女はすべて俺の敵!

第2章 レディ・バグ 対 男性殺し(マン・イーター)

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 とんでもない展開に陥ってしまった。俺はとうとう男性殺しの正体と思しき丑耳遙架との邂逅を果たした。
 だが、その丑耳遙架がまさか昨日出会った、八百屋で働くあの少女だったなんて……。
「……なんだか、私のことを話しているような気がしたんだけど……ねえあなた達。私に何か用があるの?」
 丑耳遙架が柔らかい微笑みを2組の少女達に向ける。その姿は夕日を浴びて鮮やかな橙に染まっていた。勿論今の彼女はエプロンは着用していないが、それでも少女は他の女性と一線を画すような存在感があった。なんなのだ……奴の纏っているこの空気はっ……。
「あっ、いや……ううん。なんでもないの……」
 3人の少女達はおずおずと気まずそうに顔を背けた。彼女達も彼岸の存在に畏怖しているのだろうか。近くでは夜見史が口をぽかんと開けて茫然としている。
「ふぅ〜ん、そう……だったらいいんだけど」
 丑耳遙架はにっこり破顔して――今度は俺の方にその幼い顔を向けた。その顔はリンネとは違った意味で現実離れした顔。ただ、どちらもとんでもなく綺麗だった。
「あ……あれっ? よく見ればあなた、やっぱり昨日の人じゃないっ!? ねぇ、もう大丈夫なの? 私、あのあとずっと心配してたんだよっ?」
 丑耳が覗き込むように俺の瞳を見つめてくる。その顔は本当に心配そうな、俺を気遣うものだった。なんなんだ、このできすぎた展開は。俺の頭は正常な思考ができないでいた。
「あ、ああ……昨日は、その……ありがとう」
 敵であるはずの丑耳に礼を言ってしまう始末。
「ううん。私は当然のことをしたまでだよっ。あなたが元気なら私はそれで十分っ」
 にこっと効果音が出るほどの優しい笑顔だった。まるで自分のことのように……というか俺に会えて嬉しそうというか。本当にこの少女が男の心を踏みにじる『男性殺し』なのか?
「な、なんだよ燎池。お前、こんな可愛い子と知り合いだったのかっ……?」
 隣でぽかんとしていた夜見史が、ふり絞るような声で言った。その横では美来も同じような顔をしている。そりゃそうだろう。まさか天敵同士が既に知り合いだったとは思わない。というか俺だって信じられない。
「昨日、学校の帰りに偶然知り合ったんだ……だがまさかその子が……」
 俺は言葉を途中でつぐんでしまった。これ以上は言えない。しかし俺に代わって美来が言葉を繋げてくれた。
「アナタが――丑耳遙架……いいえ、男性殺しね」
 無情な現実。美来は丑耳を鋭く見据えたまま、その正面に立った。
「……ふふ、あははっ」
 すると頬を染めて幸せそうに俺を見つめていた丑耳が、美来に振り返って微笑んだ。
「な、何がおかしいのよ」
 困惑する美来。
「ああ……ごめんなさい。深い意味はないの。でも、なんだかおかしくて……うん、確かに私の事をそういう風に呼ぶ人もいるみたいだけど……私にはそんな自覚全然ないよぉ」
 丑耳は肩をぷるぷると震わせながらなんともあっけない返答を返した。笑っている。な、なんだ? 本人には自覚がない? これはひょっとして俺達の思い過ごしだったのか? 所詮は都市伝説なのか? だけど、火のないところに噂は立たない。
「そういう事だったの……でもアナタが男性殺しと呼ばれている事は確かなのよね。それはつまりアナタに自覚はなくても、手当たり次第に男をあさっている事実は認めるのね?」
 美来は糾弾するように丑耳に語りかける。もっと他に言い方というものがあろうに。幼なじみでありながらこの女は……。
「う〜ん。私はただ、みんなと平等に仲良くしてるだけなんだけどなぁ〜」
 丑耳は、困ったという感じに口をとがらせて眉をひそめる。俺に対して見せている顔とは別の丑耳がそこにはいる。
「そう……あくまでアナタに悪意はないって事なのね。残念ね〜、せっかく面白い展開になると覆ってたのにな〜」
 美来は思わせぶりに不敵な笑みを浮かべる。丑耳は少し顔を曇らせた。
「面白い話……ですか?」
「うん。アナタも知ってるこの支倉燎池くん。実は彼、何を隠そう全ての女性に対して宣戦布告し、世の弱き男性の救世主を自称する人間なのよ。彼の通称はレディ・バグ!」
「……ふぅ〜ん、そういう話、たまに耳にしてましたけど……そうですか。あなたが」
 丑耳は目を細めて、何やら意味深な顔で俺を観察している。ふふ、恐れをなしているのか。
「おいおい、美来〜。あまりおだてるな、照れるではないか」
 だけど悪い気はしない。ふははは、もっと褒め称えろ。此先美来よ。
「な〜に言ってるのよ。いっつもアンタが自慢げに言ってるから覚えちゃっただけよ。俺はどんな女にもなびかないし、女を振る事において俺の右に出る者はいない〜……とか。一緒にいるだけで恥ずかしいわっ」
 はぁ〜、と美来はため息を吐いて緊張感が抜けきったように脱力した。むう。
「あ、あのぉ〜……話が読めないんだけど、あなた達は結局なにしに来たのかな? その……もしかして私と支倉くんを付き合わせるために来た、とか?」
 変なやりとりが始まってしまったのを見かねたのか、丑耳遙架が話を戻してくれた。
 美来がこほん、と咳払いをして答える。
「そうそう、物わかりいいわね。つまりそういうことよ。どんな男も堕とす男性殺しのアナタと、どんな女にも振り向かないレディ・バグの燎池。2人の宿命の対決」
 ふふ〜ん、と鼻をならして、美来は偉そうにふんぞり返っている。
「そうですか……つまり、私と支倉くんがお付き合いする関係になれば私の勝ちで、私のアプローチにも負けず私の事を完全に振っちゃえば支倉くんの勝ちってこと、かな?」
 困ったように眉を寄せて、小さな声で尋ねる丑耳。きっと迷惑に感じているのだろうな。
「そうそう。でも、アナタにそんな気がないのならこんな勝負意味ないのだから、まぁもう関係ないんだけどね」
 いや、俺もやる気ないのだけど。俺の意見は無視なのね。だがよかった……どうやら丑耳もこんな馬鹿げた勝負、やる気ではないようだ。
「ううん、やるわ」
 ほらね。やっぱり丑耳だって同じだ。穏便に済ませるに越した事はないのだ。誰が好きこのんで……って!?
「なっ、な……なんじゃっとおおおぉ!?」
 つい素っ頓狂な声を上げてしまった俺。なんじゃっとーはないだろう。なんじゃっとーは。
「だって、なんだかとっても面白そうだし、それに……」
 丑耳が少し顔を赤く染めて俯き加減になって、弱々しく答える。
「そ、それに……?」
 丑耳の急な態度の変化に戸惑いながらも俺は先を促した。すると丑耳は俺の方をチラと見て、
「私……支倉くんに興味持っちゃった。もっと支倉くんの事知りたいな、って思った。支倉くんなら私、いいよ。だから……私、支倉くんの彼女になれるように頑張るねっ」
「…………」
 ど、どうしよう。もう今更引き返せないんだろうな。無理だ無理だ無理だ。だって俺……ちょっと心が揺れ動いてるんだもん。もう既に負けそうになってるんだもん。心の声が優しくなっちゃってるんだもん。
「アッハッハ〜! よくぞ言ってくれたわ、丑耳さんっ。ならば決まりねッ。ではこれからレディ・バグ対男性殺しの戦争を開始するわっ!」
 両手を広げて凄く興奮気味の美来。
「お、おいおい。マジなの丑耳さん……。燎池てめぇ……」
 夜見史が一瞬俺に殺意を向けた。
 やべぇ、今更やめますなんて言えねえ。
 この状況を打開するにはどうすれば良いのか、俺の高度な頭脳をもってして計算していたら、丑耳遙架が俺の肩をちょんちょん突いて柔らかい声で言った。
「それじゃあ、支倉くん。今日はここで。明日から私、あなたに付きまとっちゃうけど……迷惑だったら言ってねっ。やめないけどねっ……えへへっ」
 丑耳遙架は俺に宣戦布告をした後、よろしくとペコリおじぎをしてそそくさと教室を出て行った。
「アタシもこれから忙しくなりそうね……よーし、頑張りなさいよ〜燎池っ!」
「ちくしょう燎池め……あ、あんな可愛い子と……だが、要はお前が勝負に勝てば付き合わないってことなんだから……その後俺がフリーになった丑耳さんと付き合うっていう方法でいけば……よっしゃあっ! 僕にも勝機が見えたっ! とりあえず負けるなよ、燎池いっ!」
「す、すごい……あの丑耳さんと対決だなんて……もしやあなたはこのクラスの救世主……」
 茫然と立ち尽くす俺に美来と夜見史がエールを送り、まだ教室に残っていた2組の3人の女子達からはなぜか救世主扱いされてしまった。
 そんなみんなの興奮を俺はどこか上の空で聞いていた。まるで虚構の物語を傍観する立場にいるみたいに。


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