エルデルル冒険譚

第2章 冒険

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

4

 
 翌日、早朝。
「はぁ〜ぁ……」
 白ずんだ森の中で俺は長いため息を吐いた。
 薪の炎はすっかり消えていて、近くの草木には朝露が太陽の光に反射してキラキラしている。
 そんな爽やかな明け方だったが――俺の気分は最悪だった。
 昨夜は色々あって全然休めたようには思えなかった。2夜連続。
 結局また瀕死の状態で朝を迎えることになったし。ここのところ疲れが全くとれない。
 俺は身支度しているゼリィの方に顔を向けた。
「……ちっ」
 舌打ちしてるし。めっちゃ怒ってるし。ますます2人の関係は悪化の一途を辿るばかりだよ!
「はぁ〜……」
 俺は更に深いため息を吐いた。
「今日中には町にたどり着けるようにしましょう」
 向こうの方で真字が長く艶やかな黒髪を軽くなびかせて言った。
「…そうと決まれば話は早い」
 天女ちゃんが静かに言った。
「なら出発よ」
 なんだか2人共やる気満々だけど……でも大丈夫かなぁ。だって俺ら最弱パーティーじゃん。敵とエンカウントしたら今度こそ全滅するんじゃないの?
 けどここで文句を言ってたってしょうがないので出発することにした。
 炭となった木々の燃えかすと、食べ物の残骸が名残惜しそうに俺達を見送っているようだった。


 道中、俺達はなるべく敵と遭遇しないように道を進んで行った。
「うん、なかなか好調ね。どうやら敵も意外といないみたいだし、この分だと戦闘も回避していけるかもね」
 真字は嬉しそうに言う。
「そうだといいんだが」
 いや、でも冷静に考えたらそれはそれでいいんだろうか? レベルが低いまま強引に物語を進めていたらきっと詰むぞ。
 俺はそんな疑問を抱きながらもしばらく歩いていると、やがて荒涼とした大地に出た。
 ゴツゴツした岩が切り立った谷のような場所だった。乾いた風が吹き、生い茂る草木は少なかった。
「…この谷を抜けた先に目指す町がある」
 天女ちゃんが崖に立って眼下に広がる景色を指さす。よく目を凝らして見てみると遠くの方に建物が密集しているのが確認できた。
「なかなか遠いわね」
「きょ、今日中に辿り着けるでしょうかぁ」
 俺達は並んで見下ろす。風が音を立てていた。険しい道のりになりそうだった。

 谷をせっせと下り始めて数時間。
「ふう……しんどい。なあ、そろそろ休まねえか?」
 俺は弱音を吐く。細いくねくねした道やら、切り立った断崖やら周りを岩壁に挟まれた道やらの難所を歩き続けたので、俺はそろそろ限界だった。
「何よ、根性ないわね。あなた勇者でしょ」
 先を歩いていた真字は俺に振り返って言った。全然平気そうな顔をしていた。
「……ぜ、ゼリィは疲れて――」
 ――るわけないよね。俺の事などお構いなしに、谷を流れる川沿いをぐんぐん進んでる。
「なら天女ちゃんは……」
 天女ちゃんは魔法使いで、見た目的にもとても体力がありそうな感じには見えなかった。
 よし、ここは天女ちゃんをダシにして休憩をとる作戦でいこうと俺の後ろを歩いている天女ちゃんに顔を向けると――彼女はなんか変な動物の背中に乗って移動していた。
「ってえ、なんだよそれっ! すっげえ便利だ!!!」
 大型のトカゲみたいな生き物だった。
「…召喚魔法」
「戦闘では役に立たないのに……。で、でもそんないい魔法があるんだったら俺にも――」
「この召喚獣はあたしにしか乗りこなせない…それにあなたの体重じゃ元々無理」
 トカゲの背中の上で体を上下に揺らしながら、天女ちゃんは残酷な答えを聞かせてくれた。
 ほんと役に立たねえ!
「それにしても召喚獣って私、納得できない部分があるのよねぇ」
 真字が歩きながら話を広げてきた。
「…それはどういった点じゃ?」
 聞き捨てならんと天女ちゃんが尋ねる。もうなんかみんな休む雰囲気とかそんなんじゃないし。ああ、なんかもう嫌になってきた。
「だって、召喚獣って召喚した人間の言うこと何でも聞くんでしょ? それって都合良すぎじゃない? 別に召喚獣は奴隷でもないし、弱みを握られてるわけじゃないんでしょ」
 なるほど。今まで深く考えていなかったけど、確かに召喚獣の存在って曖昧だよな。
「…それはあたし達は契約している関係であるから…」
 天女ちゃんは弁明した。
「契約ぅ〜? でもそれって召喚獣にとってのメリットって何かあるわけ? 基本召喚する方が召喚獣の力に頼るだけで召喚獣の方は報酬とか貰ってるイメージないんだけど」
 鋭い真字の指摘。
「…いや、でも召喚獣を呼び出す際に魔力を消費するから…」
 天女ちゃんが珍しく動揺している。
「で、でもそれは呼び出す為の魔力で、別に召喚獣の報酬ってわけじゃあ……」
 ゼリィも便乗してきた。さすがドS。困っている人間がいればすぐ叩きにくる。
「う、そ…それは…」
 とうとう天女ちゃんは反論できなくなった。
「そうねぇ。やっぱり疑問よね。どうして召喚獣は大人しく何でも言うことを聞く仕組みになってるのかしら。これじゃ契約じゃなくて主従関係よね……そういう不透明な部分が魔法のイメージを芳しくないものにしているのよ」
 真字はなんかの評論家みたいに一人でうんうん頷いている。
「でも遊び人さん。きっと何かからくりはあるはずです……う〜ん……あっ、そっかぁ。きっと召喚獣さんはマゾなんですね」
 ゼリィは屈託のない笑みでとんでもない仮説を立てた。
「いや、いくらなんでもそれはないだろ! なぁ天女ちゃん」
 俺は思わずツッコむ。なんだか天女ちゃんの下のトカゲが不憫に思えてきたよ。
「そうじゃ、召喚獣はみんなMなのじゃ。みなあたしに仕えることに快感を感じているのじゃ」
「って、認めたしッ! 滅茶苦茶な結論出されたしッ!」
「このトカゲもきっと上にあたしが乗っている事に興奮を覚えておるのじゃ!」
「あやまれ! 一生懸命働いてるトカゲさんにあやまれ!」
 心なしトカゲの目から涙が溢れ出し始めたような気がした。いったい何を思って天女ちゃんを運んでいるのだろうか。それとも獣だから別になんとも思っていないんだろうか。
 ま、いっか。現状に問題ないなら別にいいだろう。いつの間にか真字もゼリィもこの話題には飽きたらしく、歩くスピードを速めてどんどん先に進んでいってる。
「どうでもいいけど召喚獣をもっと大切に扱ってやれよな」
 そういうわけで俺も彼女達の後をついていくことにしよう。体力の限界だけど。
「…そんなことお主に言われんでも分かっておるわい…それよりもっと速く進んでくれんか…前の2人からどんどん距離が離されていってるが…」
 細い道なので抜きたくても俺を追い抜くことができないらしい。後ろにいる天女ちゃんは心の折れそうになってる俺を過酷に追い詰める。
「そりゃあ自分は楽してるからそんなこと言えるよな……」
 ゆるゆる歩きながら答える。
「…あたしは大魔法使いだから当然の権利」
「何でも言うこと聞いてくれるその乗り物がなかったらどうするんだよ」
「…お主の背中に乗るまで」
「俺は召喚獣じゃねえよ!」
 なんで天女ちゃん担いで行かなきゃいけないんだ!
「…なら強引に契約するまで」
「あ、あんた鬼っすか!」
 乗り物召喚獣がいなければ俺は今頃地獄を味わっていただろう。ありがとうトカゲさん。けど、もしかしたらこのトカゲも天女ちゃんから無理矢理に契約を……考えたら恐ろしくなった。
「…そんな事よりはやく歩くのじゃ…後がつかえておるぞ」
「わ、分かりましたっ」
 自然と敬語になってしまった俺。刃向かえばどうなることか分からない。
 俺は天女ちゃんに背中を小突かれながら歩を進めた。

 足が棒のようになりながらも歩き続けていると、どうにか拓けた場所まで辿り着くことができた。気付けば、あと一息で谷も抜けるといったところまで来ていた。
 そしてその広場では真字とゼリィが地面に腰を降ろして休んでいた。
 良かった。これでやっと休むことができる。
「ああ、やっとあなた達追いついたのね。じゃあ、私達もゆっくりしたところだしそろそろ行きましょうか。この谷ももうおしまいよ」
 そう言って真字とゼリィは立ち上がった。
「お、鬼だ! あんたらはやっぱり鬼だ!」
 もう嫌だ。家に帰りたい――と思って俺は何気なしに頭を空に上げた。
「……ん? あれは……?」
 その時俺は、空に小さな点が飛んでいるのを確認した。その数2つ。
「何かとてつもなく嫌な予感がするんだけど……」
 以前にも同じようなものを見たような気がした。
 小さな点は徐々にこちらに近づいてきて、その姿が次第にはっきり見えてくる。
 ――もうその正体に確信が持てた。
「久しぶりだな、勇者よ!」
 俺の予想通り、それは魔王だった。
「はぁ〜い、勇者ぁ〜」
 そして昨夜会ったばかりのサキュバスもいた。
 こんな時に……最悪だ。
 バサバサと音を立てて小高い岩の上に2人は着地する。
「きょ、今日は何の用だっ?」
 彼らを見上げて俺は叫ぶ。
「ふははははっ。そうかっかするでない――と言いたいところだが勇者よ。今日は貴様に訃報を届けに来てやったのだ」
「訃報……だと?」
 俺の体に緊張が走る。太陽を背にする2人の姿はまぶしく、俺は目を細める。
「勇者よ、我が輩は貴様を殺しにきた。貴様の墓標は……ここだ!」
 と、魔王は叫んだ。
「な、なんだってーーーーっっっ!?」
 またも魔王が直々に俺の元にやって来たかと思えば今度は殺しに来ただって。この前はすぐ帰ったじゃん。なんで殺されなきゃいけないんだよ。気まぐれすぎるだろ。
 俺はそういった文句を魔王にぶつけてみた。だけれども、
「ぬふぁははははは! 我が輩はとても気の短い男なのだ! 黙って勇者を見過ごすのも我慢の限界でな!」
 俺達の方を見下ろしながら魔王は威風堂々とした調子で言う。
 なんと自分勝手な奴なんだ。
「そういうわけだ。悪いな勇者よ、貴様は今ここで死んで貰う」
 魔王は小さくジャンプして岩の上から飛び降りた。
 10メートル以上はあるのに、なんでもない感じにヒューストンと俺達の目前に魔王が着地する。
 俺の近くにいた天女ちゃんが怯えるように体を硬くさせた。
 遠くではゼリィも恐怖で足を竦ませているみたいだった。
「そこまでして俺を殺さなきゃいけない理由ってなんなんだ……」
 俺は思いきって魔王に尋ねてみた。答えなんて期待しなかったけれど、駄目もとだ。俺はどう足掻いてもこの怪物に勝つ事はできないのだから。
「それは――ただ単に貴様が勇者だからだ」
 魔王は答えた。
「なに……?」
「役割の話だよ。魔王がいるから勇者が求められているのと同じように、勇者がいるから魔王が必要なのだ。要は誰でもよいのだ。ただわが輩達は求められている役割の中で踊っているに過ぎんのだ」
 意味は分からなかったが……そう語る魔王はどこかしら物憂げな様子に見えたような気がした。
「何の事を言ってるんだ、お前」
「くはは……気にするな、戯れ言だ! 要は我が輩が貴様を倒し、本当の意味での世界の支配者になると言う事だ。我が輩はエンターテイナーに甘んじる気はないのだっ!」
 よく分からないが魔王は自分の魔王という現状の立場自体に不満を持っているようだ。この世界について何も知らない俺にはその心情は理解できないが。
 今はそれよりこの状況をどう切り抜けるかだ。
 魔王というからには恐らくこいつの実力はぶっちぎりなんだろう。なにしろ大剣を軽々振り回してた頃のゼリィを一撃で倒したんだ。昨日戦った悪魔よりも、勿論あの自称勇者よりも天才魔法使いの夜芭さんなんかより比べものにならない位強いんだろう。
「ど、どうすれば……」
 俺は後ずさりする。
「フハハハ。諦めろ勇者よ。恨むなら貴様に割り振られたその役割を恨むんだな」
 魔王がジリジリにじり寄る。俺は追い詰められた。
 すると、今まで黙って見ていたサキュバスが岩の上から語りかけてきた。
「魔王様、油断は禁物ですよ〜。なんたって相手は勇者なんですからね〜。魔王様にとっての天敵なんですよ〜?」
 まるで傍観者を決め込むように、戦いに巻き込まれまいとするかのように、サキュバスは隠れるように俺達を見下ろしていた。
 そして俺はサキュバスを見て、そして天敵という言葉を聞いて――昨夜の話を思い出した。
 当のサキュバスから聞いた、勇者の光のことを――。
 これは……どういうつもりだ。
「ふわっはっはっはっ。何を言うかサッちゃん。我が輩がこんな右も左も分からぬような勇者に負けるとでも? まだ魔王になって間もないからか、我が輩も見くびられたものよの。ヌワッハッハッハ!」
 魔王の高笑いが遠くに聞こえる。不思議と恐怖はあまり感じなくなっていた。俺の意識は別のところにあった。俺は今……戸惑っている。
「でも、さすがに勇者の光を使われたら魔王様でもヤバイですわね〜」
 そんな俺を後押しするようにサキュバスはなおもあからさまな事を呟く。
「フン。何を言っている我が下僕よ。勇者の光とかそんなものただの光だろう? 我が輩にはそんなもの通用せん」
 なんだ。どっちなんだ。サキュバスは俺に昨日のあの光を使えと言っているのか? もしかして罠なんじゃないのか? 魔王の言うとおり、よく考えたらあんなのただ光るだけだぞ。暗いところでしか役に立ちそうにないぞ。そして今は昼だぞ。
 そうだよ。たとえ罠だったとしても……ただ光る位なら。やってみる価値はある。
 さぁ、どうしようか……と、俺は仲間達に目を向けた。
「はぅぅう」
 前回魔王に殺されたトラウマからか、ゼリィは戦意喪失状態である。泣きそうな目で猫耳としっぽをたれ下げている。
「…」
 天女ちゃんも動揺してるみたいだけど――それでも相変わらずの何を考えているのか分からない、無表情だった。こんな時にも取り乱さないのはさすがだ。
 そして――って、あれ? 真字が見当たらない。
「そう言えばさっきから真字の姿を見ないけど……ん?」
 見れば、地面に何やら手紙のようなものが置いてあった。
 俺はそれを拾い上げるとなにやら文字が書かれていた。嫌な予感がした。
『ちょっと隠れてるので終わったら出てきます。あしからず。真字』
「もはや戦闘に参加する意思さえない!」
 前回も魔王が登場した瞬間に逃げ出していたけど……本当に最悪な奴だった。
「さぁ、勇者よ。そろそろ貴様には死んで貰うが、何か言い残すことはないか?」
 燃えるような赤い長髪を乱しながら魔王は不敵に笑う。んなもんねぇよ。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。本当に殺すのか? どうせ俺を殺したって……」
 何度でも生き返るのだ。あの時のように。
「ハッハッハ! そうだな、確かに意味はないかもしれんな! 貴様を殺したところでこの世界から消えてなくなるというわけではない。またすぐに復活して勇者ごっこを続けることになるのだろうな!」
 魔王もその辺りの事情を理解しているというのか?
「だったらなぜっ?」
 俺を殺したって無駄だって分かっているのに。
「我が輩と貴様達の違いをいうものを教えてやろう」
 と、唐突に魔王は俺ににじり寄る足をピタリと止めて講義するように語り始めた。
「貴様達は弱いが……成長する。そして何度だってやり直すことがができる……たとえ死んだとしてもな」
 そうだ。これはゲームの理屈だ。ゲームオーバーになったところでリセットしてクリアするまでプレイできるのだ。
「対する魔王は強い。世界最強の存在だ。しかし成長はない……それは完成された強さだ。そして魔王は倒されればそれっきり。終わってしまうのだ、全てが」
「……全てが?」
「そうだ、全てがだ。魔王がいなくなれば勇者なんてものも必要ないし、世界を救うだとか魔物に怯えるだとか、そういった事象全てがなくなる……それすなわち世界自体が根本から変容するのだ」
 魔王はまるで世界のシステムを嘆くかのような、寂しそうに遠くを見つめるような目をしていた。
「魔王という存在はいずれ倒される運命なのだ。そして同時に世界とは……終わってしまう運命なのだ。しかしそれでも――我が輩は運命に打ち勝つ。何度だって勇者を滅ぼす!」
 そうか。ゲームはいずれクリアされるのだ。だから世界はいいにしろ悪いにしろ絶対に終わるのだ。あるいはゲーム自体に飽きて途中で放り出されない限りは。
「……」
 俺は何も言い返すことができなかった。魔王は信念を持っている。そしてそれは魔王に限った事ではないのだ。それはあの憎き自称勇者にしたって、性格は悪いけどそれでもあいつはあいつなりの正義を持っていた。そして真字にも冒険の目的があるし、ゼリィや天女ちゃんにだって……。
 そう。結局プレイヤー……つまり勇者だけが不明瞭なんだ。世界を俯瞰して見ている。他人事でプレイしているんだ。そして世界を救うという名目で世界を滅茶苦茶にかき回す。
「どうした、勇者よ? なんだか呆けた顔をしているが……まさかこの程度のことで貴様の心が打ち砕かれたとは言うまいな?」
 魔王が訝しげな顔で俺を覗き込んでいる。
「いや……そうじゃない。違うよ。世界が所詮ゲームだっていうなら、だったら望み通り与えられた勇者という役を思いっきり果たしてやるよ!」
 こうなりゃやけだ。ぐだぐだ悩むのはうんざりだ。俺はただ魔王を倒してさっさとゲームの世界から現実に戻りたいだけなんだよ。
「ふむ……そうか。いい返事だ。ならばこちらも望み通り貴様を駆逐してやろう……覚悟はいいか? 我が輩はできてる」
 魔王の目つきが変わった。血を吸ったような朱い瞳から感情が消える。そして片手を挙げて近づいて来る。もの凄い不気味なエネルギーを感じた。
 ――魔王が本気で俺を殺しにかかる。けど俺はまともに魔王を相手にするつもりなんてさらさらない。素人の俺だって今の魔王のやばさを感じる。大地が震えている。空気が振動している。
 迷っている暇などない。なにが起こるか分からないけれど……今なら発動できる。感情が高ぶった今なら。
「え……ええい、ままよっ!」
 俺は強く目を閉じて全身に力を込めて叫んだ。
 すると――体の中を熱い何かがみなぎるのを感じた。発動した。
 ……俺は恐る恐る目を開けた。
 辺りの景色は白い光に包まれていた。そして、
「ぬ、ぬわあああっっ!? な、なんだあああ! こ、この光はっ?」
 目の前で魔王が苦しんでいた。
「ま、まさかあの魔王が……この光はいったいなんなんですぅっ!?」
 離れた場所でゼリィが驚いていた。そういえばゼリィはこれを見るのは初めてだ。
「く、くそおおおお! ゆ、勇者め、何をした!?」
 魔王は地面に膝をつき、頭を押さえながら俺に目を向ける。
 それは――俺だって分からない。いったいこれはどういうことなんだ。
「ふふ、ふふふふ」
 と――その時、上の方から声が聞こえた。
 俺は視線を上げる。そこに。
「サ、サッちゃん!」
 魔王が叫んだ。
 しかし魔王のピンチにも関わらず、いつの間にかサングラスを付けたサキュバスは遠くでこちらを眺めているだけだった。
「うふふ。うふふふふふ……」
 妖艶な声が周囲の岩に反響する。
「ど、どうしたと言うのだ。サッちゃんよ!」
 魔王はわけが分からないといった風に情けない声を上げる。
 そしてサキュバスは――、
「計画通り!」
 と叫んで――不気味に、妖艶に、残酷に笑っていた。
「……」
 この場にいる誰もが為す術もなく、ただ見ていることしかできなかった。誰もが状況を把握しかねているようだった。ただ1人を除いては。
「魔王様〜……ワタシ、前々からね〜、魔王の座が欲しかったんですよ〜」
 そのただ1人、サキュバスが不気味に口元を歪ませて衝撃の告白を始めた。
「な、何を言っているのだ。我が下僕よっ」
 魔王はサキュバスの言葉に目を見開きながら弱々しく立ち上がる。
 そしてサキュバスはその言葉を聞いて――仮面を脱ぎ捨てた。
「下僕じゃねえ! これからはワタシが魔王になるのよおおおおおお!」
 突如サキュバスが叫ぶ。
 あまりの豹変ぶりに俺達は怯んでしまう。魔王すらも。
「何を寝ぼけた事を……貴様が我が輩に勝てるわけが――」
 魔王は振り絞るような声で言う。
「今のワタシなら弱体化したアナタに勝てる! この日のために溜めてきた魔力、全てを解き放てば!」
 魔王の言葉を遮ってサキュバスが空中に飛び上がった。
 俺はただ、立ち尽くして見ているだけしかできなかった。それはゼリィも、天女ちゃんも同様だった。俺達はもう、ただの部外者に成り下がっていた。
「な、何をする気だ。サッちゃん!」
 空高くに停滞するサキュバスに向かって魔王は呼び掛ける。
「馴れ馴れしくその名で呼ぶんじゃないわよ! できそこないの魔王があああああ!!!!」
 しかしサキュバスは既に魔王の敵対者でしかなかった。
 サキュバスは魔王に向かって手をかざした。その掌には混沌とした色の渦が巻き起こっていて、それが次第に加速度的に大きくなっていく。
 そして――。
「あの世でご自分の不甲斐なさを先代に永遠に詫び続けるのよ……さぁ、灼熱に包まれて死んで頂戴、魔王様アアアアアアア!!」
 サキュバスが叫ぶと、直径数メートルにまで膨れあがった魔力の渦が魔王に向かって解き放たれた。
「くそうっ――」
 魔王は苦悶の表情を浮かべながらもとっさに飛び上がった。そしてもの凄い速さで空を駆けていく。
「逃げられるわけないわよ、魔王様あああ!!」
 魔力の塊が方向転換し、魔王の後を追う。このままだったら俺達にぶつかっていたかもしれないので俺は思わず安心した。
 いや、もしかすると魔王は……と、思った時――。
「ぐうわあああああああああ!!!!!」
 サキュバスが全身全霊を込めて放った魔法が空中の魔王に直撃した。
「さぁ、この世界から滅びなさい。魔王っ!」
 サキュバスが歓喜の雄叫びを上げる。
 地獄の業火に包まれる魔王。
「ほ……オンドゥルルラギッタンディスカああああああああー!!!!」
 発音が不明瞭な断末魔を上げながら、魔王の体が魔力の塊ごと遠くの岩肌めがけて飛ぶ。そして、地面に激突したかと思えばもの凄い轟音と風を立て、まるで爆弾でも落とされたかのような大爆発が起こった。
「うわっわあっ!」
「きゃ、きゃああっ」
「…ひゃ〜」
 爆風がこちらにまで届いてくる。激しい振動が伝わってくる。
「きゃはははははっ! もう魔王様の力を感じない。あの様子だとさすがの魔王も跡形もなく消滅したみたいだわ!」
 空を羽ばたきながらサキュバスは大爆発が起こった方向を見つめて歌うように言った。
「ありがとうね〜勇者さまっ。アナタのおかげで魔王様を殺す事ができたわ。これで邪魔者はいなくなったわぁ〜。それじゃぐっば〜い」
 そしてもう俺のことなんて眼中にもないといった感じでそのままサキュバスは飛び去っていった。
 気付けば、いつの間にか俺の体から発せられていた光はいつの間にか消えていた。
 辺りは随分と荒廃していた。

 魔王は――死んだ。


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