女はすべて俺の敵!

序章

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

序章 異性に対する宣戦布告

 
 突然だが俺は女が大嫌いだ。女という存在が許せない。男にとって女という存在は己の身を食いつぶす害虫でしかないと思っている。
 そう――男にとって女と付き合うということはデメリットばかりだし、ましてや結婚する事によるメリットなんてたったの一つもない。結婚する奴は馬鹿だ。
 現代の日本では一人身でも充分生きていける社会になっている。昔に比べて遙かに家事は楽になっている。もはや主婦なんていう存在は必要ないのだ。なのに専業主婦を家に置いておくのはもはや間抜けとしかいいようがない。維持費がかかり過ぎる。もはやただの寄生虫だ。
 更にもし子供ができたらもっと恐ろしいことになる。軽はずみに子供一人を作ったとしたら、成人するまで育てるのに数千万円かかるのだ。
 しかも老後も安心なんてできない。いつ自分が見限られて熟年離婚を言い渡されるか分からないのだ。搾取されるだけされて、最後はポイなのだ。その上、慰謝料やらなんややらまで請求されるのだ。夢も希望もありゃしない。
 なんの為に結婚する? 心の充足? 世間体? プライド? 馬鹿らしい。
 現代の考え方でいくと恋愛はあまりにも非効率的すぎるのだ。愛なんてどんなに長くても3年でなくなるものだ。所詮人間を支配するのは本能だ。愛なんて一時のまやかしにしか過ぎない。愛だ愛だ、などと言う奴はマスコミによって洗脳されているだけだ。恋愛こそが正しいみたいな風潮は全て幻想。恋愛が世の中の経済を大きく動かす原動力になるゆえにそんな下らないプロパガンダが世界中の至るところに溢れているのだし、我々はていよく踊らされるのだ。
 女にとっては男は金づるだ。そりゃ恋愛したがるだろう。結婚したがるだろう。その風潮に喜んで乗っかかるだろう。だが――男性諸君はよく考えてみろ。
 価値観が多様化した今、恋愛や結婚だけが全てでない。現に生涯独身者、晩婚化、少子化が顕著に現れている。
 しかしここまで言っておいてなんだが……くれぐれも誤解しないで欲しい。別に恋愛が悪いとは言わないのだ。金に余裕があって、趣味の範囲として恋愛や結婚、子育てをするのはいいだろう。俺だって国家転覆しようと考えているわけではない。俺が言いたいのはつまり、無理をしなくていいと言う事なのだ。
 モテないのならモテないで自分を否定することはない。悪いのはそんな自分に無理することだ。無理をしてモテようと努力する。恋愛したくて自分の容姿や性格を必死で変える。結婚したくて必死でお金を貯める。家庭を維持したくて必死で働き続ける。そんな事をしたって幸せなんてまず手に入らない。無理したってますます不幸になるだけだ。結局最後には何も残らない。そういうことは恋愛というステージでの強者に任せておけばいいのだ。もっと楽に、自分に正直に生きればいいのだ。
 恋愛できないということ、確かにそれは一種の自然淘汰であるように思われるが、現代の発達した日本社会に照らし合わせれば、むしろそれは幸福なことなのだ。モテないのは弱点ではなく、もはや個性の時代なのだ。それは一つの長所と呼べる。ただ自分は恋愛社会の側の人間ではないというだけ。それは誇りに思える事だ。選ばれた戦士なのだ。
 割り切ってしまえば軋轢もしがらみも焦りもない、これほど開放的で自由奔放な人生はない。
 恋愛社会に無理して入ろうとするから、無理して自分を偽るから、いずれボロが出て先述したような不幸な結末が待ち構えるのだ。
 俺は生まれて16年足らずしか生きていないが、幸運にもその真理に到達した。そう、俺も持たざる者だ。そして勿論俺はそのことを嘆いていない。むしろ感謝すらしている。
 だから俺は女と戦う戦士となることを決意したのだ。これは俺と、世界中全ての女との戦いの歴史なのだ――


「――って、いやッ、それは駄目だろッ。さすがに!」
 と、隣から俺の原稿用紙を覗き込む夜見史が声を張り上げた。
「なっ、なぜだあッ!? この俺の崇っ高〜ッな理論を完全否定するというのかッッ!?」
 俺はショックを受ける。これのどこに不満があるというのだっ。俺には夜見史の考えが分からない! ああ、分からないッッ!
「これは完全に女性差別だ! 完全にアウトだろ、発禁だろ。女子層から反感買うって。またクレーム来ても僕は知らないよ。燎池(りょうち)も少しは僕を見習って女の子を大事にする心を持つべきだよ。男として生まれたからにはやっぱモテなきゃ人生損じゃ〜ん?」
 と、モテない男、夜見史は両手を上げて大げさに嘆いた。
 フン、色欲狂いで軟弱者のフェミニストがッ。資本主義社会に支配されたこういう日和見主義が日本を駄目にしたのだッ! ここはビシッと言ってやろう。
「夜見史ぃ〜。貴様はそれでも俺の右腕なのかぁ? 我々の目的を忘れたとは言わせんぞォ〜」
 まぁ、夏休みが終わって間もない時期なのだ。残暑バテということにしておいてやろう。
「いや……っていうか、お前の目的なんかハナから知らないし、そもそも僕はお前の右腕になったつもりはないっての。ほら、いいから書き直してよね」
 夜見史はため息を吐いて、再び俺のノートパソコンを覗き込む。くッ、この分からず屋め。仕方ない……ここは幼なじみに免じて書き直してやるとするか――。

 ――こいつの名前は碑文夜見史(ひふみよみふみ)。俺の存在の在り方と対極に位置する比類なき女好きで、少しお調子者のきらいもあって性格的に少々難があるが、なかなかの逸材だ。童顔で背は低いが見た目も悪くない……いや、というよりむしろ夜見史は美形で、更に女装が似合いそうで、というか女よりも男にモテそうだと俺は思っている。……が、実は本人はその事を結構気にしている。そんな可愛い夜見史は俺の幼なじみであり親友である。ちなみに俺は女が信用できないので友人は例外を除いて専ら男だ。というか男女の友情はあり得ないのだよ、ふははははっ。
 あと、こんなこと言ったからといって勘違いしてもらっては困るが、俺は決してホモとかゲイとかそういうのではないからな。やたらと俺と夜見史の関係を危ないものにしたがる人間が約一名いるから念の為に言っておく。あしからず。
 ちなみに今は放課後。部員が3人しかいない文化活動部という目的のよく分からん部活で思い思いの評論を書いていたことろだった。定期的に発行する学内新聞に載せるネタだ。
 だからこそ俺は多くの人間に向けて真実を伝えたかったのだが……現実とは過酷なものだ。
 そうそう。それですっかり忘れていたが、俺の事も紹介しておくとしよう。俺の名前は支倉燎池(はせくらりょうち)。恋愛というシステムから逸脱した、生物としての超越種。眉目秀才にして才気煥発、空前絶後の希代の天才。それがこの俺、支倉燎池ッ!
 そして何を隠そう俺にはもう一つの顔があるのだ。それは――レディ・バグッ! おっと、テントウムシとは関係ないぞ。世にはびこる女という害虫を駆除していくのが俺の使命。だから『レディ・バグ』なのだ! フワッ〜ハッハッハッハッハッ!
 とにかく、この世界において俺の心をときめかせるような、心奪うような、そんな異性は存在しないと断言する。もはやこれは宣戦布告だ。そして俺は――


「――てえええ、ちょい待って! なんで自己紹介みたいな文章書いてるのッ!? なんで小説風っ!? いったい誰に向けたメッセージなのッ!? あと僕に関するくだりがなんかキモイんだけどっ! 僕はお前と違って健全な男の子だよ!? 女の子オンリーだからね!?」
 俺が論文の続きを書いていると、またもや夜見史がちょっかいを出してきた。そして俺から身を守るように距離をとっていた。だから俺は変態じゃないっての。
「ふんっ。そんなもの読者に決まっているだろうがぁ。いわばこれは、俺の戦いの歴史だ!」
 なぁらぁば〜仕方なぁ〜い。俺は華麗にクールに話を結ぶ。俺の究極的な考えは凡人には理解できん。今回の議題はお流れということにしておこう。いつだって天才は孤独と戦う者なのさ。でもちょっとキモイのは確かだったのでそこはスルーしておこう。
 華麗にスルーしながらも俺は自分で考えたカッコイイポーズをバチッと決めていると、夜見史が頭おかしいんじゃねーの? とでも言いたげな目で俺を見つめて一言言った。
「ってかさ〜燎池〜。お前まだそんなかっこ悪いこと続けてるの?」
 ぐさり。い……いかん。俺とした事が夜見史程度の攻撃で心にダメージを受けたみたいだ。だ、だが……俺のメンタルをなめるなよおおおッ!
「なっ、何を言うか、夜見史ぃッ! いくら親友だからって言っていい冗談と言っちゃいけない冗談があるだろッ。続けるとか続けないとかではない。これが俺の本質なのだ!」
 最近薄々感じる。実は俺、周りからちょっとバカにされてるんじゃないのかって。……まぁそんな事ありえるわけないよね。あはは。
「いや……冗談じゃないってば。お前、親友だから言うけどさ、キャラか何か知らないけど高校生にもなってそういうのは僕ちょっとどうかと思うよ〜」
 な、何を言っているのだ。こいつは。俺は俺は俺はああああああああっっっっ――。
「思えば中学からずっとその設定だもんなぁ。だったらお前……まさかまだあの時の事を引きずって……」
 やけに深刻そうな顔をして夜見史が俺を見つめる。
 あの時の事――。それは小学校の終わりに起こった悲しい出来事。あの日を境に俺は女を信じられなくなった……。
「ふ、フンッ! 馬鹿らしいっ。恋愛なんて人間のいっときの気の迷い。そんなものただの動物的本能だ。そう、俺は恋愛という感情を己から削除した。ただ……それだけだっ」
 俺はそっぽを向いてぶっきらぼうに答える。丁度窓の外の風景が目に入った。綺麗な青空だ。
「そ……そうか……悪いな、燎池。僕は女の子が大好きだけど、お前の事も親友だと思ってるから……これからも仲良くしていこうな」
 俺の耳に入ってくる夜見史の声はかすれていて、萎んでしまいそうなものだった。そう、夜見史は確かに美形なのだが、女に対して積極的すぎるところがあり、故に女にモテないのだ。
「ふん、そんな過去のこと俺は気にしておらんよ……さあ、そろそろ帰ろうではないか。今日はもう美来もこなさそうだしな」
 俺は努めて明るい声で言った。
 此先美来とは、夜見史と同じく俺の幼なじみで、廃部寸前の文化活動部の部長である。ちなみに文化活動部は美来と俺と夜見史で立ち上げたのだが、そもそも俺と夜見史は単なる人数あわせで、俺は正直ここが何をする部活なのか未だによく分かってない。
「そうだねぇ。僕達だけじゃやる事もまとまらないからな〜」
 そうだ。これ以上続けていてもどうせ筆は進まなかっただろう。
 よく見れば青空にはうっすらとオレンジ色が混じっていた。
「そんじゃ燎池、後は頼んだよ……僕にはこれから戦いが待っているから」
 後片付けを俺に任せて夜見史はさっさと帰って行く。戦いってことはどうせ今日もナンパしに行く気だろう。そして今日も惨敗記録を更新するのだろう。悲しい男だ。
 バタンと扉の閉まる音がして、部室の中は一気に静かになった。
「……いつまで続けるんだ、か」
 俺は、自分以外誰もいなくなった部室でぽつりと呟いた。
 これは俺のアイデンティティーなのだ。捨てられるわけないだろう。俺には目的が……あれ、目的……とはなんだろう。俺の望んだものはなんだろう。駄目だ、その辺りの事は考えてはいけない。ダークサイドに堕ちてしまう。俺は俺の都合のいいように生きていけばいいのだ。
 窓から晩夏の夕日が差し込む中、そそくさと後片付けをして俺は部室を後にした。どうやら秋はそこまでやってきているようだった。


 家に帰った俺は早速自室に籠もってパソコンの電源を付けた。ふふふ、俺の戦いに休息はないのだ。俺はすっかり日課となったインターネット掲示板に立ち寄る。そこは俺の同士の集まるコミュニティ。
 女と日夜戦う戦士達の拠点、通称『男革命・レディバグ団』ッッッッ!!!!
 ――そうだ。俺のもう一つの名、『レディ・バグ』は何を隠そうここから来ているのだ。
 俺は毎日ここで日々の戦果の報告を行っている。ふむふむ……書き込み具合からしてどうやら会合は既に始まっているみたいだな。さてさて、それではエースである俺もさっそく円卓会議に参入しようじゃないか。
『ははは〜。みなさんこんにちわ〜! ライチですッッ。シュタタッ!』
 颯爽と俺、登場。その場の空気は主役の登場により一瞬にして緊張間に包まれる!
『お、ライチ君ではないか』
『ライチさん〜こんち〜』
 うむ。思ってたより反応は薄かったが……どうやら現在はこの団の団長、常道一本さん(HN)と、最近団に入った新入り、ノンケくん(HN)の2人がいるようだ。
 ちなみに俺は団内では『ライチ』と名乗っている。その名の意味は特にない。燎池からちょっともじった感じである。だが決して手抜きという訳ではないぞ。簡素に無意味にシンプルに、が最も良いHNの条件なのだ! スタイリッシュだろう?
 あとついでに俺がネット内ではちょっと性格が大人しくなって見えるのは、不特定多数の危険な領域で安全に活動するためのキャラ設定。この俺の正体を探る者がいるかもしれない為、敢えてネットでは目立たず行動しているという事だ。もはや俺の存在はこの国には収まりきらない政治的・軍事的・文化的財産となっているのだよ! ふはははは!
『で、ライチ君。本日の守備はどのようなものであったかお聞かせ願おうではないか』
 俺が一人で悦に浸っていたら、団をまとめるリーダー的存在の常道一本さんが尋ねてきた。
 ははは、俺はすぐに自画自賛する悪癖があるからな。ま、真実とは言え、多少は自重しなければなるまいな、わっはっはっ。
『え〜……実は今日、俺は部活動である論文を書きました。その内容は現代社会における男性の立場の弱体化と、女性の過剰すぎる地位向上で〜……』
 と、俺はつらつらと本日おこなった数々の武勇伝を、簡素且つ明瞭に書き連ねていった。
『……というわけで世間に公表できなかったのが残念でした』
 夜見史に邪魔されなければ、俺は学会に偉大な功績を残すことができたはずなのに。ノーベル平和賞受賞間違いなしだったのにっ。
『いや、ライチ君は立派だ。今回は残念な結果に終わったが、その地道な行為がいずれ世界を変革へと導くであろう』
 さっ、さすが団長。団のみんなの気持ちを汲み取って労ってくれる。だから俺達はあなたについていくことができるのだッ。
『ライチさん、さすがっス。オレ尊敬しまス!』
 新人のノンケくんも俺の勇姿に感動しているようだ。はは、照れるじゃないか。
 だけど、その後もお互いの状況を確認し合っていると、ふとノンケくんが気になる事を言ってきた。
『――でもライチさん気を付けて下さいよ〜。あんまり目目立った活動してると狙われるかもしれませんよ〜』
 ……うん? 狙われる? 俺達レディバグ団が?
『狙われるって何から?』
 まさか俺のあまりの美しさに目が眩んだ魑魅魍魎とか?
『あれ? ライチさん知らないんスか?』
『いや、知らないけど何の話?』
『ええ。一種の都市伝説なんスけどね、オレ達みたいな女性を敵視している男がね、落とされるんスよ』
『落と……される?』
『心です。メロメロにされちゃうんス。で、今までの女性嫌いが嘘のようにすっかりフェミニストに様変わりしちゃうんスよ』
 モニターの向こうから、ノンケくんの興奮が伝わってきそうだった。返すのが早い。
『成程。それはなんとも……恐ろしい話だな』
 どうやら団長も知らなかったようだ。モニター越しにその恐怖が伝わる。
『ま、まぁ……あくまで噂なんスけどね。ほら。最近ここのメンバーも少なくなってきてるような気もしますし……だから誰かが勝手に流したんだと思いますよ……』
 曖昧に語尾を濁すノンケくん。彼は何かに怯えているような感じだ。姿を見せない脅威とかそんな類に。そういえば……最近キヨくんやら他のメンバーをめっきり見かけなくなった。
 まさか、とは思うが……なんだか空気が重くなった。いいしれぬ不安がレディバグ団内に伝染したのだろうか。俺達3人にしばらく沈黙が続いた。
『お、おほんっ……まぁ、これが本当の話だとしても、我々の信念が強く保たれている限りは決して心奪われるようなことはないだろう! 何を心配する必要がある。精神を強く保ち立ち向かえ! いつの世か真の平等を目指して、我らのエデンの為に、さらなる健闘をッッ!』
 穏やかならぬ空気を感じたらしい団長は俺達を鼓舞した。さすがだ……か、カッコイイ。
『そっスね! リーダー、ライチさん、オレ達なら絶対に大丈夫すスね! 逆にそんな奴返り討ちにしてやりましょうよ! あははは!』
 ノンケくんも自分を奮い立たせるように元気いっぱいなのを見せてくれた。うん、頼もしい。これなら勇気100倍じゃあないかっ!
 そうだ。俺達は恋愛感情という低俗な次元から逸脱した高度な精神を有する存在、生物としての常識から解脱した存在なのだ。つまりっ、俺達は人類の最終進化形態なのだよっ。ブワッファハハハハハハッッッッ!!!!!
 俺達は意味もなく笑いあった後、別れを告げて本日の会議を終了した。
 そのあと俺はしばらくネットサーフィンして、パソコンの電源を消して寝た。



 次の日、いつものように学校に行った俺にちょっとした事件が起こった。
 それは4時限目の数学の授業中、教師が黒板に方程式の公式なるものをゴチャゴチャと書いているのを、他人事のように興味なく見ている時だった。ちなみに俺は、こんなくだらない授業などは、半分寝ていても十分に理解可能なのだよ。フハハハハハ!
 まぁ、嘘なんだけれど、そんな事はおいといて……その授業中、なんと俺としたことが、ふとした拍子に消しゴムを落っことしてしまったのだ! くぅ〜、何たる不覚ッ!
 床に落ちた消しゴムは転がっていき、もはや俺の手に届かぬところにまで去っていった。それは丁度俺の前の席にまで行った。むぅ……しかも俺の前の席と言えば……クラスメイトの女子Aじゃないか。
 ついでに言うと、女子の名前は大半覚えていないし覚える気もない。女子はそんな俺を嫌っているし、俺だって嫌っているからむしろ嫌われるのは好都合だ。
 だから勿論この俺がぁ〜、女なんかに対してぇ「あのぅ〜消しゴム取ってくれませんか。ひゃっほ〜い」な〜んて言えるわけもないのでぇ〜……ま、消しゴムは諦めるか。幸いこの授業が終われば昼休みだ。その時タイミングを見計らって回収すればよい。これぞ秘技、時間外回収である。
「ふっふ〜ん♪」
 なんて俺が格好いい技名とか考えて興奮している時であった。な、なななんと! とんでもないハプニングが発生した。「ん!?」と、思わず声を漏らしてしまったくらいだ。だが、とっさに咳をして誤魔化した。さすが俺。機転が利く。計ったことないけどきっとIQ高いぞ。
 いや……そんなことよりもだ。どういうことなんだ、これはっ。なんと……なんと――クラスメイトの女子Aが俺の消しゴムを拾ったではないかっ!
 な……なにをしているのだっ? これは俺の消しゴムなのだぞっ。貴様如きが触れていい代物ではないのだぞッ。くっ……もしやこの女、俺の消しゴムを奪おうとしているのではないのかっ!? な、なんてことなのだ……女という生き物はかくも卑しい存在だとは……まさかここまで腐っておろうとは夢にも思わなんだッ!
 俺がそんな思考を繰り返していた時、女子Aが何の前触れもなく俺の方を振り返った!
 な……に!? ど、どうするつもりだ? そ……そうか! これが俺の消しゴムだと分かった女子Aは俺に対して何らかのアクションを行う気なのだ! 俺が女を憎んでいる事はクラス周知の事実。ならば女子Aは……ま、まさか! 消しゴムを人質(?)に俺を脅そうとでも言うのか……なんて、なんて卑劣なあああッ!
 だが……女子Aが俺に向けて発した言葉は、予想を遙かに超えたものだった。
「これ支倉のでしょ? ほらっ」
 振り返って、女子Aが俺に消しゴムを差し出した。
 ……な、なにいいいいいい!? 女子Aが素直に消しゴムを返してきただとおおおおお!?
「な……こ……これは……」
 これは何か裏があるはずだッ! こんなことおかしすぎるッ! こいつは俺の事が嫌いなはずだ。内心馬鹿にしてほくそ笑んでいるような奴なんだぞ!
「どうしたのよ……受け取りなさいよっ」
 女子Aは不機嫌そうな顔をしながらも、消しゴムを持つ手を引っ込めようとはしない。その様子に悪意は見当たらなかった。
「き、貴様……なぜこの消しゴムが俺のものだと分かったのだ?」
 俺は勇気を出し、女子Aと面と向かって対決することを決めた。
「なんでって、消しゴムにあんたの名前書いてあるじゃん。ほらここ」
 そう言って女子A……いや、もういい。名前は来栖だ。だが勘違いするなよ、貴様の名前に興味はない。いま思い出したのだ。たまたま高性能な俺の脳髄が貴様の名前を何かの拍子でインプットしていただけなのだ。ただそれだけなのだ。有り難く思うのだな。
 そんな事はいいとして、とにかく来栖は消しゴムを俺に突きつけている。
「…………」
 もしかして偽造かもしれない。俺は食い入るように覗き込んだ。
 しかし、くぅ……なるほど。確かに俺の筆跡で俺の名が記されていた。これは俺が自分の所有物である事を示すために残しておいたものだ。常にリスクを考えた行動を取る、それが俺の美学さ。だがそのせいで危機に陥るとは思ってもみなかったが……。世の中は残酷なものだ。
「た、確かにこれは俺のものだ……だが、何故こんな真似をする……」
 俺には来栖の思惑が分からない。なにを……なにを企んでいる……。どんな罠が仕掛けられてるか分からない為、俺は迂闊には動けない。
「ふん。あんたね〜、何をごちゃごちゃ馬鹿みたいなことを考えてるか知らないけれど、もうちょっと素直になったら?」
 来栖が呆れるような声で言った。それはつまり……俺が素直じゃない、だと……?
「何を言っておるのだ、たわけめ。俺はいつだって素直で正直だ。それゆえの戦士なのだ」
「はあ……何が戦士よ……あんたが何故そんなに女子を目の敵にするのか知らないけど、あたしだって別にあんたの事は好きじゃないよ。でも落とした消しゴム拾ってやるのにそんな事どうでもいいじゃん……ほら、受け取りなよ」
 と言って来栖は俺に消しゴムをぐいと突きつける。
「え、あ、ああ……」
 その強引さに思わず俺は受け取ってしまった。おかえり、マイイレイザーよ。
 俺が純白のイレイザーとの再会に喜び打ち震えていると、来栖は何事もなかったように、すぐに前を向いて黒板の文字をノートに書き写す作業にかかった。
「……ぬぅ」
 俺は既に授業どころではなかった。この高鳴る胸の鼓動……これは一体……。
 いや……それよりもだ。なぜ来栖は俺に消しゴムを返したのだろう。俺が女を嫌っている事を奴は知っている。さっきはあんな事を言っていたが、それでも納得できない。
 そしてしばらくの熟考の末、考えあぐねた結果、導き出される答え――これは、もしや……もしかして……! く、来栖は俺に気があるのではないかっ!? ら、ラヴなのかっっっ!?
 そ、そんな……馬鹿なアアアアッ! い、いや、落ち着け。深呼吸しろ。そして冷静に考えよう。そうだ、来栖の後ろ姿をじっくりと観察しながらよく考えてみろッ。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
 あれ? なんかこれ客観的に見ると俺が凄い変態みたいな気がするけど、でも……分かった。
 この女――やはり俺に惚れているッ! どうしてもそういう結末しか見いだせないっっ!
 そ、そんな。やめてくれ。俺は女に好意を持たれる価値なんてないのだ。俺に優しくしないでくれ……。でないと、でないと……俺がお前の事を好きになってしまうではないかーっ!
 俺は授業中にも関わらず身もだえた。この胸の高鳴りをどうにかしてくれええ! こうして見てみれば来栖はそこそこ可愛い奴だと言えなくも――。
 ッて……な、何を血迷った事を考えているのだ、支倉燎池ッ! 落ち着くんだ!
 俺は世の女と戦う戦士であろうが。その俺が女に恋をするなどあってはならん事態……。
 そうさ、ゆっくり来栖を観察してみろ。現実の女の醜さを理解しろ。
 あの肩まで届きそうなくらいに伸びた髪、丁寧に手入れされているのかサラサラしている。そして華奢な背中。女性らしい丸みを帯びたプロポーションだ。スカートは長くも短くもないが、そこから覗く足は白くて細い、小枝のようである。
 そう、結果としていうと……惚れてまいそうやんかーいッッッッ!
 なにを考えているんだあああああ、俺はあああああっ! 気をしっかり保てええええ!
 女だ、女だ、女だぞ。そうだ、今こそ女に対する怒りを頭によぎらせるのだ! 女性専用車両。レディースデー。レディーファースト。女性の方は一個おまけ。女の子は正義。男は女を養え。男なんだから我慢しろ。男は女を守る義務がある。女子供は見逃してやる。女だから許されるけど男なら犯罪行為ぃぃぃぃ〜〜〜〜ッッ!!!
 そうだ、そうだ、そうだ。落ち着け。俺はあの時誓ったじゃないか。あの時から俺は決して女に心を傾けることはしないって。だから、俺はッ!
 そうなんだ。だから俺は、女からわざと嫌われるように振る舞っているんだ。こんな事態に陥らないように。確かにそれは逃げているだけなのかもしれない……。俺は、怖いだけなのか。言い訳しているだけなのか……。でも、今更自分を変えることなんてしたくない。アイデンティティーを壊すような真似、俺にはできない。俺は――。
「…………」
 ふう……ようやく思考が冷静になってきた。正直いって危なかった。このレディ・バグが敗北するところだった。このままでは俺は来栖に恋をして魔境に堕ちていた。一生の不覚だ。
 こうして――長かった4時限目終了のチャイムが鳴り、その後も一日特におかしな点はなかった。
 結局来栖は俺の事が好きなのかどうか、はっきりとは分からずじまいだったが、見ている限りではいつもと変わらないようすだった。奴め……敢えて気丈に振る舞っているのかもしれん。
 それが見ていてとても辛かった。だって俺は貴様に対して何もしてやれないからだ。
 俺には、お前の愛が――痛すぎる。


 こうして学校が終わるまで来栖の尾行を続けていた俺は、放課後も来栖を探る事にして彼女の部活の様子も観察する事に決めた。
 グラウンドの隅からまるでストーカーの如く来栖を伺う俺。残暑が照りつける中、走り高跳びをしている来栖の姿をしっかり目に焼き付けていた。彼女から流れる汗。息づかい。そして夕日を浴びながらジャンプし背中を反らせ跳んでいく勇姿……美しい。
 今日一日付け回して色々彼女の事を知った。来栖咲喜。陸上部のエース。友達が多い。ボーイッシュで明るい、ムードメーカー。
 なるほど。確かに彼女なら俺の伴侶として、ふさわしい要素を備えているやもしれんな。無事に走り高跳びに成功した咲喜が、マットの上で寝転んでる姿をみて俺はつい微笑む。
 だが……すまん。俺は貴様の気持ちに答えることはできん。それは、俺が男でお前が女というそんな理由だからなのだ。そして俺がレディ・バグという宿命を背負っているからなのだ。許せ……咲喜よ、これは運命なのだ。
 俺はその場を静かに立ち去る事にした。その時、俺の目から一筋の涙が零れた。
「さようなら、咲喜」
 咲喜と永遠の別れを告げて、それぞれの道を行くことにした。つまり帰宅した。
 だけど――事件はそれだけじゃなかった。
 いや、本当の事件はここから始まったのだ。そしてここから全てが始まったのだ。



 遅くまで学校に残っていたせいか、いつの間にか日は暮れて辺りはすっかり真っ暗闇に包まれている。最近はすっかり日が暮れるのが早くなった。田舎道はかすかな街灯で照らされるのみだ。
 涙が零れないよう、俺は上空を見上げて歩いていた。どうやら今夜は満月のようだ。とても綺麗だった。今の俺にはピッタリだ。
 なんだかこのまま真っ直ぐ帰るのもあれなので、俺は少し寄り道する事に決めた。もう少し感傷に浸りたい気分だったのだ。
 そして公園に向かった俺は――異世界に迷い込んだのだ。
 目の前に見えたのは一人の小さな少女。
 暗闇の中、やけに白く光っているように見える少女は、なんだかフラフラしているように見えた。踊っているのか?
 その顔を見て俺は驚愕した。顔も、姿も、とてもこの世のものとは思えないくらい美しくて、目の前に広がる光景は、あまりにも現実離れしている風景だった。
 俺は呆気にとられて、茫然と少女を見ていることしかできなかった。
 やがてフラフラしていた少女はピタリと動きを止めて、俺に気付いたのだろうかゆっくりこちらを振り返った。
 見た感じ13、14歳位だろうか。顔は真っ白で、服も白いドレスのよう。髪は色が全くないと錯覚できる位の白。血を吸ったような赤い瞳。彼女の存在はまるでフランスの人形みたいだ。
 俺は何も言えない。少女はゆっくり近づいてくる。俺の前まで来た。
 俺は何も言えないまま、少女は口を開いた。
「私の名前は十二支リンネ。おめでとうございます――あなたは私に選ばれました」
 俺の体は固まってしまっていた。そして気付けば、いつの間にか涙はすっかり乾いていた。


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