ヒーローズ

第1章 碧之宮臥の幻想体験

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3

 
 光を抜けた先はオレンジ色の夕日に染まった公園で、碧之と煤利は砂場の上にいた。
「……ここは現実世界で、つまり元に戻ってきたって事でいいんだよな、煤利」
 碧之はぽかんとした顔で辺りを見渡す。『フォルス・ステージ』に行く前と全く変わらない様子だった。
「そう。ここはもう現実の世界。そして碧之君。ここでは私の事、煤ヶ崎でいいのよ」
 煤利の姿も元に戻っていた。サラサラとした綺麗な黒髪に、つぶらで大きくぱっちりとした黒い瞳。それを覆う黒縁眼鏡。
 もちろん拳銃なんて物騒な物は持っていない。
「……あ、ああ。そうだったね……えと、煤ヶ崎さん……でもちょっと疑問に思うことがあるんだけど」
「……なに?」
 眼鏡の奥にある目を細めて、小さく首を傾げる煤利。そこには『フォルス・ステージ』でのとげとげしさは微塵も感じられなかった。碧之は虚構の世界で聞いた、煤利の言葉がふと脳裏によぎった。現実では何も持っていないひとりぼっちの人間。碧之はなんとなく目を合わせづらくなって逸らした。
「あ、ああ……それは、ほら、この公園さ、フォルス・ステージに行く前と全然景色が変わってないというか、人も居ないし、まだ日も沈んでないようだし……まるで……」
 まるで時間が経っていないようだった。あちらの世界には大した時間いたわけではないのだが、少なくとも現実世界で太陽が沈む位の時間は経過していたはずだ。
「ああ、それ……いいところに気が付いたわね、碧之君。うん、碧之君は時間が経っていないって言いたいのだろうけど、正確には言えば完全には止まっていない。だけど、時間の進み方に大きく差があるの」
 ぽつぽつと、囁くような声で話す煤利。これがあの拳銃を持った赤髪の少女と同一人物だとは碧之は思えなかった。
「私が調べたところ、だいたい向こうの世界での1日が現実世界での30分に相当するの」
「えっと……じゃあ、あっちには1時間くらいしかいなかったから……」
「現実では30秒くらいしか経っていないってわけ。まあ人がいないのは結界のおかげだけど……ああ、簡単に言うと世界が異界に繋がる時、その周囲には人が近寄らなくなるの。詳しい事は分からないわ。ただ、そういう風にできているとしか」
「そ、そうなんだ。よくわからないけど……」
 碧之は納得しかねるといった感じにう〜んと腕を組んだ。
 煤利はそんな碧之の様子を見て、
「そう。じゃあ、今日のところはこれで……」
 煤利は碧之に背を向けて立ち去ろうとした。
「って、待ってよ。煤ヶ崎さん! そんな淡泊なっ!」
 碧之は煤利を慌てて止めようとする。
「……何? まだ何か質問があるの?」
 振り向いた煤利の顔立ちは大人しかった。抑揚のない話し方。これが本当の煤ヶ崎煤利の存在。笑わない少女。碧之は一瞬言葉に詰まった。呼び止めたはいいが、聞きたい事が咄嗟に浮かんでこない。
「……。何もないなら私はもう帰るけど」
 再び背中を向けようとする煤利。その時――碧之は煤利についての、ある大きな謎が脳裏によぎった。
「え……えっと。そうだっ。僕はどうしても気になる事があったんだ」
 人形のような煤利の顔を見ている内に沸いた疑問。
「それは……なに?」
「さっきは曖昧にしか答えてくれなかったけど……君は――どうしてこのフォルス・ステージの事を知ったの?」
 瞬時、煤利の体が硬直する。だが、すぐに長い黒髪を横に振って答えた。
「今は、教えられない」
 少しの間、目を閉じて小さく答える煤利。
「どうしてっ? な、なら質問ならまだあるっ。これがゲームだと言うなら、いったい誰が何の目的で創ったっていうの?」
 碧之はこのゲームの根源的な謎を問う。こんな大がかりで科学も現実も超越した世界、こんな非現実的な存在、体験してみて一層ますます信じられない。
「詳しくは知らないけど、このゲームの開発者は世界の創造主って呼ばれているみたい。他には何も知らないし、教えられない」
「だから、なんでっ……」
 煤利はほら、と言って公園の入り口に視線を向ける。碧之がそちらに目をやると、数人の小学生らしき子供達が野球道具を持ってこっちへやってくる姿があった。
「分かっていると思うけど……このことは他言無用。むやみに話せばあなたは記憶を消されて二度とフォルス・ステージに行けなくなるかもね……まぁ冗談だけどね」
 脅すように忠告して、今度こそ煤利は碧之に背中を向けて去っていった。その背中はか細く、今にも折れてしまいそうなほど脆く感じた。
 そして煤利の姿が見えなくなってから碧之は気付いた。煤利を煤ヶ崎と呼ぶことに、碧之はなんだか寂しさのようなものを感じていたことに。


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