エルデルル冒険譚

第3章 対ボス戦

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

3

 
 俺達は町のはずれにある大豪邸へと向かった。
「昨日見た限りだと警備はそこまで厚くない。そしてサキュバスはおそらく一番上の階の大きな部屋辺りにいるはずだ。ほら、あれが屋敷だ」
 フリードリヒの説明を聞きながら、くねくねした細道を歩いて行くと、うっそうと茂った草むらの奥に一際大きな建物が見えた。
「奴らに見つからない場所に行こう……こっちだ」
 フリードリヒは素早く近くの茂みに身を隠した。俺達もそれに続く。夜芭さんについては着物の派手さに隠れていても充分目立つ気がするけど。
 だけどそんな事はこの際気にせずに――サキュバスの根城を前にして、俺達は作戦会議を行うことにした。
「敵はどうやらほとんど悪魔クラスやけど……どうやらうち達が手こずりそうな大した奴はいなさそうやな」
 茂みから屋敷の方に顔を覗かせて、夜芭さんは何かの魔法を使って中の様子を調べていた。
「だけど、遊び人。雑魚はいくらでも掃除してやってもいいがな、さすがにあの魔王の配下だったサキュバスと戦えとは言わないよな。さすがに僕達でもあんな化け物倒せないぞ」と、フリードリヒ。
「大丈夫よ。私に任せなさいよ」
 それでも揺らがない真字。なんだこの自信は。
「そうとも思えないけどね……見たところ君達、すごく弱そうっていうか……」
 フリードリヒも信じられない様子だった。
 同意だけど言われっぱなしなのも癪なので、俺も反撃を試みる。
「お前こそ気を付けろよ。何しろ屋敷中の敵を引きつけるんだぞ……そんな装備で大丈夫なのか?」
 俺はわざと強がってみせた。
 すると、フリードリヒは俺の瞳を見つめてゆっくり言った。
「大丈夫だ……問題ない」
 フリードリヒが白い歯を輝かせて爽やかに笑う。いや、それちょっと死亡フラグっぽいこと言っちゃってるよ。
 でもまぁ別にいいかなと思って――さぁそろそろ行こうかと俺達が立ち上がりかけると、
「あ、ちょい待ちぃ」
 夜芭さんが俺達を呼び止めた。
「何です?」
「ああ、ちょっとな……」
 と言って夜芭さんが片手を軽く振りかざし、何やら呪文を呟いた。
「うん……? なんだ、これは」
 すると、たちまち俺達の体がぼんやりしたオレンジ色の光に包まれて、そしてすぐに消えた。
「おまじないや。うちはオールマイティに魔法を使いこなすことができるけど、特に得意なんは補助魔法なんよ」
 夜芭さんはおどけるように言った。
「…つまり守備力を上げる防御魔法」
 夜芭さんの師匠である天女ちゃんが横から補足説明する。なるほどね。
「と言っても元の防御力を3倍に上げる魔法やし、君らはまぁ……タンスの小指に足ぶつけても痛くならない程度になったってところかなぁ」
「それ、ほとんど意味ない!」
 意味ないけど……ま、心は程よくほぐれた。円を囲むように並ぶ6人の体は淡く光に包まれ……準備はできた。
 みんなそれぞれ顔を見つめ合って頷く。
「それじゃあ健闘を祈ってるでぇ〜」
「みんな……生きて再び会おうッ。しゅばばっ!」
 そしてフリードリヒと夜芭さんは堂々と正面玄関の方へと向かっていった。
 途中、彼らの姿に気付いたモンスター達が襲いかかっていたが一瞬のうちに返り討ちにあっていた。凄い強いんだな、あいつら。
「さっ、私達も作戦開始ね」
 2人が屋敷の中に入るのを確認すると、真字は静かに言って立ち上がった。
 ここからは俺達の出番だ。
「はっ、はいぃ〜」
 ゼリィは慌てて立つ。
「…南無三」
 天女ちゃんは静かに立つ。
「いっちょ派手に暴れてやろうぜ」
 そして俺も決戦の場に挑む。
 俺達は屋敷を回り込むように、こっそりと裏口へ向かった。


「敵の姿がほとんどありませんねぇ」
 夜芭さんとフリードリヒが敵のおとりになってくれているおかげで苦労なく屋敷に侵入することができた。
 そして彼らのおかげだろうか、屋敷の中も閑散としており、モンスターの気配は微塵も感じられなかった。
「…拍子抜け」
「いやいや、天女ちゃん。拍子抜けって、あんた何言ってんだい。一度でも敵に遭遇したらそこでジエンドだよ!」
 潜入中にも関わらず俺はつい大きな声を出してツッコんでしまった。まぁ、ツッコミ役としてこれは欠かせない事だもんね。
「にしてもこの屋敷、とても不気味な場所よね。サキュバスの占領下にあるってことを抜きにしても」
 真字がぽつり呟いた。その声はやけに響く。
 屋敷は全体的に洋風の造りになっていた。まるで中世ヨーロッパのお城のような印象を受ける屋敷は、まさに魔王の住処といって問題ないくらいに、外から来た俺達を威圧するくらいの風格を備えていた。
「…立派な絵じゃ」
 玄関らしき場所に出て、天女ちゃんは感嘆のため息を吐いた。左右対称に広がる階段の間に、大きな額縁に飾られた絵が飾られていた。
 その絵には人が描かれていた。頭から2本のツノと背中に翼が生えていて、威厳のありそうな男だった。一見すると魔王に見えたのだが――どうやら別人のようだった。もっと年齢が高いというか、威圧的というか。
 そこで俺は思い至った。もしかして、この絵の人物が先代の……。
「ほら、こんなところでぼけーっとしてないで行くわよ」
 考えに耽っていると真字が俺の背中を押して急かした。
「あ、ああ。そうだな。行こう」
 俺達はあまり音を立てないように、大広間から階段を昇っていった――すると、
「ひゃ、ひゃあ……血がっ」
 ゼリィが小さな悲鳴を上げて壁に指さす。
「あ、本当だ……」
 よく見れば階段や壁のところどころに血痕があった。きっとフリードリヒと夜芭さんの戦いの跡だろう。
 2人が無事だといいが……早くサキュバスを倒そう。
 俺達は階段を上がっていって2階へ行く。
「でも、サキュバスはいったいどこにいるんだろう」
 正確な居場所を知らないまま潜入してしまったし、第一本当にこの屋敷にサキュバスがいるのかどうかも怪しい。
「もしかしてどこかに出かけてるんじゃ」
 緊張したこの場を和ませようと、俺はとぼけた声で言った。
 だけどその時――。
「あら〜? 何言ってるのよぉ〜。ワタシはどこにも逃げないわよぉ、ボウヤ」
 妖艶な声が上方から聞こえてきた。
「なっ――」
 その声は挑戦的で、官能的で、愉悦的で、支配的で、圧倒的で、暴力的で、超越的で、もはや立ちふさがる者は誰もいない、もはや自分にとって畏怖すべき存在は何者もいない、自信と尊厳とプライドに自信を持った声だった。
 この存在は一人しかいない。この存在は彼女以外にいない。
 俺達が頭を上げると――そこにはサキュバスがいた。
 天井に吊り下げられているシャンデリアに優雅に座り、余裕の表情で俺達を見下ろしていた。
「はぁ〜い、みんな。お久しぶりぃ〜っ。今日はいったいどうしたの〜?」
 サキュバスはわざとらしく笑っている。
 町の屋敷を乗っ取った悪魔。世界征服の拠点する城の城主。新たなる魔王。戦慄の女王。
「用がないならさっさと出て行きなさぁい。でないと死ぬわよ?」
「ひ、ひぃ……」
 怯えるゼリィ。
「…むう」
 苦虫を噛んだような顔をする天女ちゃん。
 そして真字は――。
「ふざけないで。私達はね、あなたから町を解放しにきたのよ。痛い目を見ないうちに一刻もはやくここから出て行きなさい」
 どこからそんな自信が出てくるのか、真字は一歩前に出て、サキュバスに強く言った。
「きゃは、きゃはははははははは! 何言ってるの、この子はっ。この町は魔王となったワタシのものなのよ! アナタ達如きがワタシに敵うと思っているのかしら!」
 勝てるわけ……ない。
「いえ、勝てるわ」
 俺はすかさず隣に立つ少女を見た。なん……だと。
「何度だって言うわ、私達はこれからあなたを倒す。それが嫌なら痛い目を見ないうちにこんな馬鹿げた真似は止めなさい」
「馬鹿げた真似ですって……」
「ええ。あなたがやってる魔王ごっこよ。所詮あなたはサキュバスでしかないの。そんな分不相応な事していたら身を滅ぼすことになるわよ」
「こ、この虫けらめ! ワタシは世界の支配者なのよおお!」
 サキュバスが激昂してシャンデリアから飛び降りた。
「ま、まずい、真字。殺される!」
 こちらに飛び落ちてくるサキュバスの体がぬらりと光っているように見えた。
「勇者さま……! 聖なる光を使うのよ!」
 突然、真字が叫んだ。
「そ、そうか……っ! で、でも突然言われてもっ」
 聖なる光。普通の者にとってはただの光だけど、魔族にとっては最大限の効果を発揮する悪魔殺しの光。
 俺は全身に力を込めた。自由自在に出せるものではないけれど、今出てもらわなければ俺達は全滅だ。
「うおおおおおおおおっっっっっ!」
 サキュバスは俺の目の前にくる。しかし攻撃が繰り出されるその前に――。
「ちぃっ、これはっ……」
 サキュバスが俺から一瞬で遠ざかった。
 聖なる光が発動したのだ……間一髪で間に合った。
「くぅっ」
 遠くに避難したサキュバスは顔を歪ませている。
「どう? さすがのあなたでも聖なる光には近づくことはできないでしょう?」
 したり顔の真字。
「さぁ、それはどうかしら?」
 笑みで答えるサキュバス。
 ま、まさか……聖なる光を打ち破るというのか? とても嫌な予感がする。
 真字の余裕をかき消すように、俺の不安を煽るように、サキュバスは大きな胸の谷間からサングラスを取り出した。そしてそれを装着すると。
「うふ、うふふふふふ……ワタシが勇者に対して何も策を練っていないとでも思っていたの?」
 嘲笑っていた。俺達貧弱な冒険者を馬鹿にするようにただただ嘲笑っていた。
 そして何を考えているのか――サキュバスは聖なる光が発動しているにも関わらずこちらへと近寄ってきた。
「なっ――そんなっ!」
 俺は目の前の光景が信じられなかった。どうして悪魔のサキュバスが光の中を! 魔王には効いたはずなのに!
「あ、あのサングラスで光を封じているんじゃ……」
 ゼリィが推測する。確かに理屈は通っていそうだけど。
「…たとえそうであってもあんなものだけで勇者特性をかき消せるとは思えんが…」
 天女ちゃんは冷静に分析している。
「ど、どうしてっ? 悪魔があの光に耐えられるなんてそんな、そんな馬鹿な……っ」
 真字はまるで悪魔の事を知り尽くしてるような口ぶりで驚いていた。
 その様子を見て俺は確信した。真字の秘策は潰えてしまったのだ……。
「うふ、うふうふうふ……」
 その間もサキュバスはこっちに寄ってくる。
「む、分かったぞい…あのサングラスで光の効果を打ち消しているのは確かじゃが…それよりもあやつの体には何やら特殊な魔力でコーティングされておるようじゃ…あれはなんじゃ」
 確かによく見れば、サキュバスの体はどことなく艶々とローションでも塗られたように光沢があったが。
「うっふ〜ん。当たりぃ。特注品の秘宝の薬を、全身に隙間なく惜しみなく隅々までね〜っとりと塗りたくったのよぉ」
 サキュバスは露出した胸元に手を当てて、己の躰をいやらしくさすった。
「悪いけどぉ、勇者にはやっぱり死んでもらうわぁ。万が一ということもあるし、このまま生きていてもらっても安心して眠れないしぃ」
 サキュバスは片手を俺の前にかざした。するとその爪がみるみる伸びてみるみる鋭くなった。
「勇者さま!」
「に、にげて下さぁいっ」
「…まかはんにゃはら…」
 真字が叫び、ゼリィが剣を構え、天女ちゃんは呪文を詠唱する。
 俺は――。
「なに言ってるんだよ! ここからが勇者の見せ所じゃねぇか!」
 俺は竹槍を取り出して、サキュバスへと飛びこんだ。
「馬鹿な男……」
 だがサキュバスは難なく俺の突進を避けて、避けるついでに竹槍を木っ端微塵に砕いた。
「くっそっ!」
 俺はバランスを崩して倒れそうになるがそれを留まってすぐさま振り返る。しかし、
「え……いない……だと!?」
 そこにはサキュバスの姿はなく――次の瞬間腹部に激痛が走った。
「がっ……ごふっ」
 俺は膝をついて倒れた。
「ゆ、勇者さま! もう止めて、勝てないわ!」
「……だ、大丈夫ですか。わ、わたしがっ……きゃふぁ!」
「…みーたじ…うぷあっ…」
 そして背後から3人の声が聞こえたが、振り向いたときはゼリィと天女ちゃんが倒されている姿が目に入って、傍に立つ真字は為す術なしといった具合に悲痛な顔をしていた。
「馬鹿ばっかり……こんなにも実力の差があるのに……ほんと、馬鹿なんだからさぁ」
 気付いた時にはサキュバスが俺の目の前に立っていた。速すぎて動きが追えなかった。
「助けは来ないわぁ。あの2人なら外でワタシの家来が足止めをしているからねぇ〜」
 俺の絶望を感じ取ったのか、サキュバスは俺を見下ろし鼻で笑っていた。だけどサキュバス、お前は勘違いをしている。
「誰が助けを求めているって言ったああ! うおああああ!」
 俺は立ち上がってサキュバスに殴りかかった。当然のようにサキュバスは簡単にそれを避けたが、俺は尚も拳をふり続ける。
 俺は多分、初めて本気になって生死を賭して戦っている。フリードリヒの時とは全然違う。初めてこの世界らしい生き方をしている。それだけで十分だ。それだけで少しは自分が勇者だって認められそうだ。
「ゆ、勇者さま……無理よ……もう諦めて」
 真字の震える声が聞こえてくる。
 悪い、真字。負けると分かっていても戦わなければいけない勝負は……あったんだ。
 フリードリヒが以前言ったみたいに俺にはこの世界に対して何の信念も誇りも観念も感情も持ち合わせていない。だけど、だからこそ俺は今、戦う。それは俺の為でも何の為でもない。何も持っていない俺にはぴったりだ。けど、今はそれでいい。
 そしてゼリィ、天女ちゃん……君達ばかり辛い目に遭わせてすまない。棺桶にはなっていないから……2人はまだ生きているはずだ。
 ここは俺がなんとかするから、だから今はゆっくり休んでいてくれ。大丈夫。勇者は最後の最後で特別な力で悪を倒すものなんだ。
「だから……だからお前は俺が倒す! 今ここで!!」
 もう俺の体から光は放たれていなかった。殴られた時に消えたみたいだ。まぁ、あってもなくても同じだ。どっちみちサキュバスは倒す。ただそれだけだ!
「……それでもまだ立ち向かってくるなんて、ほんと……。フン、いいわ……ここはアナタ達に敬意を込めて全力の魔力を使ってアナタ達を殺し尽くしてあげるわぁ。2度と刃向かって来れないように。二度と生き返って来られないようにぃ!」
 突如サキュバスは俺から身を退けて両手を広げた。
「なにっ――?」
 飛びかかっていた俺は空ぶって、こけそうになった。
 サキュバスはしかし、一歩も動くことなくその場で静止している。だが……。
「あ、あれは……っ」
 真字が驚きの声を上げた。
 力を溜めるように大きく呼吸するサキュバス。しだいにその体は宙に浮き、不気味なオーラがその身を包んでその場の大気が震え始めた。
「も、もしかしてこれは……」
 これはあの時と同じ――魔王を殺した時と同じ魔力だ。
 俺が気付いた時、サキュバスは再び動き始めた。
「さぁ、みんな仲良く今度こそ潔く死んで頂戴!」
 サキュバスを目を見開いて両手を俺達に向けてかざす。
「くそう……も、もう一度聖なる光を……」
 効かないと分かっていても……これ以外に思いつかない。俺が力を込めると――。
「駄目よ、勇者さま! 多用は駄目っ! あなたの身が危険よ!」
 真字が俺を制した。
「な、なぜだ! 俺ならまだ平気だ! だってこのままじゃどっちみち……」
「駄目よ! いいから私を信じなさい!」
 まだ一度しか使っていないのに真字は俺に光を使わせることを強く拒んだ。
 くそ……もう駄目だっ。サキュバスは目の前に来ている。
 俺はパーティーの全滅を確信した。
 しかし。
「……これからが本番よ、勇者さま」
 真字は暢気にそんな事を言っていた。そして懐から何やらボロっちい布みたいなのを取り出す。えっ……これはなんだ?
「当初の予定からは大分狂ってしまったけれど……あなたが全力で魔力を放つこの時をずっと待っていたのよ、サキュバス! さぁ……あなたを倒した魔力はそこにあるわ。今こそ復活の時よ……魔王ッッ!」
 真字が叫んだ。
 魔王――と。
「えっ……魔王だって?」
 俺が真字の口から発せられた言葉に呆気にとられた瞬間――。
 暴風。衝撃。轟音。力。異常。
「なっ――?」
 真字が手にしていた布きれから、膨大なエネルギーが溢れ出た。
「なっ、なんなのこれはっ!? わ、ワタシの魔力がっ」
 今まさに魔力を放とうとしていたサキュバスがとっさに後ろに飛び退いた。
 尚も止まらないエネルギーの渦。そしてさっきまでサキュバスの元に渦巻いていた魔力までもがそのエネルギーの渦に全て飲み込まれていく。
 次第に布きれは質量を増していき、重力を持ち始め、膨らんでいって……そこから生まれ出たのは――。
「ふははははは! さっちゃんよ! よくもこの魔王を裏切ってくれたな!」
 ――魔王だった。
「なっ……まさか。真字っ。これは君がやったのかっ!?」
 魔王はサキュバスによって完全に消されたはずだ。なのに。
「そうよ。私が魔王を復活させたのよ」
 なんでもないように答えた真字。
「そんな……どうしてそんな事を」
 俺は真字の行動に不審を抱いた。どうなっているんだ、これは。到底信じられない俺に魔王が事実を肯定した。
「ああ、そうだ。真字が一日でやってくれた」
 魔王はどっしりとした調子で言った。
「ま、魔王様……そんな……ど、どうやって……」
 サキュバスが復活を遂げた魔王の姿から目をはずせないまま疑問を口にする。
「それは――」
 と真字は言って、そこで言葉をつぐんだ。
「……それは、なんだ?」
 俺にも訳が分からなかった。真字にはそんな力があったのか?
「それは……」
 真字の口はなかなか開かない。言いにくい事情があるのだろうか。
「――それはお前の体に宿った魔王の血の魔力を使ったからだろう。そのボロ布はサッちゃんによって倒された我が輩の残骸であろう? それを媒介にして、我が輩を討ち滅ぼした術者であるサッちゃんの魔力、それにお前の魔力をかけあわせたのであろう」
 真字の代わりに、魔王が不敵な笑みを浮かべて得意そうにペラペラ説明した。
 そうか、昨日真字が用事で出かけていたのはあの布きれを回収する為だったのか……。いや、ちょっと待て。なんかひっかかる事がある。
 俺は違和感を感じていたが、魔王はさらに続ける。
「いくら我が輩が魔王だからといって、さすがにあそこまで完全に殺されていたのでは同じ血を引く者の魔力がないと我が輩を復活させる事はできないだろう。なぁマナナよ!」
 魔王は声を高らかにして叫んだ。
「って、マナナ? なに……? もしかして知り合いなのか?」 
 魔王はいったい何の事を言っているのだろうか。だって、それってつまり……。
「――それはなんと言ったって、我々が魔王の血を引く最後の2人だからじゃないか! なあ……我が妹よ!」
 魔王の血を引く2人。そして――。
「えっ……い、妹だってぇえええええええええええ!!!!!?????」
 驚愕の言葉を聞かされた俺は、今が戦いの最中だということをすっかり忘れてしまった。
「……ふん」
 真字は何も言わずに凛とした目で魔王を見据えていた。
 けれどその瞳をよく見れば、普段は碧眼をしたその目は赤く赤く染まっていた。まるでそれは、魔王と同じような瞳だった。魔力の影響を受けているのだろうか。
「そんな馬鹿な……っ。なんでそんな事を」
 サキュバスは震えていた。俺と同じく彼女には戦意なんてもはやみじんも感じられなかった。
「ふはははは! だけど意外だったぞ、マナナよ! まさか貴様がこの我が輩を助けるとはな……色々あったが、これからは仲良くしていこうではないか。なんせ我々は魔王の血を引く最後の末裔なのだからな……我が妹よ!」
「ふん、冗談じゃないわ……あなたと私には何の繋がりもないのよ。私はただあなたの力が必要だったから利用したまでのこと……それだけよ」
 しかし真字は兄に対して憎悪の念を隠しきれない様子だった。2人になにがあったのだ?
「何を言うか、マナナよ。この機会に我々の仲を深めようじゃないか。たとえ父は違えど同じ母を持つ……」
「あなたの口から母の事を聞きたくないわ! 忘れないで……今回は偶々あなたを助ける形になったかもしれないけど……いずれ私があなたを殺してその魔王の座を頂くから」
「ま、魔王を……」
 俺は真字と初めて出会った時の事を思い出した。あの時に言っていた真字の目的ってまさか……。
「ふうむ、そうか。あくまでお前は我が輩の敵対者であるというのだな……久しぶりの再会だというのに残念だ」
 言葉とは裏腹に対して残念そうでない様子で肩を竦める魔王。
「それよりも今は他にやるべきことがあるんじゃないかしら?」
 そこでようやく真字は、思い出したようにある一方に視線を向けた。
「そうだな……今は部下の不祥事の後片付けをせねばならないよなぁ」
 魔王も同じ方向を向いた。
 そこにいる者は、
「ま、待って下さい……魔王様ぁ」
 サキュバスは全身をガクガクと震わせて、泣きそうな声で、恐怖そのものの感情を体現していた。
 だけど魔王はそんなサキュバスを憐れむような、同情するような感情も見せずに、
「いいや、駄目だね。待たない。さぁ……お仕置きの時間だ」
 無慈悲に呟いて――魔王の掌が仄かに光り輝いた。
「そ、そんな……わ、ワタシはただ先代の……あなたのお父上の悲願を叶えたいその一心で……」
 サキュバスは見苦しく言い訳し始めた。
「ヌハハハハ! いいぞ、愉しいぞ! 恐怖に満ちたその顔で言い逃れする貴様はいつにも増して美しいぞ、サッちゃんよ!」
 その言葉の通り、魔王は心底愉しそうに笑っている。
「……」
 真字はそんな魔王の様子を動じることもなく、ただじっと見つめている。何を考えているかなんて、もはや完全に置き去り状態である俺のような一般人にはちっとも分からなかった。
 そしてサキュバスは――壊れた。
「アンタなんて……先代の足元にも及ばないのよ! 所詮人間との混ざり物のくせにッッッ! この七光りがぁああああああ!!!!」
 サキュバスは耐えられなくなったのか、魔王に向かってとびだした。天女ちゃん風に言えば窮鼠猫を噛むってやつだ。
「いいぞいいぞォォ! それでこそ魔族の鏡だよ、サッちゃん! その行動に免じて貴様にはこの刑を与えてやろう!」
 魔王が叫んだ瞬間、サキュバスの周囲にじんわりと空間が歪んで、そこから鉄格子のようなものが彼女を取り囲んだ。
「ひ、ひやあああああああああああ!!!!!」
 サキュバスはその意味を知っているのだろう。驚愕に表情を歪めて叫ぶ。
「ワ、ワタシは何も間違っていなかった。魔族にとってこれは正しい事なのよ。間違ってるのは魔王様の方なの、よ……いつか、後悔する……させてやる……絶対……」
 空間は彼女を包んだまま次第にぼんやりと霞んでいく。サキュバスの叫び声が小さくなっていく。
「ワタシがぁぁぁぁぁぁ……」
 そして鉄格子の幻影はサキュバスと共に消え去った。サキュバスは空間の中に吸い込まれていった。あっという間の出来事だった。
「安心しろ、命までは奪わんよ。だが貴様は永遠に牢獄で過ごしてもらおう。そこで永遠に我が輩に詫び続けろ、サッちゃんよ」
 どん! という効果音が似合いそうな感じに魔王はその場を結んだ。
 その場の空気が弛緩していく。屋敷の中はすっかり静寂に包まれて、大きな窓からは夕日が差し込んでいた。先程までの死闘が嘘のような静けさだった。
「終わった……のか」
 俺は脱力して大きく息を吐いた。
「いいえ、まだよ」
 と、真字が言った。
 真字にとっての本当の敵は目の前にいる。俺は魔王に対峙した。
「勇者さま。今こそ聖なる光を使う時よ……こう見えても魔王は今、かなり体力を消耗しているはずよ。あなたの光を使えばコイツを倒すことができるかもしれない」
 真字の魔王を見る目は憎しみに満たされていた。憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎んでも憎み足りない目をしていた。
「ふ……ふははっ! 真字よ、面白い事を言うじゃないか。嬉しい顔をしてるじゃないか。やはりお前は魔族の血を引いているよ。その目は我が輩よりも冷酷無比なものだ!」
 魔王は口を大きく歪めて牙を晒して笑んでいた。
「フン。確かにこの状況で聖なる光を使われればまずいことになるかもな……どうやら近くには手練れの者が2名程いるようだし……もしかすると今度こそ我が輩をうち滅ぼす事ができるかもしれんな」
 そ、そうだ……。今が魔王を倒すチャンスなんじゃないのか。これを逃したらもう俺は元の世界に帰れなくなるかもしれないんだ。
「さあ、早く勇者さまっ、光をっ!!!!」
 真字が怒声をあげる。魔王を殺せと俺に命ずる。
 だけど――それは。真字のその顔は……。
「……いや、駄目だ。今日のところは……もう止めておこう」
 俺は魔王から顔を背けた。
「ほう……」
「なっ、なんで。勇者さま!」
 信じられないといった風に真字が叫んだ。
「つまらんな……だが、さすが勇者と言うところか。命を救って貰ったすぐ後に倒すなんて卑怯な真似はできないというか?」
 魔王は腕を組みながらあくびをしている。俺達と戦う気はない。
「それもあるけど、違う。ただなんとなく真字を見ていたら今、お前を倒すのは違うと思っただけ……それだけだ」
「わっ、私を見てっ? 何よ、それはっ。全然意味が分からないわ!」
 真字は納得できないらしい。当たり前だ、俺も自分で納得できない。
「……とにかく俺は戦わない。今日はもう十分だろう」
「いや……いやよ! 私はそんなの絶対許さないわ! お願い、勇者さま光を使って! それだけでいいの! それだけしてくれたら後は私がやるから! 私が魔王を殺すからっ!」
 真字は涙を流して必死で懇願する。いつもの凛とした態度から程遠い痛々しい姿。
「……さぁ、もういいだろ魔王。戦う気がないんならさっさと消えろ」
 これ以上は俺も耐えられない。心がやみに浸食されてしまう。
 真字はその場に膝をついて泣き崩れていた。
「……そうだな、ならば我が輩は去るとしよう。ふははははは! 今回は世話になったな。貴様ら雑魚に助けられるなんて屈辱的だが、恩を返せないのは魔王としてのプライドが許さない。去る前に……そうだな、何か望みを言え。我が輩にできる事なら叶えてやろう」
 なんて言った? こいつ。望み? 望みをなんでも叶えるだって?
 魔王は余裕に不敵に笑っている。
 そんなの……俺のこの世界に対しての望みなんて一つしかない。それは……。
「そ、それじゃあ俺を元の世界に……」
 言いかけて、ふと俺は真字を見た。真字は涙で濡れた瞳で、寂しそうに俺をみつめていた。
 やっぱ……できないよな。ああ……今となってはその願い、まだ叶えることなんてできない。俺にそんな資格はない。
「お前に叶えて貰うような願いなんてないよ……そんな事はどうでもいいからさっさと消えてくれ」
「ふはははっ、貴様なかなか面白い男だ。気に入りはしないが……ならもう何も言わん。我が輩は――」
「――ちょっと待って」
 と、真字が魔王の台詞に割り込んできた。
「まっ、真字っ」
「黙ってて勇者さま……。ねえ魔王、勇者さまに願いがないなら私の願いを聞いてくれてもいいわよね?」
 真字が魔王に尋ねた。どうする気だ?
「勿論よいが――我が輩に死んで欲しいという願いは聞けんぞ、真字よぉ」
 魔王はいやらしく笑った。真字はいったい何を願うつもりなんだ?
「勇者さまを……勇者さまを元の世界に帰してあげて」
 真字が願いを告げた。
「えっ? 真字っ! お前何をっ!?」
 俺は我が耳を疑った。なぜ真字がそんな……。
「――よかろう。その願い、叶えてやろう」
 魔王はそう言って、俺の方に手をかざした。手には仄かに魔力の光が渦巻いている。
「ちょ――待てっ、魔王っ! 今の願いはっ……」
 と、俺は慌ててその願いを取り消そうとするが時既に遅し、俺の意識は遠のいていく。視界が、真っ暗になっていく。
 そして俺は元の世界へと引き戻された。


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