女はすべて俺の敵!

第3章 レディ・バグの失墜

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 俺がレディ・バグの称号を剥奪されて数日。
 俺と丑耳遙架の付き合っているのかいないか分からない、微妙な感じの日々は続いた。
「燎池くん、おはようっ」
「ああ、丑耳……おはよう」
 丑耳とはすっかり普通に会話する仲になっていた。
「今日もお弁当作ってきたんだ〜。一緒に食べようねっ」
「……ああ、いつもすまんな」
 今では昼食だって一緒に食べる。
 2組と3組の人間達は、俺と丑耳の勝負はもう既に終わっているのだろうと思っているかもしれないし、そもそもそんな勝負誰も気にしていない。敢えて言うなら俺が負けたのだろうというのが彼らの共通認識だった。
「ちょっと燎池〜、アンタ最近全っ然やる気ないじゃないの! 負けたんなら負けたって堂々と宣言しなさいよ! もしやずっと終わらないラブデイズをループするつもり?」
 時々俺の幼なじみ、此先美来が眼鏡をくいと押し上げて渇を入れてくる。確かにやる気なんてなくなってしまった。だけど、まだ俺は負けを認める事ができなかった。
「ふん、何を言うか。俺はまだ負けた訳ではない……これは俺の作戦だ。これから俺の、世にもファンタスティックな逆転劇が始まるのだ」
 決まって俺は同じような事を言って逃れる。これもいつもの事だ。
「……ふ〜ん。あっそ。ま、別にいいんだけど連休明け辺りには決着着けてよね。学内新聞の記事に間に合わなけりゃ元も子もないんだから。間に合わないならアンタの負けって事にするだけなんだけどね。そしてレディ・バグの没落。黒き力の喪失。これでアタシに立ち向かえる勢力はなくなるわけね。アタシの支配が訪れるわけね」
 意地悪い声で相変わらずわけ分からないこと言って俺を急かす美来。
「な……なぜ俺が負けなのだっ」
「な〜に言ってんのよ。誰がどう見てもあんた達お似合いのカップルじゃない。2組の男子生徒達からはあんたは裏切り者だってかなり妬まれてんのよ?」
 それでも暴動が起きないのは、美来と夜見史がなんとか抑えてくれているからだ。
「ふ……ふん。それは俺の巧妙な作戦だ。まあよい。タイムオーバーは俺の負けでいい。だが安心しろ、あと数日中に決着は着けてやるさ。ぶわっはっはっは!」
 タイムリミットがあったなんて全然知らなかったよ。
「あっそ。せいぜい期待しないで見守ってるわ」
 と、投げやりに言って去っていった。なんだか主催の美来までもが俺を見限りかけている様子だった。もう勝負は着いているようなものなのだろう。でも俺はまだ負けていないのだ。
 でもなんで……別に勝ち負けなんてどうでもよかったのに、なぜ俺はまだ続けようとするのだろう。俺は何を諦めきれないのだろうか。もう俺は――レディ・バグではないのだぞ。


 そして本日の授業が終わって放課後――。ちなみに明日からはシルバー・ウィークの連休休みに入る。長い休みを明日に控えた教室内には弛緩したムードが漂っていた。俺も脱力しながら帰り支度をしていると、いつものように丑耳遙架が俺の元にやって来た。
「燎池くん、一緒に帰ろっ」
 そしていつものように丑耳は、その童顔に満面の笑みを浮かべて俺を誘う。
「そうだな……行こうか」
 もはや断る理由もない。俺は素直に丑耳の言葉に従った。
 下駄箱で靴を履き替えて外に出る。外は雨が降っていた。今日は朝からずっと雨だった。
「雨……止まないねぇ」
「……そうだな」
 俺と丑耳は傘をさして並んで歩く。傘をさしている分、いつもに比べて俺と丑耳の間には距離ができていた。
 そして校門を出て、人通りの少なくなった道路に出ると、丑耳は俺の前に出てきて明るい声で言った。
「ねえ、燎池くん」
「む、なんだ? 下の名前で呼んでくれ〜、なんて言うなよ。毎日毎日しつこい奴だ。お前に呼び名を与えるならそれはウシチチ以外にありえんのだよ」
 そう言って、俺は丑耳の方に少し顔を向けたが、傘に隠れて丑耳の顔は見えなかった。
 丑耳は、「うう〜色々ツッコミたいけど……でも今は別のことっ」と言って用件を告げた。
「燎池くん、明日は……デートをしましょう!」
「…………」
 雨の音で聞こえにくかった。いま、なんと言ったのだ……え? デート?
「って……で、でーとぉおおおお!? ふ、ふざけるなあっ!」
 勿論俺は激昂する。だってそれってつまり俺達が晴れて恋人同士になったと言う事同然じゃないか。丑耳はのんきなもので傘をくるくる回している。
「ふざけてないよ。だって私達もうそういう関係じゃない」
 丑耳の声は弾んでいた。そ、そういう関係? 俺達が恋人同士だと言うのか?
「そ……そういう関係ってどんな関係なんだっ」
 俺は分かっているのに敢えて尋ねた。だけど、俺が分かってるということは丑耳だって分かっていた。
「ねえ、燎池くん。この勝負、私の勝ちだよね?」
 だから丑耳は俺への返答はせずに、声に重みを乗せて尋ね返した。
「な、いきなり何を言っているのだ? 俺はまだ――」
「だって――燎池くんは私のこと、好きなんでしょ?」
 傘を上げて、はっきりと、俺の顔を見つめながら丑耳遙架は凛と言った。
「そ、れは……俺は」
 俺が見た丑耳の顔は、いつもと変わらない童顔で頼りないものだったけど、そこにはいつもと違って――精悍で、凛とした何かを感じさせた。
「そろそろ決着を着ける時だよ、燎池くん。返事を聞かせて……明日のデートで」
「なんで突然お前は……」
 俺は丑耳の瞳を凝視した。だが、丑耳は再び傘を下げて、その顔がまた隠れた。
「……だって前にも言ったでしょ? 私、負けず嫌いなの。だから」
 丑耳が持っている傘で表情が見えない。丑耳の声が雨の音でかき消えそうになっている。
「だったらお前は初めから俺の事をなんとも思っていなかったのか? お前はやはり男の心を踏みにじるような女だったのか?」
 俺は丑耳を信じかけていたのに。丑耳に惹かれかけていたのに。
「ち、違うの燎池くん。聞いて……そもそもなんで私が男性殺しと呼ばれるようになったかって言うとね……私、燎池くんが言うように確かに男の子の心を利用していたの」
「……それが踏みにじると言うんだ」
 何が違うんだよ。やっぱりそうじゃないか。噂は本当だったのか。
「……そう、かもしれない。でも聞いて。お母さんが水商売しているからか分からないけど、私も男の子に好かれる才能みたいなのがあったんだ。それで、ほら、私の家って父親がいなくなってから結構荒んじゃってさ……私、気を紛らわせたいのと男に復讐したい気持ちで男性殺しなんて事を始めたんだ」
「そ、そういう気持ちは分からないでもないが」
 俺だって似たようなものだ。幼い頃の失恋がきっかけで女性に対する憎しみの感情を抱いた。だが俺は丑耳のような卑怯な真似はしない。それでも他人から言えば俺も丑耳も似たようなものなのか? 真っ向から戦うか、堕とすかの違いだけで。
「最初は軽い気持ちだった。貧しい生活でおいしい物も服も買えなかった私に男の子はそれらを恵んでくれる。今から思えば確かに私は酷いことをしていた」
 尚も丑耳は説明を続ける。俺はなんとか丑耳の表情を見ようとするが、動物のイラストがプリントされた可愛い傘に隠れてどうしても見えない。
「そして私はあなたに出会った。私と同じような存在のあなたを見ている内に気付いたの。私がやってた事は間違いなんだって。そして自分の気持ちに整理がつかないままあなたと付き合っている中で更に気付いた。それでもいいのかもしれないって。だって燎池くんも私も異性が嫌いな者同士でも仲良くやっていけるもん。そう、私達が嫌いだったのは私達以外の人間だったのよ。それが本当の答えだったの。私達はお互いがいればずっと幸せに暮らしていけるのよ。私達は結ばれくして出会った運命の2人なんだよっ」
 それが丑耳が見つけた答え。それは、その考えは。
「…………」
 お前がそういう答えを突きつけるなら……だったら俺がやらなければいけないことは。
「私はそれを証明する為にあなたとの勝負に勝つ……いいえ、違う。2人が勝つのよ。世界を否定して2人だけが勝者になるの……だから明日、答えを聞かせて欲しいの」
 三ツ谷野菜店の店主が言っていた。俺のおかげで丑耳が変わったのだと。だけど……もう一歩が必要だとも言っていた。俺ならその一歩を踏み出させられるのか。俺はもうレディ・バグではない。だけど、そんな俺でもできる事があるのなら。俺にしかできない事があるのなら。
「……分かった。だが、デートではない。これは……俺とお前の勝負だ。そう……最後の戦い。明日、決着を着けよう……丑耳遙架」
 そうだ。これは勝負だけれど、もはや勝負じゃなかったのだ。これは丑耳……お前を倒すための戦いじゃない。お前を救うための戦いなのだ。
「ありがとう。私、明日必ず燎池くんを落としてみせるから……それじゃ、私はこれからバイトがあるから、行くね」
 丑耳は静かに背中を向けて、商店街の方へと走っていった。顔を見るとこはできなかったが、その後ろ姿は笑っているようにも、泣いているようにも見えた。
 だけど……救うためには丑耳遙架よ。お前はやはり敵だ。お前を救うために俺はお前を倒さなければいけないようだ。俺はもうレディ・バグではないが……それでも足掻いてやるさ。
 明日、全てが決まる。よかったな……リンネよ。どうやら愛憎渦巻くこの物語にも――とうとうエンディングが訪れる時が来たようだ。


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