エルデルル冒険譚

第一章 仲間

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 現在俺は、心ぼそい気持ちで酒場の中の様子をキョロキョロと窺っていた。もちろんそれは仲間とやらを探すためだ。不本意だけれど――たとえ今が夢の中だったとしても、あるいは信じたくないけど本当に異世界に行ってしまったのだとしても――このまま意味もなくこの世界を放浪していたって何の解決にもならない。
 目覚めるのをいつまで待っていたって始まらないのだったら、とりあえずこの世界から脱出するための行動を起こそう。大丈夫、多分十中八九これは夢なんだ。危ないことなんてない。っていうか、さっきモンスターに殺されたっぽいけど普通に生き返ったもん。
 とにかく今はまず頼れる仲間を……いや、せめて言葉が通じそうな仲間を捜そう。同じ事しか繰り返さないような仲間を。 
 俺は酒場の中にいる人間達を一人一人吟味していく。
 いかにも戦士やってます風な、鎧に身を包んだ筋肉ムキムキの男。好物はヘビの生き血です、的な年代風のローブに身を包んだ明らかに魔法使いなおばさん。(っていうかやっぱりこの世界には普通にあるんだね、魔法)
 他にも空手黒帯みたいな感じの格闘家っぽいのや、人助けが人生の目的そうな感じの僧侶っぽい人がいた。
 う〜ん。色々いるな。誰に話しかけようか。でもなんというか……なかなか話しかけづらいよなぁ実際。いろんな意味で食われてしまいそうだもんなぁ……と、俺がしどろもどろに挙動不審になっていると、唐突に声をかけられた。
「ねぇ、あなた」
 それはやたらと澄んだ、女性の声だった。
「えっ」
 俺は反射的に声のする方へと振り返った。
 そこには年齢は俺と同じくらいだろうか、この場に不釣り合いな少女が立っていた。流れるような長い藍色の髪に、モデルのようにスマートな体と大人びた大胆な衣装。
 その大胆な衣装というのは――胸元が露出するようなパーティードレスのような黒い服に、その上からポンチョのようなものを羽織ったエキゾチックな格好。胸は結構大きい。
 目のやり場に困ったので、俺はなんとなく視線を逸らし、見なかったフリを決め込むことにした。
「……いや、あなたに話しかけてるのだけど」
 しかし綺麗な顔立ちの少女はやはり俺に用件があるらしく、尚も語りかけてくる。
 いや……だけどそういえば……会話が成立してるじゃん! この子はちゃんとした自意識を持っている! 少し怪しいところはあるけれど、そこは目を瞑ろう。
 だから俺は思い切って返事する事にした。
「あ、な……何か」
 この世界に来てからまともに会話するのは初めてだからか、俺の声は自分でも分かる位ぎこちないものだった。
 しかし少女は特に気にする様子もなく続けた。
「あなた見かけない顔だけれど、職業は何をやってるの?」
 まるで小川のせせらぎのような声で少女は言う。少女のその言葉で俺は直感的に感じ取った。この少女――ただものではない。
「き、君はいったい……」
 そもそもこんな物騒そうな酒場にいるということは……このやたらと大人びた雰囲気を携えた派手な少女は、なんらかの技術を持つかなりの手練れだということか……?
「私は……」
 少女は小さな口を開く。
 武闘家か、それとも妖術使いなのか……いずれにしろ何らかのプロフェッショナルだ。
 俺は固唾を呑む。
 そして少女は言った。
「私は――遊び人よ」
「一番いらない職業の人来ちゃったよおお!」
 現代風に言うならニートじゃん。ただの穀潰しだよ! 誰もがなれる危険性を秘めてるものだよ!
「なっ、なによ……失礼ね……遊び人だって立派な職業なのよっ」
「はぁ……立派な職業ねえ」
 だったら俺も遊び人として生計を立てたいものだ。
「得意技は暴飲暴食よ」
 ホント俺もなりてえ!
「ま、私は未成年だから飲むといってもこれはアルコールじゃないからね」
 と、俺の気持ちを露も知らず、遊び人の少女はグラスにはいった飲み物を一気に飲み干して、俺の隣の席に腰掛けた。
 あれ……。でもなんだか座り方がやけに大げさというか、座りにくそうというか……動きがぎこちなかった。
「えーと……なんかケガでもしてるの?」
 もしかしてモンスターにやられたお尻の傷が治っていないとか。
「んっ!? いやっ、別にケガとかそんなんじゃないからっ! 全然気にしなくていいからっ! 基本遊んでるだけだからねーっ!」
 なぜかお尻を守るように身を竦ませた女遊び人。怪しい。つーか働けよ!
 信用していいのか分からないけど、この世界に来てから始めてまともに話せる人間が現れたんだ。ここは贅沢は言ってられない。
「あのお……ちょっと聞きたいんだけど」
 この少女を信じて俺は自分の境遇を話す事にした。
「ん? なんだっ、言ってみなさいっ」
 話題が逸れて嬉しいのか、遊び人はやたらと調子の高い声だった。
「いや、なんというか……俺、実はここに来るの初めてっていうか、まだ戦った事のない初心者っていうか」
 そして俺はここまでに至る経緯を遊び人に説明した。

「――ん、そうなのか。あなた……勇者だったのね」
 俺の話を一通り聞いた少女は、さらっとそんな事を言った。
「いや、勇者って言うけどさ、俺にはそんな自覚なんてこれっぽちもないし、っていうか大体なんでそんな簡単に俺が勇者だって決めつけるんだよ。っていうかいつの間にそんな設定になってるんだよ」
 これが夢なんだったら別に俺が勇者でも素直に受け流せるんだけど。
「なんでって言われても……あなた知らないの?」
 知るわけねーよ。気付いたらこの世界にいて、気付いたら死んでて勇者だよ。とんでもない超展開だ。
「全然知らないよ。なんで俺が勇者なんだ。どういう理屈からそうなったんだよ」
 夢だからですか? ご都合主義ですか?
「ふっふっふ、少年よ……それはまだ語られるべきではない事だよ」
 意味ありげな顔で、遊び人は微笑んだ。
 って、これ誤魔化してるだけだろ。伏線っぽい感じに言っといて、実は何も分かってないパターンだよ! あと年齢もそんな変わらないのに少年言うなよ。
 そこで俺は改めて目の前に座る少女の姿を見つめた。
 長く伸びた蒼い髪。ところどころ破けた大胆な服装からスラリと出ている手足。そして端正に整った顔。
 ――ついつい俺は見とれてしまっていた。
「む、あなたさっきから何ジロジロ見てるのよ。このエロッ、エロリストっ」
 けだものを見るような目で睨まれてしまった。
「あ、ああ。ごめんなさい……でも俺はエロじゃねえし」
 小心者の俺はすぐに謝っちゃう。でもエロリストは酷いよね。そんな性に対して貪欲ではないと自負してるつもりなんだけど。
「何も特徴のない無個性人間よりはマシよ。見たところあなたはそれに該当するような、キャラが弱そうという致命的な症状が見られるから……まぁいいけど、それよりねえ。勇者さま」
 なんかめっちゃ俺の心をずたぼろに切り裂いてくれるような事を言って、遊び人は突如声の調子を変えて、悪戯っぽい甘えるような声になった。俺としてはそこを簡単にスルーして欲しくなかったなぁ。
「で……な、なに」
 いきなり勇者さまとか言われて俺は身を固めてしまう。
「どうやらあなた、この調子じゃ魔物に一度倒されたんじゃない?」
「……そうだけど、悪いかよ」
 簡単に見抜かれてるみたいだ。なんか悔しいな。
 すると遊び人はフフ、と鼻で軽く笑って、そして誇らしげに口を開いた。
「悪くないわ。むしろ一度死んだくらいで諦めちゃ駄目よ。だって――あなたの冒険はまだ始まったばかりなのだから」
 どこかで聞いたような台詞を、決め台詞のように堂々と吐く遊び人。
「は、はぁ……そうっすか。それで……なんなんすか」
 俺はなんとなく嫌な予感を感じながら遊び人に尋ねると。
「そういうわけでどう? 街の外を出るなら仲間がいるでしょ? 私を――仲間に入れない?」
 酒場の喧噪が一瞬消えた――ように感じた。
 えっ? な、なんだって……。仲間に入れろ、だって? 遊び人を?
「そうよ。あなたが元の世界に戻るには魔王を倒さなければいけないのよ。だったら仲間は必要でしょ?」
 それはそうだけど。一人じゃきっと無理なんだけど。……ていうかやっぱ倒さなきゃいけないんだ、魔王。
「どうして見ず知らずの俺に……?」
「それは簡単よ。単にあなたが勇者だから。それだけ。それに……」
「それに?」
「この小桜真字には夢がある! 私はどうしてもやらなければならないことがあるの。それはきっとあなたと一緒にいれば果たせるはず」
 ゆ、夢……?
「で、でもあなた遊び人なんでしょ? なんだかなぁ……」
 正直役に立つとは思えないんだけど。
「あら、私をそんじょそこらの遊び人だと思ってもらっちゃ困るわ」 
「え、ただの遊び人ではない……と」
 さすがに何の能力もないなんて事はなかったか。遊び人という弱さ故に、だからこそ何か秘められた特別な能力を保有しているのだろうか。
「私は――ただの一度だってモンスターを倒した事はないわ」
 胸を張って少女は言った。
「そ……それはっ。すご……くねえ!!」
 お前はここに何故いるのかと問いたい。誰がお前と旅をするというんだ。もしかしてボンビー的な役割なのか。
「モンスターを見かけたら即逃げる。この速さ、はぐれメタルの如し」
「なんかかっこよさそうだけど全然駄目だこいつ!」 
 魔王を倒すどころか、もはや何の役にも立たない。
「だけど、勇者さま。あなたこの世界に来たばかりで右も左も分からなくて困っているのでしょう? だったらそんな贅沢なんて言ってられないんじゃないの? 元の世界に戻りたいんでしょう?」
「う……」
 それは一理ある。戦闘が苦手とは言え、話ができる人間というだけでも有り難い存在だ。幸いとっつきにくい性格というわけでもないし、何より可愛いし……。
「あ、そうそう。自己紹介がまだだったわね」
 少々強引なところはあるけれど……。まだOKしてないのに自己紹介始めるんだね。
「私の名前は真字――小桜真字よ」と言って手を差し出す少女。
 なんか名前が日本人っぽいけど、この世界は日本基準なの? そう言えばみんな日本語で話してるし。きっと国産RPGなんだね。
「あ、ああ……分かったよ。それじゃよろしくな、真字」俺は少女の手をとって握手する。
 そんなわけで、なし崩し的に俺は遊び人の少女――小桜真字と共に旅に出ることにした。
 ちゃらららららちゃらららら〜ちゃらららんららら〜ら〜♪
「……って、なにっ!? この音楽なにっ!? どっから聞こえた!?」
 どこからともなくピアノっぽい音が流れてきた。酒場の中を見渡してもそれっぽい音源を見つける事はできなかった。
「え? なに言ってるの、勇者さま。混乱の状態異常?」
 真字が可哀相な人を見るような目で見つめてきた。
「え? 嘘? 今の聞こえなかったの? もしかして俺だけにしか聞こえてない!?」
 超常現象的なものなの!? ちょっと怖いよ!
「何言ってるのよ、おかしな勇者さま」
「あ〜……うん。気のせいだったみたい」
 なんか……もういいや。いちいち細かいところにツッコむのも疲れてきた。
「ああ、分かったよ。それじゃあ君を仲間にするよ。よろしく真字」
 さっさと魔王を倒してこの巫山戯た悪夢から目覚めよう。
 で、俺が真字と握手しようと手を伸ばしたけど――その時なんの因果か――テーブルに置かれていたジュースの入ったグラスに手が当たってしまい、中身がこぼれてしまった。
「きゃっ……」
 で、真字にジュースがかかってしまった。
「うう〜……」
 服がびしょ濡れになってしまった真字。困惑した表情。そして薄いピンク色の液体に濡れて体のラインがくっきり浮かんでいる。おお、なかなかいい。素晴らしいじゃないか!
「だからジロジロ見るなってのっ! エロシストめ!」
 いてっ、殴られた。
「わわ、ごめんっ。だ、大丈夫っ?」
 殴られて俺の思考がようやく正常になった。慌てて布巾を手にとって真字の体を拭こうとする。服にシミが付いたら大変だ。早く拭き取らないと!
「ちょ、ちょっ、ちょっ! なっ、なにするのよっ。やめなさ……あっ」
 俺は一心不乱に真字の体を布巾で拭く。その際、なにやらもにゅもにゅと柔らかくて、どことなく気持ちの良い弾力が感じられたが、そんなもの気にしていられなかった。
「私が気にするのよおおお!!!!」
 そうして俺は酒場で酒を飲んでもいないのに意識を失うことになった。
 これが俺と真字の邂逅で、俺の初めての仲間だった。


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