猶予もなくなって混乱する碧之。対して煤利は平静を保ったままの調子で言う。
「なら拳で戦うしかないじゃない」
「こ、拳? 素手でやれって!? 無理だよ! だって僕、喧嘩とかしたことないよ!?」
「だから僕は禁止だっての。大丈夫よ、ここは空想の世界なの。要はイメージの問題よ。できると思えば何だってできるし、どんな異能だって使える。勝とうと思えばあんなやつ楽勝楽勝。あとはあなたの問題よ。あなたの戦う意思と気概。そう、あなたの武器は拳なのだから、爆発力と熱血と一直線なパワーとスピードと叫びが要なのよっ」
 燃える瞳で煤利が問う。グッと拳を握りしめていた。どこの熱血教師だ。
「そ、そんな……」
 気合いでなんでもできる世界だというのか。それは……碧之の幼い頃の幻そのものだ。何も考えなくても、ただ素直に真っ直ぐに、信念があれば何だってできる。自分を信じていればそれが正義。きっと最後はハッピーエンドで終わる。そんな少年のおとぎ話。
「さあ、どうする。碧之宮臥。戦うか、それともこのまま負けて、ここでの記憶を失い現実世界の日常に戻るか」
 碧之にはもう――迷っている暇はない。大人の人間サイズの体に直径1メートル位の頭を持った怪物は、あと少しで碧之達の元へ到達する。
「……ああ。そうか……そうかよ……」
 碧之は両の拳を握り、視線を地に落とした。肩がわなわなと震えている。自分自身と戦っている。ここは現実ではない。幻想の世界だ。だったら幼い頃見た馬鹿な夢でもなんでもやってやる。碧之はもう一度、夢を見る。かつて憧れた姿に自分を投影する。自分の中だけにある幻に向き合う。
「……だったら、やるよ。やってやればいいんだろッ! こうなりゃヤケクソだッ! オレがアイツをぶっ倒してやるよッ!」
 碧之のキャラクターはできあがった。そして――初めての戦いが始まった。
「う、うおおおおおおおおおおお!!!!」
 碧之は叫ぶ。意味もなく叫んでみた。拳で戦う男のイメージ。熱い叫びと勢いでなんとかする。余計なことは考えない。碧之の頭はそれらで一杯になる。
 すぐそこまで向かってきていた異常に大きくて真ん丸の頭をした生物。現実には存在しない怪物。はっきり目に見える、倒すべき対象としての象徴。確かに気分は爽快。そして感情の赴くまま、
「らああああああああああああああッッッッ!」
 碧之はその怪物に向かって――自分から飛び込んだッ。
 策も何もなく突っ込む。半ば捨て身の覚悟だった。今はただ自分を信じて、自分の中に漠然とある憧れのイメージをそのまま自分自身に投影させて碧之は突っ込む。
「何が何だかわけ分からないけどおおおおおおお!!」
 右手で拳を固めながら一直線に走る。これが自分なのかと疑う程のスピード。怪物も碧之の勢いに対して怯んだのか、急停止し細い腕を前に突き出し迎え撃つ構えをとる。
「きょえええええぇぇぇぇ!」
 怪物は奇声を発して、表情を変える。今まで面を被っていたかのように滑稽な表情から、牙を剥き出しにした恐ろしいそれへと。
 しかし、碧之にはそんな事どうでも良かった。相手の事なんか関係ない。自分がどうしたいのか。何も考えず、感じるままに行動し、感情を思いっきり出し尽くす。それはきっと気持ちいいことだ。
 だから碧之はスピードを緩めない。最初から最後まで全力。そう、彼がやることは。
「今はただ――こいつをぶん殴るッ!!!」
 走りながら、勢いをつけたまま――碧之は拳を繰り出したッッ。
 怪物はとっさに長細い腕で拳をガードしようと身構える。
「だがあああああ! そのまま吹っ飛べえええええええ!!!!!!」
 碧之の拳は怪物のガードをもろともせず、腕ごと体を叩きつけ、そのまま拳を思いっきり振り切った。
「ぴぃきょおおおおおぉぉぉぉーーーーーーーー」
 怪物の体が後方へ飛ばされる。地面に二度三度バウンドし草原の上を転がっていく。
 その光景に一番驚いていたのは碧之宮臥だった。
「な……なんだ、今のは……これが僕の力……?」
 喧嘩など生まれてこの方一度も経験のない碧之。漫画やアニメの見よう見まねで思いっきり殴っただけなのだがあの威力。いま碧之は、まるで自分の体ではないような疾走感と爽快感に満ちあふれていた。
 果たしてこの世界での自分が強すぎるだけなのか、それともあの怪物が弱すぎるだけなのか。碧之は自分の右手を茫然と見つめながら考えた。そして考えた末、一つだけ分かった。確かにこれはとても気持ちいい事だった。
「それがこの世界でのあなたの力なのよ、宮臥ッ。だけど初勝利の感傷に浸るにはまだ早いわよっ!」
 茫然とする碧之に煤利が檄を飛ばした。
「え?」
 煤利の忠告で我に返る碧之。
 そして次に怪物が飛んでいった方向に目を向けた瞬間――。
「きょおおおおおおお!」
 いつの間にか碧之の目の前に怪物の姿が。そして――。
「ぶわはぁっ!」
 怪物が繰り出したキックが碧之の腹部に直撃。今度は碧之の体が吹き飛ばされた。
「うわあああああっ!」
 草原を十数メートル転がっていく碧之。先程の攻撃の威力で碧之は油断していた。自分の強さに過信していた。だけどそれは間違いだった。この怪物はただの雑魚じゃない。
「宮臥! 早く立ちなさい! 襲ってくるわよ!」
 凛とした煤利の声が響く。直後、怪物が空高くジャンプしてそのまま地面にうずくまる碧之の体めがけて落下する。
「わっわっ!」
 煤利のおかげで碧之は間一髪のところ地面を転がり怪物の攻撃を避ける。
 怪物はしかし、地面の上にでみっともなく這いずり回る碧之の体に追いついて馬乗りになった。マウントポジションをとられてしまった。
「きょきょきょきょきょーーーーー!!」
 喜ぶような奇声を上げる怪物。
 そして怪物は巨大な頭を振り回し、奇声を発しながら馬乗りにした碧之の顔めがけてパンチを浴びせた。パンチ、パンチパンチパンチパンチ。パンチの嵐。
 碧之はその攻撃を腕でガードしようと試みる。そこから脱出しようともがく。
「うわああ! ちょっ、煤ヶ崎さんっ! たっ、助けてえっ!」
 形勢逆転され、圧倒的に不利になった碧之は煤利に助けを求める。
 しかし、煤利から返ってきた答えは非情なものだった。
「宮臥! 諦めないで! こんな敵の攻撃なんてほとんどダメージを受けないはずよ! あなたならできるわ! まずは落ち着きなさい……いえ、違う! もっと爆発させなさい、あなたの感情を! あなたの中にある本能を奴にぶつけるのよ! 能力を開花させるのよ! もっともっと深く、もっともっと熱い、世界を超えたあなたの力をッ!」
 煤利は手を出そうとせず、ただ見守るだけだった。いつの間にか拳銃もしまっている。煤利に戦う気はないらしい。
 一方的に殴られ続ける碧之は煤利を見て思った。んな無茶な……。そんな精神論を実践したって、この状況で一体どんな逆転ができるんだ。
 だが煤利の言うとおり、痛みは感じるが現実世界と比べてそれほど痛いとは思わない。が、あまり感じないとはいえしっかり痛みはある。本当にここは仮想世界なのか。いや、仮想世界だからこの程度の痛みなのか、と為す術のない碧之は他人事のように考えた。
「駄目だ……僕にはできない。煤ヶ崎さんと違って僕には才能なんて何もないんだ」
 殴られ続けて弱気になっていく碧之は、いっそこのまま怪物に殺されて記憶を失って、現実世界でまたつまらない日常を繰り返そうと思った。
 憧れた非日常の世界だったが、実際に自分がその世界の主人公になんてなれるわけがなかったのだ。自分には荷が重すぎるし、ふさわしくないのだ。精神論で全て上手くいくわけないのだ。ヒーローなんてどこにもいないのだ。だから、いっそせめてこの世界の事が忘れられるならそれでいいやと思った。だって、そもそもそんな世界の存在なんて知らなければ憧れることもないし、目指そうとも思わないのだから。
 だからもういいんだ、煤ヶ崎さん――。
 と、碧之がこの世界を諦めかけたその時――、辺りに響き渡る声がした。
「碧之宮臥ああああッ!! あなたはっ、私のパートナーなのよっ! こんなところであなたの物語が終わっていいの!? 私には分かる! 宮臥はこんなところで終わる人間じゃない! だって宮臥と私は同じなんだ! 現実では何も持っていないひとりぼっちの人間。私はあなたなんだッ! あなたは私なんだ! だから負ける事は私が許さないっ! 勝って、宮臥! ここで勝たなきゃ、あなたの世界はもう終わりなのよッッ!!」
 薄れゆく意識の中で声が聞こえた。煤ヶ崎煤利。クラスでいつも一人、教室の隅っこで本を読んでいる眼鏡をかけた引っ込み思案で地味な少女。彼女が学校で友達と話しているところを見たことがなかった。物寂しい少女。
「宮臥、戦って。私はようやく見つけたの、ずっと一人で戦ってきた私の仲間を! 大丈夫、ここでの強さは心の強さ。ハートが無敵なら誰にだって負ける事はないのよ!」
 強く立つ煤利だったが、その姿は孤高に、ひとり泣いているようにも見えた。
 多分それは、碧之も同じだった。そう、ここはようやく見つけた自分の居場所なのだ。そして煤利が碧之を導いてくれたのだ。だったらもう……やることは決まっていた。
「……そうだよな。ここで勝たなくちゃ主人公失格だもんな。ああ、そうだ。よく考えたらこんなボールみたいな雑魚キャラに負けるわけないよなあ!」
 この世界では迷わないのだ。自分の正しさを信じて行動する。それこそがここでの碧之の正義なのだ。彼の憧れであり、彼自身。
「うおおおおおおおおおおおををををを……」
 頭を庇うように腕で防御していた碧之は、その腕で馬乗りになる怪物の胴体を掴み――そのままバックドロップッッ!
「きひょおおおおおおぉぉぉぉ!」
 怪物の頭が地面に激突する。碧之は素早く立ち上がって、大きな丸い頭に狙いを定める。
「ボールはボールらしく飛ばしてやる! オレの、必殺シュートでぇぇええええええええええ!!」
 碧之は丸い大きな怪物の頭を――力の限り蹴り飛ばしたッ!
「ピョッ……ぴょおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ……」
 怪物は遙か彼方、碧落へと姿を消す。碧之の初試合にして初勝利だった。
「はぁっ……はぁっ……」
 初めての戦いで辛くも勝利した碧之は肩で息をする。疲労困憊だった。
「ふ……よくやったわ、宮臥。とりあえず、初勝利おめでとうと言ったとこかしら?」
 気が付けば碧之のすぐ後ろに煤利。燃えるような紅い髪と血を吸ったような朱い瞳。
「はぁ、はぁ。すす……煤利。うん。な、なんとかギリギリだったけどっ……」
 息も切れ切れに碧之は喜ぶが、それよりも碧之には言っておきたいことがあった。
「っていうか、煤利。僕……オレ、あんなにピンチだったんだから助けてくれてもよかったのに……」
 息も切れ切れに碧之は煤利に不満を漏らした。
「助けたじゃない。あなたにエールを送ったわ。私があなたの為にするのはそれくらいよ。あれで負けたなら所詮あなたはそこまでだったのよ」
「な、なんだよ。その言いぐさは……さっきはあんなこと言っといて。僕……オレはあの言葉でその気になったんだぞ」
 碧之はむっとして目くじらを立てる。
 煤利はと言うと、いたって平静に淡々と答えた。
「お膳立てよ。こうした方が物語が盛り上がるじゃない?」
 とんでもない理由だった。
「も、盛り上がるってあの言葉はたったそれだけのものだったのっ? なんかそれで熱くなっちゃたオレが馬鹿みたいだ!」
 しかし、煤利はちっちっちっ、と碧之を小馬鹿にしたように指を振る。
「だから、私はあなたを助けたのよ。危なくなったら私が援護するって言ったじゃない」
「あれが援護ぉ? あれは援護というよりただの応援じゃないか!」
 応援するだけで勝敗が決するなら、世の中もっと上手くいくはずだ。
「だから、そういう考えが駄目なのよ。だってここは仮想世界なのよ? だったらあんなに応援しておいて、あなたが負ける事は物語的に考えておかしいの。感謝しなさい。勝利フラグをあなたにあげたのよ?」
 確かに客観的に見ればあんなシーンで碧之が負けるのは流れ的におかしい。というか、そもそもあの敵の見た目からして負ける気がしない。
 それに、と煤利は片目を瞑って不敵に笑った。
「可憐で清楚なこの私が応援するのだから勇気100倍でしょ。それで負けたら私の沽券に関わるわよ。勝利の女神としての面目丸つぶれよ」
 どん、と胸を張って偉そうに言う煤利。
 なにかツッコミたかった碧之だったが、もうそんな気力もなかった。
「なんだかよく分からないけど……ま、いいや。なんか疲れた」
 そんな碧之の様子を見て取ったか、煤利も脱力したように落ち着く素振りを見せた。
「そうね……目的の敵も討伐した事だし、そろそろ帰りましょうか……でも、あの必殺技名はなんなのよ。必殺シュートて……そのまんま。ダサすぎるし恥ずかしすぎるわ」
 触れて欲しくなかったところを煤利は突っ込んできた。碧之は俯き加減になった。
「う……だっ、だって雰囲気が大事だって言ったのは煤利じゃないか! そんな急に技名なんて思いつかないしっ」
 早口にまくし立てる碧之。
「ま、初めてにしては上出来な方よ。恥ずかしがることはないわ」
 じゃあ言うなよ、と碧之は思うが口には出さない。煤利は尚も興奮気味に言う。
「そうね。じゃあこれからは敵にはとどめを刺す時、必殺技を叫ぶようにしなさいよね」
 煤利は鼻を鳴らしながら意気揚々ととんでもない要望をすると、紙幣のような一枚の紙切れをおもむろに取り出して、何もない中空に向かって放り投げた。
 煤利の手を離れた紙切れは、風に乗って飛ばされようとする瞬間、突如消滅して代わりに光が現れた。
 それは碧之と煤利が現実世界から今いる世界に来るときに通った、光のトンネルだった。それは異次元の扉、時空のねじれ。それは『扉』。
「な、なあ……煤利。これ一体どうなってるの?」
 この世界に行く際にも思ったことだが、これこそが一番の謎なのかもしれない。
「詳しい事はまた今度話すわ。あまり一度に説明するのもなんだし……それにね、謎は少しずつ解明されていく方が面白いのよ。さぁ、ぐずぐずしてると扉が閉じるわ。行きましょ」
 そう言って煤利はさっさと光の中を通ってその姿を消した。その背中はやけに小さく感じた。もしかして閉じてしまえば永遠にこの世界に取り残されてしまうのかとか考えながら碧之も慌てて光をくぐった。


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