ヒーローズ

第2章   漂流劇場

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

5

 
 碧之が目覚めた時、そこはまたしても見知らぬ場所だった。
 すぐ目の前には大きな湖。そして周りを見渡せば、生い茂る花や雑草。そこら中を跳ねる昆虫に小動物――どうやらここは木々に囲まれた森の中らしい。
「うぬぅ〜……こ、ここは……なんで僕はこんなとこに」
 頭がズキズキと痛む。碧之はストレィ・ショットに気絶させられたようだった。フラフラした足取りで立ち上がると、生い茂る木々の中から人が現れた。
「目が醒めたか」
 そこにいたのはストレィ・ショットだった。
「うわっ!? っと、え、えっと……なっ、なんでオレはここにっ! ていうかアンタなんでオレを――」
 状況がさっぱり把握できない碧之。身構えてストレィ・ショットと対峙する。もしかしたら、この少女は碧之の敵なのかもしれない。
「まてまて、そう身構えなくていい。これにはな、事情があるんだ。お前をカロンの奴らに渡すわけにいかないからな……俺達の目的の為に」
 ストレィ・ショットはぶすっとした顔のまま言った。どうやらあまり感情を表に出さないタイプのようだ。
「どうなっているのか全然分からない……アンタは一体なんなんだ」
 碧之は風雲の言葉を思い出す。カロン国に敵対する組織があることを。もしかして目の前の少女は……。碧之は警戒したままストレィに詰め寄った。
「さっきはお前の正体が分からなかったからな……探っていたのだよ」
「さ、探っていたって……」
 碧之にしてみればストレィの方がよっぽど怪しいのだが。
「まぁそんな事は水に流して……お詫びと言ってはなんだが、今度は俺の事を話そう」
「水に流すって……」
 お前が言うのかよ。
 それに碧之は別にストレィの事を別にそんなに知りたいとは思わないし、それより早くカロン国に行きたかったのだが。
「俺は世界を守る為にカロンと戦っている。お前をカロンを渡すわけにはいかない」
 ストレィは顔をむすっとさせてきっぱりと答えた。
 碧之はその言葉にぎょっとする。やはり目の前の少女は……カロン国の敵。
「ちょっと待て。な……なんでカロン国と戦うんだ」
 警戒心を抱きながら碧之は静かに尋ねる。
「この世界……フォルス・ステージを救うためだ」
 自信たっぷりに、ストレィは言った。
 そのあまりの堂々っぷりに怖じ気づきながらも碧之は言う。
「で、でもカロン国は世界を救おうとしているんだろう?」
「それはカロン国の女王が言っている出任せだ。本当に世界を救おうとしているのは俺達だ。奴らこそ世界に破滅をもたらす存在なのだ」
 碧之には何が正しいのか分からなくなった。碧之は元の世界に戻るためにカロン国に行こうとしていただけなのに、こんな展開になるなんて。
「……いや、でもちょっと待ってくれ」
 碧之は思案している内に、一つ疑問に思ったことがあった。
「それで、なんでオレが誘拐されなくちゃいけないんだ? オレがカロン国に行っちゃいけない理由ってなんなんだ?」
 少女がカロン国と敵対している事実は分かった。だが、それと碧之がカロン国に行く行かないは関係ないのではないだろうか。
 ストレィは碧之の言葉を受けて、少し顔を曇らせたみたいになった。そして、
「ああ、その事なんだが――」
 と、ストレィが口を開いたその時だった。
 ズシン――と、地響きの音。
「え?」碧之は驚いて、そしてすかさず振り返る。
 そこは森の中、木々が倒れていく光景があった。
「えええっ?」
 異様な光景。鳥たちが一斉に空高く飛んでいく。木々は次々と倒れていく。その軌跡は碧之達の方へと近づいて来ていた。
「なっ、なんなんだよ……」
 碧之は恐れる。
 しかし対照的に、ストレィ・ショットは尚も平然とした顔のままだった。
「どうやら野生のモンスターのようだな」
 ストレィはこのアクシデントをなんでもないように流す。
 だが待て……モンスター? つまりそれは――。
「グギャアアアアアアアアアアアッッスッッッッッッッッッッッ!!!!」
 それは、植物のモンスター――だった。
 ただし大きさは軽く10メートルを超える巨大植物。本体の中央に赤い顔のようなものがあり幾本ものツルがそこから伸びている。その怪物が木々をなぎ倒しながらこちらへ向かってくる。
「あ、あんな……」
 碧之は突然のハプニングに茫然としている。
「なんだ……ただの雑魚か」
 しかし、ストレィはやはり碧之とは対照的に余裕を保ったままだ。
「――ならば一撃で」
 怯んでいる碧之をよそにストレィは背中に抱えていた弓を手にとった。
 そしてそれを植物に向けて構えようとした――が。
「……。ふん、どうやら俺の出番はないようだな」
 ストレィは弓をしまった。
「え、どういうことだよ」
 ストレィの不可解な行動に碧之が説明を求めようとしたその刹那――。
 ザンッ――と心地よい音が森中に響き渡った。
「……」
 ほんの数瞬、静寂が訪れる。だが、しかし。
 ザン。ザン。ザンッ。小気味いい音が繰り返される。ザンザンザンザンザンザザザザザンッ。
 そして植物の怪物の動きがピタリと止まる。
 更に音は休むことなく続けて――斬! 斬斬斬斬斬ッと心地よく爽快に鳴り響く。
 しばらくすると音はすぐに止んだ。
 再び森は静寂に包まれる。やがて――。
「ギャ? ギャギャギャギャギャ……」
 植物の怪物が苦しそうに呻いた……次の瞬間。
「ぎゃ……ぁ」
 植物の怪物はあっという間にバラバラになって――崩れ落ちた。
「ど、どうなっているんだ、一体!?」
 口をぽかんと開けて見守っていた碧之だったが、とうとう耐えきれなくなって叫ぶ。
 いきなり現れていきなり細切れになって退場。この植物に何があったのだ!?
「ああァあああああああ!!!?? 俺様が切り刻んでやったァアアア!!!!」
 植物がバラバラに崩れ落ちた跡に立ち尽くしていた――両手それぞれに長い剣を持った一人の若い男が、叫んだ。

 湖から森の中に入った少し先にある小さな小屋。碧之とストレィと謎の男が互いに牽制し合うように向かい合っている。
「……んでぇ〜、なんだぁあ、貴様はァああああ? とりあえず殺していいかァ、貴様ァ」
 すごい巻き舌で謎の男は言う。見た目は10代の後半くらい。碧之と同じくらいといった感じだ。そして両腰には長い剣がそれぞれ掛けられている。ウニのようにツンツンと逆立った黒髪と、神父風の真っ黒のコートが特徴的だった。
「オオォイッ、なんとか言ったらどぉなんだあアアアア?」
 性格はかなり尖っている模様だ。気性の荒々しい俺様タイプ。
「え、え〜と、オレは宮臥って言うんだが……アンタは?」
 さすがに殺されるのは堪らない碧之はとりあえず波風を立てないように名乗ったが、こういう場合、自分はこのキャラと張り合うくらいの事しなきゃいけないんだよな〜、と言ってから少し後悔した。
「ハッ、貴様がストレィが言ってた例の人間だなァ! 聞けいッ! 俺様の名前はセイヴァ。この世界最強の男だァ! だからとりあえず貴様はひれ伏せぇッ!」
「ひっ……」
 こんな強烈キャラに太刀打ちできない。碧之は一気に大人しくなる。
「彼が俺達の組織……『ナイト・フライト』のリーダーだ」
 ストレィがフォローを入れるように横から説明を入れる。
「ナイト・フライト? リーダー?」
 この粗暴な男がリーダーなのか。こんな人間がリーダーをしていて、果たしてその組織とやらは大丈夫なのだろうか。
「そうだぁあ、俺様は常にトップだッ。そして、俺達はカロンを打倒する者達なのだッ!」
 碧之の胸中も知らずに、セイヴァは胸を張って偉そうにふんぞり返っている。
 碧之はセイヴァの態度に若干戸惑いを覚えつつ話しかける。
「それで……教えてくれよ。アンタ達は何をしている組織なんだ? オレをこんなところに連行してきた理由はなんなんだ?」
 さっきは植物に襲われて聞くことのできなかった質問を再度ぶつける碧之。
「アア!? それは貴様が世界の真理を求めているからだろォがァ!」
 それにしても声がでかい男だ。いったい何に怒っているのだろうか。どんどん語気が荒くなっていくセイヴァ。
「世界の真理を……じゃあアンタ達もしかして」
 カロン国が極秘裏に研究している世界の真理。世界の真理とは碧之が住む現実世界のこと。ならばそれを知る彼らは――。
「そォだァあ! 俺様達はプレイヤーだよォ! 貴様と同じなァア!」
 セイヴァは、ともすれば小屋が崩れてしまうくらい高らかに高笑いした。
「ちょ、ちょっとセイヴァ。まだ彼がそうと決まったわけじゃないッ。無闇にそんな」
 ストレィが慌てながらセイヴァに言い寄ったが、
「ブワハハッ! 煩いぞ、我が下僕ッ。こいつがプレイヤーでないのなら俺様がたたき切ってやればいいことだァ! それにィ、俺様は忠実なるしもべの言葉を信用している! 主人公である俺様の判断は常に正しい! ストレィよ、貴様がこいつの事をプレイヤーだと思っているなら、俺様は問答無用の無条件でそれを信じるし確定しよう! さぁ、宮臥とやら。貴様は現実世界から来たのだろォ?」
 言っている事は滅茶苦茶な気がするが、同時になんとなくカッコイイ事を言っているような気もする。これが言葉のマジックか……というか、碧之にとっては嘘でもプレイヤーではないと言えない状況。たたき切られなくてよかったと胸中で安堵しながら答える。
「そうだ。オレは現実の世界から来た。それで、とある事情から今は元の世界に帰る方法を探しているんだが、アンタ達なにか知らないか?」
 ついでに現実世界に帰る方法を尋ねる碧之。もしかしたらカロン国に行くまでもなく簡単に現実へ戻れるかもしれないと淡い期待を抱く。しかし世の中は甘くなかった。
「フワッハハハッ! やはりッ、俺様の目に狂いはなかったッ! 貴様も漂流者なのだな! ハハハ、安心しろ宮臥とやら。帰れないのは貴様だけではないぞぉお!」
「ま、まさかアンタ達も……」
 この世界に取り残されたというのか。
「ん、いや。俺様は違う。正確には帰らないだけだ」
「か、帰れるのかよ! だ、だったらその方法を教えてくれよ!」
 思わずツッコんでしまう碧之だった。
「それがなァ……俺様の方法では多分、貴様が帰ることは不可能なのだぁア」
「な、なんだよそれ。だって御札みたいなので扉を開くだけなんじゃないのかっ?」
 碧之は興奮して声を荒げる。
「御札……? そぉかぁ……貴様は呪符を使用してこちらに来たのかァア」
 セイヴァは何やら一人で納得するような顔をしてうんうん頷いている。
「ど、どういう事だよ。もしかして他にも世界を行き来する方法があるっていうのか?」
「アァ、あるぜぇ。滅茶苦茶あるぜぇ。貴様はやはり、俺様の方法では帰れないけどなァ。つーか、どっちみち俺様のはァ俺様だけしか行き来できない方法なんだけどなァあ」
 ならば意味はないじゃないか。そもそもこんな男に頼ろうとしたのが間違いだった。碧之は諦めて話を先に進める。
「じゃあさ、アンタ達が俺と同じで、現実の人間だって言うことは分かったけど、なんで俺を攫ったりしたんだ。カロン国に俺が行くことに何か不都合でもあるのか?」
 これは先程ストレィに聞きそびれた疑問。今度こそいい回答が得られればいいが。
「アア〜、めんどくせええええっ! だから言ってるだろぉ。俺様達は世界の危機を救おうと……いや、そんなもの俺様にとってはどうでもいい。俺様はこのゲームをクリアしようとしているんだぁア! カロンはこの世界にとっての脅威なんだよ。だからプレイヤーである貴様がカロンに肩入りするのは俺様達にとって不利になるとストレィは考えたんだろぉがァあ! ちっ、回りくどい事を……こんな奴殺しとけばいいのによォオ」
 もっとも、貴様如きがカロンに付いたところで俺様にとっては何の脅威にもならないがなぁ、とセイヴァは付け足す。
 それにしても鼓膜が破れそうな位うるさい声だ。もう少し静かに話せないものかと思いながら碧之は詰問する。
「カロン国が世界を滅ぼすって言うのか? でも……聞いた話によるとカロン国も世界を救おうとしているみたいなんだが?」
「そんなのは奴らの嘘っぱちに決まってる! 奴らは俺様達こそが世界の脅威だと言い出す始末さぁ! ははっ、笑わせるぜえ! それともぉなぁんだぁ? 貴様は現実の俺様よりもたかが偽物世界の人間の言葉を信じると言うのかぁア?」
「そうではないけど……でも」
「でも……なんだよぉ?」
 碧之は思った。それは違うのではないか。カロン国の人々だってこの世界を救いたいという気持ちは本物じゃないのか。ただ、セイヴァ達とやり方が違うだけでは。ただすれ違っているだけだ。どちらも自分が正しいと思っているから争いが起こる……だけど、そんな事はきっと彼らも分かっていること。こんなことはただの屁理屈だ。だから碧之は何も言えなかった。それに碧之だってこの世界では純粋に正義を信じて戦いたかった。
「……ふんっ。もういい。俺様は用事があるからもぉ行くぜぇエ。お前に構ってる暇なんてねぇんだよォ」
 何も反論できない碧之に興を失ったのか、セイヴァは碧之から視線を外すと、入り口の方に踵を返した。黒いコートが大げさになびいた。
「セイヴァ、俺はこの男を監視するから、後のことは任せてくれ」
 ストレィがセイヴァの背中に呼び掛ける。どうやら碧之は監視されるらしい。
「そうかァ! よろしく頼むぞォ! 我が忠実な下僕よォオ!」
 セイヴァは振り返らないまま威勢良く言って、そのまま小屋の外へと出て行った――と思ったら、ピタリと足を止めて、
「おい宮臥ァ――あんな雑魚くらいでびびってちゃあ、この世界で生きてけないぜぇ?」
 思い出したようにくるりと碧之に向かい、にやりとした笑顔を浮かべ挑発してきた。
「なっ、あれはあまりの巨大さにちょっと面食らっただけだッ!」
 碧之は言い訳する。だが、巨大な敵に対して少なからずトラウマがあったのも確かだった。なぜなら巨大な敵によって今の状況があるようなものだから。
「ハッハァ! 威勢がいいねぇえ! いいぜぇ〜、だったら俺様に証明してみろよぉ、貴様の実力ってやつをよぉおおおお!」
 何を考えているのか、セイヴァは両手をつき出し、掌を上に向けて指をくいくい曲げる。かかってこいと言っている。
 けれど、碧之は迷った。何か裏があるかもしれない。けれど、思い出した。碧之はこの世界で迷うようなキャラじゃいけないのだ。思ったことを思ったまま行動する。
 セイヴァはそんな碧之の心情を読み取っているというのか、更に挑発した。
「――それともぉ、所詮貴様は現実の人間に対しては何もできないのかぁあああ?」
 碧之は吹っ切れた。こんなことを言われちゃあ、碧之はもうその手に乗らざるを得ない。
「……いいのかよ、俺を怒らせちまっても。だったらいいぜ、実はと言うと……オレはさっきからテメェにムカついてたところなんだよッ!」
 理屈なんていらない。碧之は小屋の外にいるセイヴァに向かって全速力で飛び出した。スピードとパワーをたたき込むッ。
「ほ〜うッ。なァるほどォ! 貴様の武器は拳かァ! かっちょいいぜぇ! ならば俺様もそのかっちょよさに免じて拳で応じてやるおおおあああ!」
 セイヴァは腰に差した剣を抜こうともせず、そして拳も構えずに笑いながら立ち尽くす。
「余裕ぶっこいてんじゃねぇぜ、中二野郎ッ! すぐにそのにやついた顔を恐怖の色に変えてやるッ! ……いっくぞッ、怒りの鉄拳ッッ!!!!」
 目にも止まらぬ速さで碧之の拳がセイヴァに炸裂しようとする。だけど、
「ふん、要するにただのパンチじゃねえかぁ。造作もねえ……」
 上体を逸らし拳をかわし、勢いの止まらない碧之の体にパンチを一発、腹部に入れた。
「これがぁ、本当のぉ、パンチってやつだよぉお」
「ぐがっ……おふっ」
 たったの一撃で――碧之の体は地に沈んだ。
 セイヴァは苦しげに地面にうずくまる碧之を見下ろしながら言った。
「貴様ごとき虫けらが俺様を倒そうなんて未来永劫早いんだよ。出直さなくていいぜぇえ、貴様はそこで這いつくばっているがいいッ。ふはははははッ」
 高笑いしながら身を翻し、セイヴァは森の中へと去っていこうとする。だが。
「くっ……待てよ、中二病……。まだ終わってなんかいねーぞ……」
 腹を押さえながら碧之は立ち上がった。足元がふらついている。セイヴァは驚いて碧之を振り返った。
「ふ……ふわハハッ、貴様ぁ〜。なかなか見所があるじゃあねえか〜。獣神の加護を受けた俺様の一撃戦闘不能特性に耐えるとはぁ……少々貴様を見くびっていたようだぁあ。くははっ、ならその根性に免じて俺様の必殺技で殺してやるよ」
「ちょ、ちょっとセイヴァ。まだこの男の正体もはっきりしてないのに殺すのはどうかと思う。しばらくは様子を見た方がいいだろう?」
 ストレィが2人の間に立って試合を止めた。
「フンっ、そうだな。この男は見所もあるしな。おい負け犬、そういう訳で勝負は終わりだァ」
 セイヴァの眼は瞳孔を開き、歯を剥き出しにして嬉しそうににやついている。
「くっ……なんだよ。オレじゃテメェの足元にも及ばないって言いたいのかよ……」
「いいや、違うねェ。貴様みたいな者がこの俺様の一撃を喰らって立ち上がるとはな……見直したンだよぉ。貴様は素質があるぞ。世界最強の俺様には遠く及ばんがなァア」
「ちっ……何を言ってるんだ……」
 碧之にはセイヴァの言葉が皮肉に聞こえた。
「ハハーッ。つまり俺様がこの世界での主人公だという事だよぉ……まあ、せいぜい俺様の下僕になれる位までには腕を上げるんだなァ」
 と言って、今度こそセイヴァは森の中へと消えていった。


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