女はすべて俺の敵!

第2章 レディ・バグ 対 男性殺し(マン・イーター)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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 それからというもの、丑耳遙架からの熱烈なアプローチが始まった。
 ある時は教室で、ある時はグラウンドで、ある時は学校の帰りに、またある時は体育倉庫で、更にまたある時は街中で。……ストーカーか、お前は。
 そして、奴の攻撃方法も多種多様にわたった。
 朝、登校した俺が靴を履き替えようと下駄箱を開けるとそこには手紙。開けてみると、
『燎池くん、今日の放課後時間あるかな? ゆっくりお話したいんだけど……体育館の裏で待ってるから。 丑耳遙架』
 なぜ体育館の裏をチョイスするの? そして手紙では俺の呼び方が何気に燎池くんになっているのは何故っ?
 さらには昼休み、俺が財布を忘れて昼食が買えず困っていたところ、美来が「じゃあ、屋上で待ってて」と意味不明な事を言ったが、背に腹は代えられず言うとおりに屋上へ行くとそこには――、
「あ、支倉くん……お弁当忘れたの? あの、これ作りすぎたからよかったら……」
 頬を染めた丑耳が手作りお弁当を俺に向けた。謀ったな、美来ぃ〜ッ! 凄く迷ったがなんとか丁重にお断りして逃げた。俺の確固たる意思は易々とは砕けんよっ!
 誰が敵で誰が味方かもはや分からない。疑心暗鬼になった俺にさらに魔の手が伸びる。
 すっかり憔悴しながらもなんとか一日を乗り切った俺が学校を後にしようとした時、校門の前にまたまた丑耳遙架。
「あっ、支倉く〜ん。途中まで一緒に帰らないっ?」
 ひ……ひぃ〜っん!
 そんなわけで世間一般から見れば羨ましい限りと思われる日々であったが、俺にとっては悪夢の日々だった。もうこれ以上丑耳を振り切る自信はない。
 そう、認めよう。もしかしたら、ひょっとしてだけど、俺の心は丑耳にちょこ〜〜〜〜っとだけ惹かれつつあるのかもしれないと。俺の理性ではなく本能がそう言ってる。だけどこれはただの野蛮な煩悩だ。レディ・バグのこの俺が一時の衝動的な感情に身を任せるわけにはいけないのだ!
 しかし、俺の精神が日々摩耗していってるのも確かだった。こうなれば手段は選んでいられない。リンネよ、貴様の望み通り物語を加速させてやろうではないか!


「はあ、それで燎池はこのままじゃ負けそうだから私に助けを求めにきたってわけですかぁ?」
 俺の部屋で恋愛シュミレーションゲームをしながらリンネは間延びした声で答える。
「ああ、そうだ。そもそもよく考えればこれは貴様がきっかけで始まった事件だろう。感情とか恋愛とか物語がどうとかこうとか言って。なら貴様も何か手助けくらいしたらどうなんだ。マスターがピンチに陥っているのだぞ?」
 TV画面に目を向けると、ゲームは既にクライマックスにさしかかった辺りであった。
「ああ、それですね。う〜ん……ですが私は観測者なので、燎池の物語にあまり直接的には干渉したくはないんですよね〜。っていうか私は感情エネルギーが手に入るのなら燎池が女性と付き合おうが何しようが別にどうでもいいし、むしろそっちの方がより大きなエネルギーを得られるってのなら私はいつだってあなたの敵に回りますし」
 TV画面に夢中になりながら適当に答えるリンネ。とりあえずこいつが面倒臭がっているのは明らか。ていうかサラリと恐ろしい本音言っちゃってるし。
 リンネに相談した俺が馬鹿だったか。
「ちっ……役立たずめ……だけど観測者か……ふむ、実際当事者になって振り回されているから自分の立場を考える暇はなかったが……奴は、丑耳遙架はなぜこんな事をするのだ? こんな馬鹿げたゲーム。男性殺しなどと……」
 とにかくリンネを敵にまわすのは得策ではない。まずは落ち着いて考えよう。リンネのように一歩引いて全体を見渡してみて初めて分かる何かもあるのだ。
「わあ、さすが燎池。まず物語の根底を疑ってかかる。冷静な分析力です〜」
 絶対本心ではない、感情のこもらない口調でリンネは褒め称える。
「ふふん、茶化すなよ。まあ、お前に聞いても仕方がないかもしれんが。それよりも……このまま守り一辺倒じゃいずれ俺の心は折れてしまうかもしれん。なんとかせねばな……」
「あれ〜? 燎池もう落とされそうになってるんですかぁ〜? そんなんじゃ駄目ですよ〜。ゲームの女の子よりも攻略簡単じゃないですかぁ。でも私としてはそっちの展開の方がいいですけどね〜。恋愛感情の収集が一番効率的ですからぁ」
 燎池も愛の素晴らしさを知って下さいよぉ、とか言いながらリンネはピコピコと選択肢を選んでいる。心の中ではこいつ絶対俺の負けを願ってるだろ……。
「くっ、こいつは俺の気持ちも知らないで……まあいい。ここからは俺も攻めに徹する。丑耳の身辺調査を開始し、奴の弱点を掴むッッ」
「そうですかぁ〜頑張って下さぁい」
「ふん……何を言ってる。お前も行くんだよ。俺一人じゃなんだ……その……ほら、俺1人じゃなんか怪しいだろ。もしかしたらお前も何かの役に立つかもしれんからな……それに、これくらいなら物語に影響を及ぼすまいだろ? な?」
 なんとしてもリンネを敵側に回すのを回避したい俺は、無理矢理にでもリンネを味方として傍に置いておく。何か今の俺はものすごく格好悪いような気がするのだが……ふふ、まさか俺に格好悪いシーンが存在するなんて考えられない。そんなわけないよな。うん。
「あらあらうふふ。燎池もまだまだ甘えん坊さんですね……分かりましたよ、燎池。私もお手伝いさせて下さい。幸い、このゲームもクリアしましたから」
 見れば、TV画面では主人公がヒロインの中の1人の少女とキスしているシーンがアップで映っていた。クリア早いなこいつ……。
「ふふふ、コンプリートぉ。これでこのゲームの女の子達は全員攻略しました。面白いですね、恋愛ゲーム。うふふ、うふふふふ」
 リンネはデータを残すこともなく、そのままゲーム機とTVの電源をあっさり消した。
「さあ行きましょう、燎池。物語を加速しに」
「……い、今からかよ」
 正直言うと、この正体不明の少女の存在がたまに怖くなる時がある。なのに俺はこいつと生活を共にしている。俺はこいつを放っておけないのか? リンネに対する自分の気持ちがいまいち分からないが、とりあえず今はリンネではなく丑耳遙架の方が先決だ。

 というわけでさっそく俺とリンネは丑耳遙架の素行調査を行うことにした。
 時刻は夕方。しかしまだ空は明るい。今の時間なら丑耳は商店街にある三ツ谷野菜店でバイトしている頃だろう。
 俺は歩きながら隣にいる頭1個分以上背の低い白髪少女に話を聞いた。
「それで、教えろよリンネ。丑耳遙架っていったいなんなんだ? もしかして丑耳も俺と同類だったりするのか?」
 どう考えても丑耳遙架の存在は不自然だ。ふってわいてきたような都合のいいキャラ。ならば奴は俺と同様、物語を与えられしもう一人の存在だと仮定してもおかしくはない。
「いいえ、それは違うと思いますよ」
 だけどリンネはあっさり俺の仮説を否定した。
「なにぃ、違うというのかリンネよ。では丑耳遙架の存在はなんだというのだ?」
 拍子抜けしながら俺は訊くと、リンネは数秒の間う〜んと唸って口を開いた。
「彼女はきっと……あなたに引き寄せられたのですよ。たまたま、あなたに対する敵として相応しい人物だったからあなたの近くに配置されたのです。あなたの為に」
「俺に引き寄せられた? 配置……?」
 まるで人間扱いしていないようなその言い方に、俺は引っかかりを感じた。
「そうです、特別な人間にはそれにふさわしい特別な人間が引きつけられるのです。所詮彼女は燎池のストーリーを盛り上げるための装置でしかないのですよ〜」
 歩くペースを一定に保ったまま、にこりと笑みを浮かべる十二支リンネ。こ、こいつ……怖すぎる。
「で、でも彼女は以前からそうだったじゃないか。配置されたと言っても転校してきた訳じゃない。この学校には俺と同じ時期に入学しているぞ。俺とリンネが出会う前から丑耳遙架は学校にいた」
 俺は恐怖を振り払うようにリンネの言葉に反論する。
 そう。丑耳にだってこれまで積み重ねてきた人生があるはずなのだ。
 ……だが、リンネはニコニコした笑顔を顔に張り付かせたまま言った。
「……果たしてそうですかね? あなたが彼女の存在を知ったのは私と出会った翌日から。なら彼女はその時に、あなたのために生まれたかもしれないって言えるのでは? あなたの立場から見ればそうでしょう? 今までのあなたにとっては、彼女は確かに存在していなかった」
「そんな馬鹿な……だってクラスメイトは……教師は……」
「世界中の人間もそう思い込んでいるのです。そういう風に、日々人々の記憶は書き替えられているのだとしたら……」
「こ……この物語はいつからSFになったのだ」
 俺は悪態をつくので精一杯だった。なんなんだ、この女。一番危ないのはこの女なんじゃないのか。そういえば、どうして俺はこいつと生活しているのだ。それこそが一番の不自然じゃないか。この女この女。笑顔のままの女。感情のない女。レディ・バグの俺が女と――。
「……な〜んちゃって。ぷふふふふふっ」
 と、突如――リンネがぺろりと舌を出して吹き出した。
「へ?」
 俺は目を丸くして絶句した。
「全部適当ですよ。そういう話、燎池だったら食いついてくるかな〜って思ったんです。うふふ、燎池の言うとおりこの物語はSFじゃないんだから、そんな事あるわけないですよぉ」
 そう言ってリンネはペタペタと俺を抜かして小走りで駆けていった。
「な……び、びびらせるなよ、まったく」
 また俺はリンネのいいように煙に巻かれただけなのか。本当に分からない女だ。
 あと、道も知らないくせに先に行くなよ。俺は歩くペースを早めて後を追った。
「それより燎池はどう思ってるんです? 案外満更でもないんじゃないんですかぁ?」
 変な笑い方をしながら肘で俺を突いてくるリンネ。
「ふふん。甘いな、リンネよ。古来より偉大な王こそが女に足を掬われてきたという歴史がある。女の恐ろしさを侮ってはいけない。女は男を駄目にする魔性の生き物だ。そして優れた男ほどその堕落ぶりは凄まじい。故に、たとえどれほどの存在であっても女は全て全力で叩きつぶさなければならんのだ。それがレディ・バグとしてのたった一つの冴えたやり方ッ!」
「へー、あっそー。かっこいいーぬれちゃいますー」
「おいおい、お前の気持ちも分かるが……だけどレディ・バグの俺に惚れちゃ火傷するぜ?」
 なんて馬鹿みたいなやり取りをしている内に俺達は商店街に到着し、丑耳遙架が働く三ツ谷野菜店の目前まで来ていた。

「燎池。ここが例の八百屋さんですね。なかなか興味深い」
 少し離れた物陰から俺達は三ツ谷野菜店の張り込みをしている。
「そうだ、干支子よ。ここが例の場所だ。だがうかつな行動は慎めよ。常に優雅に冷静に行こうではないか」
「うふふ、ほんとだぁ。とってもおいそうですねぇ。あれが例の……野菜という食べ物なんですねぇ〜」
「って、そっち!? お前が興味あるの食い物なのねっ!?」
 もしかしてこいつは野菜の為に付いてきたのだろうか……。干支子にも反応しないほどの食いつきようだ。ま、邪魔をしなければ別にいいんだけど。
「いいか、リンネよ。くれぐれも大人しく……ってあれ? リンネ?」
 隣にいるはずのリンネがいつの間にかいなくなっている。ど、どこにいったのだ?
「まあまあ……これはなんですか? ご主人」
「おうおう……随分べっぴんな外人さんじゃな。これはな、大根って言うじゃよ……ていうか知らんのか? 大根」
 って、八百屋の爺さんと野菜談義に花咲かせとるうううう!!!! 何をやってくれてるんですか、リンネさんーーーーーーーーーーーーーっっっっっ!!?
 ちいっ……だが、見たところ幸いにも丑耳遙架の姿はない。今ならまだ間に合うッ。俺は必死でジェスチャーする。『リンネ戻ってこい』と。気付けぇ、リンネよおおお。
「まあまあ。この大根、とっても太くて大きいですわぁ」
「ふぉっふぉっふぉっ!」
 全然気付いてないしー! 何がふぉっふぉっふぉっだよ、クソじじい! 何かすごい怪しい絵になっちゃってんだけど!?
 く……仕方ない。ここは俺が直接出向いてリンネを回収するしかないのか……。丑耳遙架がいない内にッ。
「おい、リンネ――」
 俺がリンネの元に行こうとしたその時だった。
「あっ、支倉君。どうしてここに……?」
 俺の背後から声がした。
 こ、このタイミングで……な、なんてことなんだ……。
「……う、いや……」
 ご、誤魔化さないと……。
 俺は声のする方――丑耳遙架――へと振り返った。
「もしかして支倉くん……私に会いに来てくれたの……?」
 制服の上から三ツ谷野菜店のエプロンに身を包んだ丑耳遙架は、照れ臭そうに少し顔を赤らめて、ぱちくりまばたきしていた。相変わらず胸の辺りが窮屈そうだ。
「あ――ああ――いや、これは、その」
 さぁどう答える、支倉燎池。幸いというかなんというか、リンネの奴はまだ八百屋の主人と話し込んでいるみたいだ。ご老体も俺の事に気付いていない様子。ここは俺だけでも逃げ出すべきか? いいや、駄目だ。リンネを一人ここに残しておくと何をやらかすか分からん。どうする……とにかく今は適当に誤魔化すしかないッ。
「あ、ああ……そうだ。俺はお前に会いに来たのだ」
 精一杯に平静を装って答える。視線をリンネとご主人の方にチラリチラリと向けるのも忘れない。
「わぁ……そうなんだ、嬉しい。わざわざ支倉くんのほうから来てくれるなんて……」
 丑耳は大きな胸に手を当てて幸せそうに目を細めた。
 その時――どきん、と言いしれぬ何かを感じた。
 ……あれ。なんだろう、この胸の痛みは……いや、これはあれだ。俗に言う不整脈だ、きっと。うん、そうそう、単なる何かしらの病気だよ。
「う……あ……と、ところで丑耳遙架よ。お前はこんなところで何をしていたのだ? 店番をしていなくてもいいのか?」
 呼吸を整えながらなんとか発声する俺。
「あ、うん……お使いをちょっとね、頼まれてて……そうだ、支倉くんも寄っていきなよ」
 そう言って、丑耳は三ツ谷野菜店の方に視線を向けようとしたが、
「え、いや、俺は、今日は……ちょっとあれだから……今日は遠慮しておく」
 俺はすかさず丑耳の前に立ちはだかって阻止する。なるべくリンネを見せたくなかった。というか、あれってなんだよ。自分で何を言ってるのか分からない。
「う〜ん……そう。分かった。それじゃあ私、そろそろ店に戻るねぇ」
 って、ここで丑耳が店に戻るのはもっとまずいッ。
「って、ちょっと待った! まだ行っちゃ駄目っ!」
 俺は反射的に三ツ谷野菜店の方へ行こうとする丑耳の手を取って引っ張った。
「え?」
 無理矢理腕を引っ張られ、姿勢を崩し、ぐいんと傾く丑耳の体。やばい――予想以上に力が入ってしまった。
「あ……ご、ごめっ……って、うわっ!?」
 後悔したがもう遅かった。そのまま丑耳が俺の体にぶつかってくる。そして――。
「きゃ、きゃあっ!」
 どてん、と俺と丑耳は地面に転倒する。
「――っつう」
 俺の体の上に丑耳が覆い被さる形で倒れてしまった。
 だけどよかった……俺のせいで丑耳に怪我を負わせるという事態は防げたみたいだ。
「あ、あいたたた……大丈夫か、丑耳……って、むにゅ?」
 俺と丑耳の体の間に挟まっていた俺の右手に、何か柔らかい感触が……むむむ? 左手も動かしてみよう。
 もみゅもみゅ。ふむ、同じ感触だ。これは――なんだ?
「は、は……支倉くん……それ……それ……あっ」
 俺の上にのしかかる丑耳がえらく妖艶な声を上げている。というか気が付いたならどいてくれよ。もにゅもにゅぽみゅぽみゅ。
「あっ、はっ……わ、私の胸ぇ……」
 息づかいを荒くして目をとろんとさせる丑耳。ていうか、え? 胸? ……胸ええええええええええええええ!!!!????
「えっ、あ、あわわあっわわわわわわわあああああっ」
 俺が揉んでいたのは、丑耳の牛みたいに大きな……アレだったのかああああっ!?
「うわうわうわわわ……ご、ごめんッ。わ、悪気はなかったんだあああっ!」
 そうだと気付いた俺は這いずるようにこの状況から脱出しようとジタバタもがくが、もがけばもがくほど事態は悪化する。
「あっ……ちょっ、ちょっと……支倉くんっ……あ、暴れないで……あ、あ……んっ」
 動くほどに喘ぎ声を奏でる丑耳遙架。うわ〜! なんだよこの状況〜〜〜ッ! というか丑耳さん早くどいとくれえ! マシュマロの如きやわらかなものが俺の全身に当たってるうぅぅぅううう!
「で、でも……支倉くんが望むんだったら、私……。あ、でもこんなところでは駄目だよさすがに……燎池くん……あっ」
 上に被さりながら俺の耳元に囁きかけるように、とんでもないことを言っちゃってるよ!
「い、いいからど、どいてくれよぉ」
 俺の声は既に泣きそうなものになっていた。
「あ、うっ……うん……そうだったね」
 丑耳はゆっくりと立ち上がったが、心なしか物足りなげな顔に見えたのは俺の気のせいだろうか。きっと気のせいだ。思春期の妄想のなせる技だ。
「……あ、ああ……ご、ごめん」
 俺はもう謝ることしかできなかった。というか腰が抜けて立てない。
「ううん。いいの……ほら、燎池くん。立って」
 丑耳が手を差し伸べた。俺は……その手を取って立ち上がった。ていうかどさくさに紛れて何気に俺のこと燎池って呼んでるんだね。いいんだけどさ。彼女の心境に何が起こったのか怖くて想像はしたくない。
「ふぅ〜……」
 立ち上がった俺はしばし解放感に包まれて何気なく周囲を見回した。そして絶句。
「…………」
 俺の目の前には――三ツ谷野菜店のご主人と、十二支リンネの姿があった。
 目が飛び出しそうになっちゃった。危うく現代の妖怪の仲間入りを果たすところだった。
「…………」
 2人は何も言わず、冷めた目で俺を見つめている。
「あ……こ、これは……」
 いや、もう言い訳すら出てこない。最悪だ。いろいろ。
 するといきなりリンネは、何を考えているのか分からないお得意のスマイルを向けてきた。
「にへら〜」
 余計に怖いよ。
 そして八百屋のご主人は、
「うひょひょひょ〜。お熱いの〜。青春じゃのぉ〜」
 このくそじじいめ。
 すると、俺の隣にいる丑耳の顔が急速に赤くなっていった。そして弁解し始める。
「そ、そんな……あれは事故ですっ! は、配達行ってきましたからねっ、おじいさんっ」
 丑耳が顔を真っ赤にして取り繕う。まあ、顔が真っ赤なのは俺も同じなんだろうけどね。
「そうかい、そうかい……それじゃあ今日はもうあがっていいよ、遙架ちゃん。彼氏さんと一緒に帰りなさい」
 だから彼氏じゃねえっての。
「は、はい……そ、それじゃあ着替えてくるから……待っててくれるかな? 燎池くん」
 もじもじしながら俺を上目遣いに見る丑耳。というか彼氏という部分は否定しないのね。
「……ま、まあ、いいだろう……その、俺も先刻は取り乱していたとはいえ、無礼を働いてしまったからな……せめてもの罪滅ぼしだ」
 丑耳と目が合わせられなかった俺は、とっさに視線をリンネの方に向けた。何も言わずただニッコリと俺を見つめている。
「え? い、いいの……燎池くん? あっ、ありがとうっ。私、すぐに着替えてくるから、絶対待っててね、燎池くんっ」
 丑耳は本当に嬉しそうな顔になって八百屋の方へと走っていった。あの顔のどこにも演技なんて感じられない。本当に彼女は俺と帰るって事を楽しみにしている……そんな顔だった。
 そして取り残された俺とリンネと八百屋のご主人。……すると、
「燎池君――と言ったね?」
 突然、ご主人が俺に語りかけてきた。相変わらずの穏やかな顔で優しそうな声だった。
「あ……はい。その節はどうも」
 ちなみに彼氏ではないんです、とか今更言えるわけもないよな。ご老体は優しい顔をしながらも声の調子を落として言った。
「燎池君……あの子、遙架ちゃんはね……とっても寂しい子なんじゃよ」
「……は、はぁ……寂しい、ですか」
 突然何を言い出すのだ、このご老人は。なんなんだこの展開は? なんというか、どこかで見たことあるような流れだぞ。
「あの子はね……複雑な家庭なんじゃよ。それでな、あの子は心をずっと閉ざしておったのだよ」
「心を閉ざしてる……そんな風には」
 見えない。むしろさらけ出している。
「ふぉふぉふぉ、ワシには分かるよ。何しろ燎池君とは経験が違うわい。でもね……燎池君にはワシにはできないことをやってくれた」
「な、なんです。それは……」
 そんなの嘘だ。俺は何もやっていない。俺は丑耳遙架とはむしろ敵同士なんだぞ。なのにこの老人はわけの分からないことを言う。
「それは自分が一番知ってる事じゃよ。でもあの子が変わったのは確かじゃ。君がこの店に来てくれてから時から遙架ちゃんはきっと変わったよ、いい方向にのう」
「俺は……そんな」
 知らない。分からない。勝手に押しつけないでくれ。
「でも、あの子はまだ後一歩大きく飛び立たなければいけない。その一歩はきっと遙架ちゃん一人じゃ飛べないじゃろう。でも君となら多分……」
「……はぁ」
 なんだよ、このありがちなシチュエーションは。そんなんじゃまるで。まるでこれは……俺が丑耳を救う話みたいになっているではないか……。趣旨が変わってきているじゃないか。どういうことなんだよ。どうなっているんだよ。なあ……十二支リンネよ。
「にへら〜」
 …………。

 そして待つこと数分、丑耳遙架が店の奥からやってきたので、俺達は三ツ谷野菜店の店主に別れを告げて、3人並んで帰路に着くことになった。空はいつの間にかあかね色に染まっている。その中を俺達3人が――、
「――って、3人ッ!? なんでお前までついて来ちゃってるの、リンネ!!」
 しかもリンネは俺と丑耳を挟んでのセンターポジションに立っている。なんかもうツッコミどころ満載だ。
「あら、私はただ燎池に言われてついてきただけですが……? 一人で行くのは怖いからついてきて〜って言ったのは燎池じゃないですかぁ」
 た、確かに言ったけど! それに近いニュアンスでそんなこと言ったような気がするけど!
「あ……いや、だってそれは……っていうかもう帰れよっ。お前がいるとすごくややこしくなるからっ」
 結局何の役にも立たなかったし、むしろ足を引っ張るだけ引っ張りやがって。
「あら〜、そうですか〜。燎池もわがままですねぇ。用済みになったら私もすぐにポイなんですねぇ」
 人聞きの悪いことを言うな。すごい誤解されそうな言い方だよ、それ。
 できれば丑耳遙架にはリンネの存在を永遠に隠しておきたかったのだが、それはもう不可能だろう。リンネを挟んだ向こう側にいる丑耳の方を怖々と見てみる。
 丑耳は明らかに戸惑っているような表情を浮かべていた。そりゃそうだ。だって俺と2人で帰るつもりだったのに、なぜか謎の白髪美少女がセットで付いてきているのだから。
「あのぅ〜2人はどういう関係……っていうか、あなたはいったい……?」
 俺の視線に気が付いた丑耳はおずおずと当然の疑問をぶつける。やっぱ聞くよね。
「むぅ……それはだな……」
 正直に言えるわけがない。自称宇宙人か異世界から来たみたいな、人物と呼べるのかどうかも怪しい者と同居しているなんて言えるわけがない。
「あらあら、ご紹介が遅れました。はじめまして、私の名前は十二支リンネです。ちなみに燎池は私のマスターです」
 うおいッ! 俺が考えを巡らせている内に自分から言っちゃったよ! どうしよう! ま、まあ……俺がマスターだという部分を除いてヤバイ事は口走ってないのが幸いだが。そうだよ、いくらなんでもリンネだってそれくらい空気は読んでくれるはず。
「え……ま、マスター?」
 丑耳はぽかんとした顔で俺とリンネを交互に見比べている。リンネは指を立ててびしっと補足した。
「つまり燎池はご主人様です。現在私はご主人様の家で住み込みで仕えさせて頂いてます」
 そうそう。いわゆる同居生活ってやつをしてるんだよね。メイドさん的な〜……って、リンネさん一番言っちゃいけないこと言っちゃったよッ!
「え? えええっ?」
 ああ、丑耳遙架が混乱している。なんか頭をぐるぐるさせているぞ。くそう、リンネめ、色々と口走りやがって! こいつには守秘義務はないのか!? こうなれば俺の華麗で美しきフォローをッ!
「えーとだな! 丑耳よ! これはな、あれなんだ。実はリンネは俺の親戚でな! 外国に住んでるハーフなんだ! それで日本に留学しに来て俺の家に滞在することになったんだよ! で、ほら、ご主人様とか言ってるのはほんの冗談だ、子供の遊びさ! 実際はお兄ちゃんと妹みたいなそんな感じなのだよ! ふはははははっ」
 俺の素晴らしすぎるほどの弁論術。秘技・詭弁講釈正当防衛(美しい嘘)ッ。自分の才能が怖くなるよ、ぬははっ。
「な、なるほど……う〜ん……」
 丑耳が思案する。いろいろと納得できないのだろう。ははっ、だが俺の言葉に矛盾など起こりえようがないのだ。俺はこの間にリンネに口止めをする。一切の時間を無駄にしない男、支倉燎池ッ!
「おいっ……リンネっ……ちょっと話がある」
 丑耳に気付かれないように小声でリンネに話しかける。
「……なんです燎池?」
 俺の意図を察したのかリンネも小声で返してくれた。なんだよ空気読めるじゃないか。俺は用件を早口で伝える。
「いいか、黙って聞いてろよ。とにかくお前はこれ以上余計なことを言うな。お前だって自分の正体がばれたらマズイんだろう? 後のことは俺一人でなんとかするからお前は先に帰ってろっ。ていうかもうお前むしろ自分の星に帰れ」
 一気にそこまで話してリンネの反応を伺う。リンネは不服そうに頬をふくらませて反論してきそうな様子だったが、
「いや、自分の星には帰れませんけど……そうですか、分かりました。燎池がそこまで言うなら私はここで退場しますが……」
 珍しく素直に言う事を聞いてくれた。明日は雨でも降るのかもしれない。
「すまんな。帰りにケーキでも買っておいてやるから」
 言っておいてなんだけど、よく考えたらそんなお金持っていないや。
「いいですよ、どうせお金持ってないでしょう。それよりも燎池燎池……私にいい考えがあります」
 バレバレだし。だけどリンネは不服そうな顔から、いたずらを思いついた子供のような上機嫌な顔に変わっていた。
「む、なんだ?」
 何を企んでいるのか、リンネは耳を貸すように言うので俺はその通りにした。俺の耳にリンネの吐息がかかる。なんだかドキドキする。何を言うつもりなのだろう。
「燎池、燎池。ここはあの女の家まで送って行きやしょう。それで家を突き止めて奴の弱みを握るんでげす。げへへへへ」 
「なんでそこで山賊の子分みたいな喋り方っ? すっげー小者っぽいっ」
 何を言い出すのかと思えば、すごい卑怯な発想! うっかり大きな声出しそうになったよ!
「きっと燎池と2人っきりならあの女も安心してボロを出すに違いありませんでぇ」
「なんか悪い子っ。君ってこんなに邪悪な人だったっけっ?」
 その様子はまるで時代劇の悪代官と越後屋みたいな絵になってるだろう。
 そんなただならぬ邪気を感じ取ったのだろうか、気が付けば丑耳が何やらじと〜っと疑惑の目を我々に向けている。
「2人共、何の話をしてるのかな?」
 だけども笑顔は忘れない丑耳。口元がひくついてるのが怖いけど。
「うっ、と……その……丑耳の家まで送って行こうかって話をしていて」
 まあ、嘘は言っていない。
 丑耳は突然の提案にもじもじと伏し目がちに思案している。これはいい答えを期待しない方がよさそうだ。
「えと……私の家……ですか。いいけど……」
 って、OKなのかい。でも丑耳は少し困ったような表情をしている。リンネの方を気にしているようだ。
「おっと、これは失礼しました。それじゃ、後は若い2人に任せて年寄りは去ることにしますよぉ」
 リンネは空気を察し、ニヤニヤしながら自分の頭を軽く小突いて、駆けだしていった。
「っていうかなんで年寄りなんだっ? 見た目で判断するのはなんだけど、多分お前の方が年下だよ!?」
 あれ、でも実際リンネの年齢っていくつなんだろうな。実際10万歳とか言ってもおかしくないような奴だしな。
 でもいいか。キャラが壊れたままだけどリンネはどこかに行ってくれた。でもこれ状況的にどうなんだろうな。確かに丑耳の家に行きやすくなったのは確かだけど。
「あの……燎池くん」
 リンネの姿が見えなくなると、丑耳がおずおずと尋ねた。あ、俺の呼び名はやっぱ燎池くんで固定なんですね。いいけど。
「な、なんだ?」
「えっと、さっき燎池くんリンネちゃんのこと、多分年下って言ってたけど……燎池くんリンネちゃんの年齢知らないの? っていうか、リンネちゃんって本当に燎池くんの親戚の子なの……?」
 や、やってもうたぁぁああああ! すっごい疑われてるうううう〜〜〜〜!!!!
「え、え〜と……そのだな……」
 ――このあと俺は、丑耳の家に到着するまでの間、リンネについて必死の思いで誤魔化し続けた。こうして考えると、俺に訪れるほとんどのトラブルはリンネが運んできているような気がする。


「ここがお前の家か……」
 なんとかリンネの事を渋々ながら納得してもらった頃、俺達はようやく丑耳の住む家の前へと到着した。
「うん、そう……」
 恥ずかしそうに頷く丑耳。
 ざっと外観を眺めてみる。目の前に立つのは小さな一軒家。お世辞にも立派な家とは言えない質素な家だった。言っちゃ悪いが台風が来たら吹き飛んでしまいそうな感じの。
 なんと感想を言えばいいのか分からずに俺が立ち尽くしていると、
「あー、姉ちゃんだあ! おかえり〜姉ちゃん〜」
「お姉ちゃ〜ん、お腹すいたぁ〜」
「びゃ〜ん!」
 な……なんだ。なんか子供が出てきたぞ。しかも3人。上から順に8才くらいの男の子。5才くらいの女の子。3才くらいの女の子。しかも3才の子泣いてるし。
「あ、燎池くん。この子達は私の妹と弟よ。この人は燎池お兄ちゃんだよ〜」
 丑耳は自分の元に群がってくる子供達をあやしながら紹介した。
「あ〜、姉ちゃん彼氏連れてきたのかぁ〜。ひゅ〜ひゅ〜」
「ひゅ〜ひゅ〜」
「ひっく、ひっく……」
 なんだこのあったかホームドラマは!
「もっ、もう! あんまりお姉ちゃんをからわかないでっ! ほら、もうすぐご飯作るからあんた達は部屋の片付けしなさいっ。どうせ散らかしっぱなしなんでしょ!」
 顔を赤くしてぷんすか怒っている丑耳。珍しい姿だ。これが姉としてのプライベートの姿か……ていうか彼氏ってのは否定しないのね、やっぱり。
「わぁ〜、姉ちゃんが怒った〜」「怒った〜」「ひゃ〜」とか言いながら3人の小さい子供達は家の中に走って行った。
 この子供達……なんというか、丑耳の兄弟なのにあまり雰囲気が似ていないというか、真っ直ぐ生きているというか……。いや、それじゃまるで丑耳がまっすぐ生きていないみたいな言い方だけど、でもなんとなくこの子達は丑耳とは違う空気を持っていた。
 俺がぽか〜んとしたまま丑耳家の門前に立っていると丑耳がはにかみながら言った。
「ね、ねえ燎池くん……よかったら今日ごはん食べていかない? カレー作るんだけどさ」
「え? えと……そうだな……別にいいぞ」
 自分でもその答えに驚いていた。俺が女との食事に付き合うだなんて。
「うふふ、ありがと。それじゃ中に入って」
 言われるがままに、俺は丑耳の家に入っていった。
 中は中で古びていた。かなり年季の入った建物で、激しく老朽化が進んでいた。ところどころ木がささくれたっている。
 俺は丑耳の兄妹達と一緒にちゃぶ台を取り囲んで座ってキョロキョロしていた。子供達はやはりドタバタとうるさかった。俺は、古い家だな〜と見回していると、台所の方で俺に背中を向けたまま、丑耳が恥ずかしそうな声で俺に話しかけた。
「え、えへへ……見ての通り、私の家ぼろっちいでしょ?」
 食事の支度をする後ろ姿がなんとなく寂しそうに見えた。
「……」
 ああ、そうですね。とは勿論言わない。俺は上手く返す言葉が思いつかない。ふん、いざという時は何も言えないなんて……我ながら情けない。
「実際ね、結構貧乏でさ……あ、でも貧しくても明るく〜、ってのがモットーだから気を遣わなくてもいいよっ」
 気を遣うなと言われてもそんな重い話されたら遣いたくなくても遣ってしまうだろ、気。
「……私ね、お父さんがいないんだ」
 更に何を言い出すのかと思えば、丑耳はこんなところまでを俺に告白した。
「え……なんで」
 思わず訊いてしまった。
「女の人と不倫してそのままどっか行っちゃったみたいなんだ……」
 違う。そんな事じゃない。
「今は母が水商売の仕事をしてその生計でなんとかやっていってるの……子供4人もいるのに勝手な話だよね。あはは」
 違う。俺が聞きたいのはそんな事じゃないんだ。
 俺が聞きたいのは――なぜお前は俺にそんな身の上話をするのだということだ。
「だから私は父を憎んでいるし、正直言うと男の人に少なからず敵対心を持ってるの」
 男が嫌い。故の男性殺し……なのか。
「じゃ、じゃあなんで俺に……」
 俺に好意を寄せているのだ?
「燎池くんは私と同じなの……実は私、燎池くんのこと前から知ってた。燎池くんが女の人を嫌いっていう噂は前から耳に入っていたから。でも燎池君に商店街で会って話をした時思ったんだ。もしかしたら私、変われるかも知れない。もっと自分を好きに慣れるかもしれないって」
「ど、どういうことなんだ……俺は何も……」
「うふふっ、燎池くんには分からないよっ。これは私の問題だから。とにかく私は燎池くんとこうやって一緒にいることで癒されてるの、これは燎池くんのおかげなの。女の子が嫌いな燎池くんだからこそなんだっ」
 俺が女が嫌いだからこそ? ならお前は男が嫌いだというつもりなのか?
「そんな……俺は……だって」
 だとしても分からない。俺は女から好かれる道理なんてどこにもないのだ。
「勿論いまは勝負中なんだけど、私は勝負なんて本当にどうでもいいの。こうしていられるだけで幸せだから――でも」
 突然、今まで恥ずかしそうに視線を彷徨わさせていた丑耳の表情に影がよぎった。
「で――でも?」
 俺は固唾を呑む。もう、俺はこの少女から目を離せなかった。童顔の少女はしかし、年齢以上に精悍な目で俺の顔を捉える。瞬間、俺の胸の鼓動は高まる。
「やっぱり――私は男を許さない」
 これが……男狩り、マン・イーター、男性殺し……丑耳遙架のルーツ。
 そして俺はそんな丑耳遙架に惹かれていた。どうしようもなく――俺は負けていた。


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