女はすべて俺の敵!

第1章 物語の始動とレディ・バグの開始

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 そして授業が終わって放課後。
 美来が例の『男性殺し』の調査にはりきって、ついでに夜見史もそれに付き合って忙しそうに駆け回っていたので、俺は部室に寄らずに帰ることにした。
「まったく……あいつらはいつも騒々しい。だけど本当にリンネの言うとおりになってしまったな……確かに感情が入り乱れそうな展開にはなったが……はぁ」
 色々と面倒臭い展開だ。
 早く家に帰ってリンネとまた一悶着起こすのもなんだったので、遠回りして帰ろうと俺は商店街の方へ足を向けていた。
 晩夏それとも初秋……どっちつかずな午後の空は少しオレンジがかっていて、寂れた商店街の哀愁を際立たせていた。
 この商店街……半分くらいシャッターが閉まっていて、通行人もほとんどいない。大丈夫なのか、ここは。
 他人事ながらそんな心配をしていると、俺は突如――ピンチに見舞われた。
「え……? う、うそ、だろ……は……腹が、痛い?」
 急に、出し抜けに、いきなりのことだった。凄くお腹が痛くなった。な、なぜだ? 俺は人一倍腹の丈夫さに自信があるというわけではないのだが、かといってこんなにも腹が痛くなる理由なんて一つも思い出せない。
 そう、お腹が――って、あったよっ! 今朝! そういやリンネに腹を蹴られたよッ! 
「くっ、くそう……リンネの奴め。俺の平穏を滅茶苦茶にしおって……」
 なにがマスターだ。なにがご主人様だ。あいつが来てからいいことなんて一つもないではないか! とんだ疫病神だよ、あいつは!
 というか朝にやられた攻撃がなぜ今になって再び痛み出すのっ? なにこれ時限式の攻撃なのっ!? ハッ……も、もしやこれも何かの伏線になるというのか……って、どんな伏線なんだよ! いや、しかし本当にそうだとしたら俺がここで腹を痛めることによってステージが次に移る。ならば俺がやるべきことは……。
 という感じで、俺は腹が痛いのを必死で紛らわせようと、とにかく色々ああだこうだと考えを巡らせていた。
「で、でも駄目だ……動けない」
 俺の努力は無意味だった。
 とりあえず俺はトイレを探す。けれど見渡せど見渡せどシャッターばかり。トイレなんてなさそう。絶体絶命。お、俺としたことが……こんなところで。こんなところでぇえええ。
「あのぉ〜? なんか苦しそうな顔してるけど……大丈夫ぅ?」
 その時、俺の肩越しに声がした。甘ったるい女の声。くっ……こんな時にまたしても女か。本当になんて物語なんだ。ラブコメは他でやってくれと言いたくなるよ。
「あ、ああ……ちょっと体調がすぐれなくてな」
 だけど弱っている顔を見せるわけにもいかない。女に隙は与えないぞ。俺は努めて平静を保ち、ぎこちない笑顔で女の顔を見た。そして俺は少し戸惑った。
「そ、それならいいんだけどぉ……」
 心配そうな顔をしている少女は同じ高校の制服を着ていた。しかもその上から八百屋らしきエプロンを着用しているようだ。
「――って、全然平気そうじゃないよっ! 顔真っ青だし、汗すごいことになってるし!」
 俺の顔を見て少女は動転した様子。どうやらこの商店街の八百屋でバイト中といったところか。ならば、トイレを貸して貰えるかもしれない。しかし、女に助けを求めるなど!
「いいや、結構だ。俺はあいにく人間不審なものでな、己以外に誰も信用しておらんのだ。特に異性には心を許す気などない。親切を踏みにじるようで悪いが、馬鹿な男だと思って放っておいてくれ。人の感情を捨てた俺は修羅の道を進むと誓ったのでな……」
 主にリンネのせいで俺の女性不信にますます拍車がかかっていた。これぞレディ・バグ奥義、ディフェンシングモード・必要以上の警戒態勢。
「え……? あ、あなた……もしかして」
 ふふん。効果は絶大なようだ。制服の上にエプロンを着た少女は目を大きく開いて、驚いたような心配したような微妙な表情を顔に浮かべている。クールな俺にたじろげ。そして死ね。
 勝ち誇った気持ちになって、俺は横目で少女を観察してみた。
 その少女は高校生にしては幼い顔立ちをしていて、純真無垢なあどけない表情だった。少しくせっ毛のついた色素の薄い髪がふわりふらりと揺れている。そしてエプロンが約2箇所、やたらに膨れていた。これはなんというか……もの凄い巨乳な娘だ。多分美来よりも大きい胸をお持ちになってるぞ。エプロン破けそうだもん。やっぱ断っといてよかった。
「……うぅぅ」
 だが――そうこうしている内にも腹の痛みが加速していた。しかし……女に助けを求めるなんて俺のポリシーから反するっ。
「あっ……で、でもそんな事言ってる場合じゃないよっ。気持ちは分かるけど今は私を信用してっ。お願いっ」
 何故か少女はまるで俺の考えを理解しているような、いや……まるで自分自身の事であるかのように親身になって俺を言い聞かせようとする。俺はつい、その必死さに閉口した。
 そうだな……このままでは俺の命に関わってしまうし、俺のこれからの人生に文字通り汚点が付くことになってしまう。確かにそんな事言ってる場合ではないかもな。
「じ、実は……急に腹を壊してな……すまないが近くにトイレはないだろうか」
 弱々しく俺は言った。その言葉を聞いて少女はますます顔を曇らせ、俺の肩に手を置いた。
「え? そうなのっ? お腹がっ。うん、分かった。私がバイトしてる店のトイレ使っていいから、ついてきてっ」
 そう言って少女は俺の手を引っ張り、歩き出そうとする――が。
「う、いてててて……」
 腹が痛くてどうにも思うように動けない。我ながら情けない話だ。
「ご、ごめんっ、大丈夫?」
 薄茶色の髪を揺らしながら少女は不安そうな瞳で見つめてくる。なんて……親切なんだ。
「ほらほら、私の肩につかまって」
 少女は自分の肩に俺の手を回してきた。なんで俺にこんなに構ってくるんだ。
「……って、うわあ」
 突然の出来事に俺は腹の痛みを忘れて動転してしまう。
 お互いの体が急接近。というか密着。い、いきなりこの女は何をしているのだ? これはあれだろ……不純異性交遊ではないのか! おわわわわわわわっ。
「だ、大丈夫? なんか震えてるみたいだけど。お腹……痛くない?」
 少女は俺に気遣うように上目遣いで尋ねてきた。少女の身長は俺の頭一つ分低いため丁度少女の頭が俺の鼻の辺りにくる。だから少女の体が揺れる度に、シャンプーの香りだろうか、花のようないい匂いがした。敵対する女なのに……なぜか安心感があった。
「え、あ、う……うん。だ、大丈夫だが……」
 俺はしどろもどろになってしまった。だってしょうがない。さっきから俺の背中に少女の胸がぐいぐい当たっているのだ……。やっぱかなり大きいって、この胸っ。エプロン越しから感触が分かるくらいに存在感をぼよよんと感じるよ!
 そんな俺の邪な考えも知らずに、少女は俺の体を支えながらゆっくり歩き出した。
「私ね、あそこに見えてる八百屋でバイトしてるの。私の家、貧乏で母親しかいないから少しでも生活の足しになるかなって……」
 少女が、突然聞いてもいない身の上話を語り出した。なんのつもりなのだ? 同じ学校の生徒とはいえ、初対面の俺にこんなに親切に肩を貸して、あげくには結構ヘビーな家庭の話まで打ち明けるとは……ま、まさかこの女、俺に気があるんじゃ……。来栖咲喜の事といい、もしや俺にモテ期が到来したというのかっ!?
 少女はその間も色々とバイト先の八百屋の話をしていたが、俺は考えを整理するのに必死でほとんど頭に入らなかった。ただ、彼女が話す度に、かすかに甘い香りが俺の鼻腔をくすぐって安らかな気持ちになった。そしてきっと彼女の方も同じ気持ちを抱いているのかなと、なぜか分からないけどなんとなくそう思った。
「ほら、着いたよ」
 考えがまとまらないまま、少女が働いている八百屋に到着した。
 そこには腰の曲がった一人の老人がいた。少女と同じエプロンを着用している。
「すみません、おじいさん。この人体調が悪いみたいなんで、ちょっとトイレ貸してあげてもいいですか?」
 少女はその老人に事情を説明した。この人が店主か。八百屋の店主というのはもっと頑固そうなイメージがあったのだが、見た目大人しくて優しそうなご老体だった。
「あ〜あ〜、そりゃいかんね〜。ほれ、坊主。便所貸したげるから行ってきなさい。ほれほれ、そこの奥いったとこの左手にあるドアじゃよ」
 見た目通りの優しい声でご老体は店の奥を指さす。勿論ここは好意に甘えて、俺は一直線にトイレに向かった。

 そして数分後。
「ふぅ〜……すっきりしたぁ」
 腹の痛みも無事に治まって、トイレから出てきた俺はすっかり本調子に戻った。
「おうおう、もう大丈夫かえ?」
 三ツ谷野菜店と書かれた帽子を被った先程の老人が俺の顔を見て笑顔を作った。
「あ……おかげさまで治りました。その、ありがとうございます」
 なんとなく照れくさかったので、目が合わせづらい。
「ほっほっほ、いいんじゃよ。感謝するならあの子にするんじゃな。坊主のこと心配しておったぞ」
 心配か……。どうしてここまで俺の事を心配する必要があるんだ。俺はトイレの中で少女の意図を考えていたが結局分からなかった。不思議な少女だ。初めて会うのに彼女の話を聞いてると、まるで彼女を自分の事のようによく知ってるような……そんな気がした。
「あ、それで……あの子はどこに?」
「あ〜……ついさっき配達に行ってしもうたな〜、まあ戻ったときに伝えておくわい」
「そ、そうですか……それじゃあお願いします」
 ここで少女の帰りを待つとか言ってもご老体に迷惑をこうむるだけだし、そもそも少女を待ってもお礼を言うぐらいしかない。帰ろう……。
「おう、今度来るときは客として来るんだぞぉ〜」
 俺は苦笑いしながら三ツ谷野菜店を後にして、まっすぐ家に帰ることにした。
「そういえば……名前を聞くのを忘れていたな……ご老人に聞くべきだったな……不覚」
 商店街を出た辺りで俺はその事にようやく気が付いた。そして更に気が付いた。もしかして、世の中の全ての女は元々純真で高潔な存在なのかもしえない。そしてそれを失わない女性が……さっきの彼女のような人なのかもしれない、と。
 俺は名も知らぬ少女に少しの間だったが心を許していた。それは単に好きとかそういう感情ではない。本当になぜだかは分からないけど……俺とあの少女は親近感というか、どこか似ているような気がしたのだ。それが安心感の正体なのか? ……全然違うはずなのに。
「って、何を考えている支倉燎池。俺はレディ・バグなのだぞ。その考えは危険だ。危険すぎる。俺は女に対する絶対的な天敵なのだぞ」
 傍から見れば危ない人のようにぶつくさ呟いていた俺だったが……この時、俺の心臓が高鳴っていたのは、きっと帰り道を急いでいたせいだと思うことにした。


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