ヒーローズ

第2章   漂流劇場

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 ゲートをくぐり抜け眼前に広がる景色を見て、碧之は仰天した。
 そこにあるのは――荒涼とした砂漠だった。
「って、これ昨日と全然違うッ!」
 昨日訪れたフォルス・ステージは見渡す限りの草原だった。生き物の姿は碧之が倒したモンスター以外にいなかったけれど、あの時は確かに自然豊かな印象は受けた。
 だけど、今目の前にある光景はまさに生き物にとって過酷な環境、熾烈な生存競争が強いられる場所、ラクダがその辺にいてもおかしくないような場所……現実の砂漠そのものだ。
「ああ、言うのを忘れていたわね。基本的にフォルス・ステージには毎回ランダムで進入することになるの。まあ、条件さえ合わせればある程度は自分の望む地点に行くことができるんだけど。昨日みたいにね」
「うぅ〜……」
 ルールが多すぎて碧之にはついていけない。なるほど確かに煤利の言うとおり、あまり細かいところにいちいち突っ込んでいてもキリがないのかもしれない。細かいルールは次第に覚えていけばいいやとこの時の碧之は気楽に考えていた。
 けれど、碧之はそれを後に後悔することになる。そう、この世界はそんなに甘いものではないのだ。ここは彼らにとっては所詮仮想世界なのかもしれないけど……この世界の者にとってここは紛れもなく現実なのだ。
「それじゃあ、今日も特訓するけど……宮臥。ちゃんとキャラ作りはできてるわね?」
 煤利は髪を軽く掻き上げて不敵に笑う。その髪と目は紅く、朱かった。
「あ、ああ。こっちではオレは熱血バカなキャラでいりゃあいいんだろ?」
 口調も様になってきたが、やはりまだ恥ずかしさも感じる碧之。だけど、普段の自分とはまるで違う自分でいられるのは結構楽しかった。昨日の晩、部屋で一人練習していた甲斐があったと碧之は思った。そんな恥ずかしい事とても煤利には言えないけれど。
「そうそう。なかなかいいじゃない。じゃあ今日はこの世界に慣れる意味で適当に散策していきましょうか。で、丁度いい敵がいれば狩りましょう」
 そう告げて、煤利は荒涼とした大地を歩き始める。どこに向かっているのだろうか。
「ってゆーか、そもそもさ。敵を狩るとかなんとか言ってるけど、この世界での目的はなんなんだ? ゲームだったらクリア条件とかあるんじゃねーの?」
 ただ単にこの世界でモンスターを倒し続けるだけなら、さすがに虚しいものがある。
「うん、クリア条件ね。それはね――この世界を救うことなのよ」
 煤利は砂漠をずかずか歩きながら、なんでもないようにサラリと言った。
「せ、世界を救う?」
 ゲームの中ではなんともありがちな話ではあるけれど、いきなり壮大な事を言われ碧之も戸惑った。
「だ、だって……世界を救うって具体的に何するんだ? 魔王でも倒すのか?」
 ゲームなら大体ラスボスを倒せば世界は救われる。この世界にそういう存在がいるというのか。だけど煤利の答えは甘くなかった。
「いれば分かりやすいんだけどね……具体的には分からないというのが現状ね」
「はあ? 分からない!? じゃあなんで世界を救わなくちゃいけないんだ。一体何から救うんだよ」
 そんな曖昧ではゲームとしてあやふや過ぎる。
「分からない……私には分からない。でもこの世界が救いを求めてることは確かよ」
「なんでそんな事言えるんだ」
「この世界の人達は助けを求めているの。救世主を求めているのよ」
 照りつける太陽が煤利の赤髪に反射して、燃えているように見える。
「……えっ? この世界の人? この世界に人がいるの? それってオレ達みたいな他のプレイヤーとかじゃなくて?」
 てっきりこの世界にいるのはモンスターばかりだと思っていた碧之。
「ええ。私達から見れば、俗に言うNPCみたいなものよ。彼らから見れば私達は……まあ、宇宙人っていったところかしら。あるいは神様」
「は、はあ……神様とはえらく大きくでたな」
 だけど、別の世界からいとも簡単に降臨されれば、神様だと言っても信じてしまいそうな話ではある。
「それよりもっと歩くペースを上げましょ。あまりダラダラしていたら帰ってくるのが遅くなってしまうわ」
 煤利は面倒臭そうに話を切り上げると、スタスタ先を歩いて行った。
「そうだな。砂漠なのにそんなに暑くないから気が抜けてたよ」
 碧之はその後を慌てて追った。
 空にはかんかん照りの太陽が眩しく輝いていたが、この世界では感覚に耐性ができているのか、あるいは抑えてられているのか、痛みと同様に暑さもそこまで感じない。せいぜい夏の日差しくらいの暑さくらいだった。
 まあだけど、夏の暑さも暑いことは暑いので、とにかく碧之にしてみれば早めに敵を倒して帰りたいところだった。いつまでもこんな場所にはいたくない。
「って、そういえば……ここの世界にいられるタイムリミットとかそういうのってあるのか?」
 こっちの世界での1日が現実世界での30分。では制限時間はあるのだろうか。
「……いえ。基本的にタイムリミットはないわ。予め設定しておくとかはできるけど」
 なぜか煤利の顔が曇ったように見えたが、碧之はスルーして呟いた。
「設定ね……そんなのもあるんだ」
 ほとんどルールを知らないままこの世界に参加している碧之だったが、慣れるまで大人しく煤利の言うとおりにしておけばいいかと、気にしないことにする。
「あなたには帰る手段がないのだから私と離れる事になれば、恐らくこの世界から脱出する事ができなくなるでしょうね」
「うそ!? なにか今とんでもない事実をさらっと聞いたんだけど!」
 たかがゲームだとあなどっていたのに、そうは問屋が卸さないということか。
「大丈夫よ。私の傍から離れなければいいだけよ。あなたの安全は私が責任を持つわ」
「な、ならいいんだけどさ……なんか心配だな」
「なによ、私が信用できないって言うの?」
「いえ、そんな事ないです。すいません」
 つい素のキャラに戻ってしまう碧之。ペコリとお辞儀。
「とにかく日が暮れる前には帰りたいから滞在時間は長くとも数時間ってところで」
「う〜ん、数時間もこんな砂漠を歩き続けなくちゃいけないのか……」
 だけど、砂漠といっても碧之にとってはさほど過酷に感じることはなかった。痛覚などの感覚はある程度抑えられているからだろう。そして、たとえここで死んでもこちらの記憶を失って現実世界に戻るだけなのだ。
「できれば村か町にでも行ければいいのだけど……この調子じゃ今回は無理かな」
「そうだな。できればオレもフォルス・ステージの住人ってのを見てみたい気がする」
 ここから見える建物は唯一、骨みたいな白い建物だった。その時、碧之は気が付いた。そういえば初めてこの世界に来た時も草原であの建築物をみたような気がしたのだ。
「あのさ煤利、あの建物なんだけど……って、あれ? 地震?」
 碧之が白い建造物について尋ねようとした時――大地が微かに揺れているのを感じた。
「あら、なにかしら……もしかして、敵……」
 と、煤利が拳銃を手にしようとしたその時だった。
 突然の大地が唸るような低い轟音と世界が弾けたような衝撃――。
「えッ!?」
「きゃあッ!」
 まさにそれは混沌だった。砂塵が舞い、地面が裂ける。轟音。衝撃――。
「なっ、なんなんだ、あれは!?」
 避けた地面からゆっくりと何かが現れた。
 黒い大きな影。そして、鳴き声。
「ぶおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!」
 とんでもない異常事態が発生した。
 それは巨大で圧倒的な暴力の塊。化け物の中の化け物。大地はその異界の怪物に震えている。
「くっ、宮臥! 気を付けて! こいつはモンスターよッ!」
 煤利は腰のホルスターに備えた拳銃を両手それぞれに持ち、地面の裂け目に構えた。
「宮臥、あなたは離れていて! 多分こいつはかなりの大物よ! あなたでは太刀打ちできないわ!」
 かなり慌てた様子の煤利。きっとゲームで言うところのボス級なのだろう。
「そ、そんなっ。オレだって……」
 戦える――と、碧之が言おうとした瞬間。
「ヴオオオオオオオオオーーーーーーーーーッッッッッッッ!!!!!!」
 奇声を発して、今まで地面の下に潜んでいた何かが一気に地上へと全身を現した。
 それは――体長50メートルはあろうと思われる超巨大なミミズのような、芋虫のような、あるいはヘビのような――毒々しい色彩と模様を持った生き物だった。
 碧之は思わず口をぽかんと開け茫然自失としてソレを見上げていた。
 煤利は小刻みに震えていたが、
「な、なにこれ……ヘビ? こんな敵今まで見たことない……だ、だけど私にとっては関係ない!」
 彼女は戦意を取り戻すかのように叫んで、両手に構えた拳銃を放った。煤ヶ崎煤利。彼女の実力が明らかになる――。
 と、その瞬間、キィィーーーンと甲高い金属音音が周囲に響いた。
「なっ、なんだっ!? この音はっ」
 思わず耳を塞ぐ碧之。
 これはモンスターの鳴き声か?
 いや……違った。これは――発砲音。あまりにも速すぎて碧之には分からなかった。これは煤利が拳銃を撃ち続ける発砲音だった。超高速でマシンガンのように、いや、それ以上の速さで弾丸を打ち続ける煤利。
「狂うように死と踊れ――銃撃舞踏会」
 まるでダンスを踊るように、体操選手のように、アクロバティックな動きで巨大なモンスターの周りを舞いながら拳銃を乱射する煤利。空中に跳び上がりダイナミックに乱射する煤利。
 それはとても拳銃とは思えない早さでの乱れ撃ち。煤利は砂漠を駆け抜けながら砂をまき散らせ、息つく間のない銃撃の嵐を浴びせ続ける。
 これが煤利のフォルス・ステージでの真の姿。その姿は華麗。まさに華麗華麗華麗華麗。
「す、すごい……こんな動き……」
 碧之はもはや茫然と見ていることしかできなかった。モンスターは雄叫びを上げながら煤利に向かって体当たりしようと体をのたうち回せている。
 だが、煤利は迫り来るモンスターの巨体をひらりと避け、銃を撃つのをやめない。さっきから弾の補充をしていないようだが、碧之が気付かない内に行っているのだろうか。
 さらに先程から見ていると、発射された弾にも不思議な点があるように見えた。弾道に色が付いているようだ。しかも撃つ度にその色は変わって、モンスターに当たる度に違った衝撃が与えられているように見えた。
「こいつの弱点が分からないからね、とりあえずあらゆる属性を試しているのよ」
 バババババババッ――と、攻撃の手を一切緩める事なく説明する煤利。もしかしてこれはゲームなどに見られる、いわゆる属性攻撃というやつなのか。
「よく分からないけどっ、でもいいぞ。このままならやれる! いっけー煤利ッ!」
 碧之は煤利の勝ちを確信した。だが、それは間違っていた。
「ずぉ、ぞ……ゾォおおお……」
 今まで煤利の銃弾をその身に浴びせ続けられていた巨大ヘビモンスターが突如、動きを止めて奇妙な声で鳴いた。
 何のつもりだと碧之と煤利が様子を窺うと――直後。
「ゾ……ゾオオオおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオ!!!!!」
 怪物は口を大きく開けて叫んだ。否、これは叫び声ではなかった。
「こ、これは……吸っているっ!?」
 そう。怪物はその場の全てを飲み込む勢いで大きく息を吸う。そして事実、大地の砂が、岩石が次々と怪物の中へと吸引される。怪物は本当に全てを飲み込むつもりだった。
「う、うわあっ!」
 もの凄い吸引力でバランスが崩れる碧之。
「なんなのよこいつは……こんな敵が存在するなんて……く、宮臥っ、耐えるのよ!」
 碧之も煤利も怪物の引力に引き込まれようとしていた。
「だ、駄目だ。煤利っ! このままじゃ……」
 怪物の近くにいる煤利の体が徐々に引きずられる。碧之は拳を握り怪物を睨む。
「だ、駄目よ! 宮臥! あなたはここから離れて! 私の事は気にせずにはやく!」
 煤利はもう限界だった。身動き一つでも取れば、その小柄な体は浮いて一気に怪物に飲まれてしまうだろう。だから碧之は気にせずにはいられない。そうだ、碧之はグダグダ考えるようなキャラじゃないのだ。
「は……ハッ! な、なに言ってンだよ、煤利ッ! アンタがオレに言った事忘れたのか? オレは直情的にやりたいことをやるんだよ! そしてオレは今、アイツをぶっ飛ばしたいッ、それだけだ!!」
 半ばやけくそだった。だけど、今の碧之の中の正義はそれだった。これはゲームなのだ。きっと大丈夫。だから、碧之は思いっきり口元を歪めて笑って――怪物に飛び込んだ。
「おいヘビッ、とりあえずオマエはオレの拳を受けやがれえええええッ!!!!」
「む、無理よ。宮臥っ、宮臥ッ!」
 煤利の制止も聞かず、碧之は大きくジャンプして、怪物に吸引されながらもその頭をめがけて拳を叩きつけようとする。だけど――、
「って、うっ? わっ、あああああっ」
 碧之のスピードが怪物の吸引力に殺される。空中で碧之はバランスを崩して、そのまま一気に怪物の口の中に引き込まれる。
「ぞおおおおおおおおおおおおおおんんんんんんっっっっっっっっっっっっ」
「すっ、煤っ……」
 そしてシュルン――と、碧之宮臥は怪物の口の中へと消えていった。
「宮臥っ! 宮臥ああああああ!」
 碧之は怪物に飲まれながら煤利の声を遠く聞く。
 碧之は意識が消えゆく間際、怪物の口の中から外の景色を垣間見た。
 そこには拳銃を捨てて、どこから取り出したのか対戦車用に用いられるような馬鹿でかいバズーカを担いでこちらに向かってくる煤利の姿があった。
 しかしその数瞬後、煤利の体はバズーカごと浮き上がり、遙か彼方に飛ばされていった。もの凄いスピード。それは今まで怪物が吸っていた息を一気に吐き出す出力。
 だけど、それでも碧之はまだ怪物の中にいた。そして気付いた。そうか、自分は食われたのだ、この生き物に。そしてこのまま死んで現実世界に戻るのだな――と。
 碧之はとても悔しくて、そして寂しく思った。


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