エクスドリーム

※注 おまけ本です。短編ですよ。通常の3分の1くらい

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

奇書

 
 第一話「エクスデス」

「在久――お前はもう、オレ達の仲間じゃない」
 とある廃屋の中。一人の男の声が響いた。
「な、何を言ってるんだよ……。だって俺達親友じゃないか……亮一」
 在久と呼ばれたもう一つの声は、弱々しい掠れたものだった。
 在久と亮一――。今、この場所には2人の男がいた。それ以外に誰の気配もない。
「いいや……残念だがそれは違う。お前はオレ達を裏切った」
 怒気を含んだ、落ち着いた声で語る亮一と呼ばれた男。
「違うッ。違うんだッ! 俺はハメられたんだ! これは罠なんだ!」
 一方。在久の声には余裕がなく、息も乱れていた。
「罠か……ふっ、なるほど面白い。オレはな……これ以上お前の嘘は聞きたくないんだ。いいかげんにしてくれ……ここから出て行ってくれ。でないと……オレがお前を殺す」
「な……なんでなんだよ! だって俺達は親友で、そしてこの世界を救う仲間じゃないか! なんで信じてくれないんだよ! 世界と取り戻そうって約束したじゃないか!」
 責め立てられている在久の声は説破詰まっていて、今にも泣き出しそうだった。
「そうだよ、世界を救うんだよ……だからオレはお前を許すわけにはいかないのだ」
 亮一の声はあくまで冷酷だった。
「そんな……俺達あんなに楽しくやってきたのに……。みんなと過ごすこの世界だって悪くないって思えてきたのに……」
「それがいけないんだよ……なら、仕方がない。オレがこの手でお前の夢を終わらせてやろう……それが親友に対するせめてもの情けだ。在久」

「そ、そんな……俺は」

 少年は後ずさるようにしてその場を離れていく。もう一人の少年は威圧するようにじっと立ち尽くしたまま、動かない。
 そして少年――在久はそのままこの場から、彼から、仲間達から、逃げるように去っていった。
 その瞬間――在久は全てを失った。


 プロローグ

 ――とあるマンションの一室である。電気も付いていない、暗いリビングの中、ソファーに座り呆然とTVを観ている少年の後ろ姿があった。
 TVからはニュースキャスターの声が聞こえてくる。
「まさに歴史に残る選挙戦ですよ! 全くの無名だった徳倉候補、ここでも圧勝です」と興奮した女性キャスターの声。
「もうこれは決まりでしょう。選挙前は桂候補が大統領確実と言われていましたが、いや〜奇跡ってあるんですね〜」と、解説の男も声の調子を上げて答える。
 少年は虚ろな顔をTVに向けている。ぼんやり半分開いた瞳に、モニタの光がチカチカ映っていた。
 ――少年の名前は秋涼在久(あきすずあるく)。
 世界は素晴らしいっていう人間とつまらないっていう人間がいる。どっちが本当なのかは分からないけど、彼にとっては後者だった。毎日が味気なかった。
 世界にとって自分は取るに足らない存在。必要じゃない存在。だから彼も世界を見放した。そして、世界の秘密に気が付いた。それが――秋涼だった。
 TVでは尚もニュースが延々と流れていく。
「えーと、映像の途中ですが今緊急のニュースが入りました」と、女性の声が聞こえる。
 続いて男性が言った。
「つい先ほど入った情報によりますと、本日未明また新奥町で殺人事件が発生した模様です! 現場に斉藤さんがいます、斉藤さーんっ?」
 そして現場に映像が切り替わり、マイクを持った斉藤さんらしき人が話し始めた。
「はい。こちら現場の斉藤です。今日の早朝6時頃近所に住む男性が、三奈徒川の河川敷で犬の散歩中に大量の血液が地面に流れているのを発見し、警察に通報した模様。その後警察の調査により、血が流れている元を探ったところ河川敷にある木の頂上に人間のものと思われる頭部を発見したということです。損傷はとても激しく、性別は不明ということです。DNA鑑定で身元を表すと発表されており、このあと午後3時頃から記者会見が行われるとのことで……」
 また猟奇殺人か……と秋涼は鼻で笑って眠りにつくことにした。そうだ、夢と現実が入れ替わってしまったこの世界では別段珍しい事でもない。非日常こそが日常で、日常こそが非日常なのだ。だから、さっさと眠って現実に帰ろう……そして秋涼に日常が訪れる。


 PM ; 1:24

 ここはマスコミや警察がごったがえしの事件現場。斉藤というレポーターがカメラに向かって話している横で、男と女が話をしていた。
「やあ、田辺ちゃ〜ん。いや〜最近物騒だね〜」
 陽気な声で男が言って、両手を広げながら女にハグしようと接近する。
 田辺と呼ばれた女は、抱きつかれる瞬間ひらりと男をかわして、冷静な声で答えた。
「ええ、そうね。今回もまだ手がかりらしいものはみつかってないわ。残念だけど私から言えることは何もないわよ、四条院さん」
「うははっ、そんな邪険に扱わんで下さいよ〜。人と人の触れあいってすごく大切なんですよ〜?」
 だらしなく伸びた髪をポリポリかきながら、四条院と呼ばれた男は軽薄な笑顔を浮かべる。
「あなたとだけは絶対にお断りよ」
 女――田辺杏子――は凍るような目つきで男を睨んだ。
「ひでぇ。俺が寂しさで死んだらあなたの責任だぞ〜」
 杏子に睨まれながらも男――四条院司査――は飄々とした態度を崩さない。
「どうぞご勝手に。私はあなたの生死なんて興味もないわ」
 刑事である杏子は、ショートの髪を揺らして無愛想に答えた。
 フリーライターの四条院は、眉間をひくつかせながらタバコをくわえる。
「相変わらずこの女め〜……いつか目にもの見せてくれるわ〜――しっかしほんと、いつにもまして酷いことしやがるなぁ……」
 そう言って四条院は地面の血痕を見つめた。
「四条院さん、心の声が口に出ちゃってるわよ。まぁ、そんな事はどうでもいいのだけど……ええ、そうね。犯行からしておそらく同一犯ね。犯人は単独ではありえないはずだけど……」
 同じように杏子は血痕を見た。
 四条院は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべてから、声のトーンを落として言う。
「ああ、こんなの一人でどうやってできるんだって話だもんな。だが複数でもこんなことそうそうできるもんじゃねーぞ。悪魔の仕業、だったりな……」
 そして2人して木の頂上を見つめる。頂上には20メートルはあろうかという大木。その頂点には――皮がはがされ、目玉と歯のない人間の顔らしきものが――刺さっていた。
 言葉のないまま2人がソレを見つめていると、後ろから刑事達の声が聞こえた。
「写真はもういいな! だったら早く降ろそう!」
「おい! 早くなんか道具持ってこいーッ!」
 怒号が飛び交う中、2人の元に1人の刑事が手を振って駆け寄って来た。
「田辺さーんっ!」
 若い青年だ。杏子も若いが、その青年はまだ学生然とした雰囲気がある。
「ああ、服部クン。何か分かったの?」
 杏子は駆け寄ってきた若い刑事に尋ねた。どうやら相棒のようである。
「ええ、それなんですが……」
 服部と呼ばれた刑事は言葉を濁して四条院の顔を伺った。
「ああ、んじゃ俺はこの辺で失礼するよ……」
 力なく手を振って、四条院は背中を向けこの場を立ち去った。
 河川敷は未だ、がやがやがや……と、暫く周囲の騒乱が鎮まる気配はない。
 だけどこの光景も、切り取られた日常の、ごく当たり前の1シーンなのだ。


 PM ; 1:43

 いつの間にか秋涼は目を覚ましていて、TVでは未だに猟奇殺人事件の話題で盛り上がっていた。
「ふん……こんな事が起こったとしても俺は関係ないんだ。俺は脇役。俺はもうどのステージにも立てない。みじめだよなぁ……ほんと……」
 秋涼は現在、心を病んでいた。彼は心に大きな傷を負っていたのだ。そしてこの世界で生きる意味を見いだせずにいた。つい最近、全てを失ってしまったのだ。
 秋涼が焦点の定まらない瞳でTV画面を眺めていた時だった――。
 プルルルル……と、突然電話のベルが鳴り響いた。秋涼は一瞬驚いたが、無視することにする。
 ぷるるるるるっ、ぷるるるるるるるっ、ぷるるるるるるるるるるるる。
 が、しつこく鳴り続ける電話に観念して、結局秋涼は受話器を取ることにした。
「はい」
 受話器を取って、秋涼は覇気のない声で言った。すると、
「在久、お前か!?」
 秋涼は突然のその声に衝撃を受けた。電話の主は秋涼にとって意外な人物だった。
「なっ!? 親父か? 一体今まで何やってたんだよ! 今あんたの捜索届けが出てんだよ……!」
 それは秋涼在久の父親である秋涼章助。
 声の主である秋涼の父は秋涼の質問に答えずに、切羽詰まった口調で続ける。
「在久、落ち着け! 落ち着いてよく聞いてくれ! 時間がない、大事な話があるんだっ!」
 秋涼章助の声には余裕がなかった。慌てているのが電話越しからでも分かる。
「おいっ。待てって、今どこに……」
 突然の事態に秋涼は頭が回らない。軽い目眩を感じた。
 それでも秋涼章助は構わずに話し続けた。
「いいか、よく聞け。世界はもうすぐ滅びの時を迎えようとしている。目の前まで迫っている! このままでは世界が終わる! 時間がない。なんとしてもそれを止めてくれ。本当にすまない……もうお前しか頼る者がいないんだ。頼むッ」
 ――それはとんでもない、荒唐無稽な話だった。
「ちょっ……いきなり何言ってるんだよ! 何の話だよ、それ! 訳分かんねーよ! 俺にどうしろっていうんだよ!!」
 当然、秋涼は混乱する。事態が全く飲み込めない。だけど、父は秋涼の事をまるでお構いなしに続けた。
「じきにお前の助けとなる者が現れる。その人に助けてもらえ! すまない、もう時間がない。お前には本当に申し訳ないと思っている。世界を救ってくれ。お前がやるんだ……頼んだぞ」
 ガチャリ。ツーツーツー……
 と、一方的に話すだけ話して、一方的に受話器は切られた。
 TV画面の光のみで照らされた暗い部屋の中、数ヶ月前突然行方不明となった父からの電話によって、秋涼は受話器を持ったまま茫然と立ち尽くすことしかできなかった。


 えくすです

 PM ; 2:56

 ここは周りを海に囲まれた海洋都市。1年中気温が高く、街には観光旅行客で溢れ返っている。
 そんな太陽の日差しがギラギラ降り注ぐ昼間の街角。賑わう雑居ビルやカフェテラスの中、如月マイアは近所の子供と一緒に橋の上で、ハトに餌をやりながら佇んでいた。
 風通しのいいアロハシャツにスカート、そしてピンクの帽子姿というこの場所に馴染んでいる様子のマイア。帽子からはみ出た、藍色の長い髪が風にゆらぐ。
 彼女が暫くハトと戯れていると、マイアのパートナーであり上司の、神無月ヒカルが現れた。
「おはようございます、先輩!」
 マイアは頭を下げて上司に威勢良くお辞儀した。
 しかし――その拍子に、マイアのお尻が橋の手すりの上の、子供と一緒に与えてた餌の入れ物に当たって橋の下へ落下。
 バサバサバサ、とハトが飛び交い、子供達は呆然とした様子で橋の下をみている。
 その一連の茶番を見つめていたヒカルはマイアに向き直って、
「……ああ」と、無感情に低い声で呟いた。
 全身黒づくめのスーツにサングラスという、この場所では少々浮きすぎで暑苦しそうな格好をした神無月。
 だけど、彼はいつもどこでもこの格好なのである。
 だからマイアも別段、その辺りについて今更突っ込むような事はしない。
「もう……先輩っ。朝は、おはよう。ですよっ」
 マイアはぷくぅ〜、と頬を膨らませて人差し指を立てた。
 神無月は困ったように少しだけ眉を曲げ、やがて聞き取りにくい声で、
「おはよう」
 一言言った。
「はい!」
 何がそんなに嬉しいのか、マイアは顔を輝かせて跳ね上がった。
「ところでだが……」
 対照的に神無月は感情のこもらない口調でマイアに話しかけた。
「切り替えはやっ……」
「お前の冗談に付き合ってる暇はないんでな」
 こんな格好をしてるのに汗一つかかず、固い表情で神無月は静かに言う。
「そんな〜……冗談じゃないですよ〜」
 マイアはガックリと大げさに肩を落とした。
 そして神無月はタイミングを見計らって本題に入った。
「…………。ゴホン……さっそくだが、お前に極秘任務を与える。まずは見てもらいたいものがある」
 そう言って、神無月はマイアに紙束を渡した。
「え?」
 マイアは怪訝な顔をしてそれを受け取った。


 PM ; 2:07

 受話器を持ったまま、ただ茫然と立ち尽くしていた秋涼は、ようやく落ち着きを取り戻して一言呟いた。
「ど、どうなってんだ……一体なんなんだよ……親父、なにがあったんだよ」
 秋涼は戸惑いながらゆっくりと受話器を置いて、自分の部屋へ入りベッドの上に座って考え込んだ。
 ――秋涼は幼い頃に母と死別した。母親の顔は覚えていない。そして秋涼はこのマンションの一室で父と二人で暮らしていたのだ。そう数ヶ月前までは……。
「いきなり姿を消したと思ったら3ヶ月後に今度は世界を救ってくれだと? 何の冗談だっ。大体世界が滅びるってどういう事なんだよ。くそぅ」
 それに父親が消えた辺りから秋涼の体調がおかしくなった。原因不明の頭痛。めまいもする。もうやめてくれ! もう何もしたくない! そしてあの出来事で秋涼は完全に壊れてしまって、全てがどうでもよくなった……。
「……明日は……学校行こう」
 秋涼は、薬瓶に入った錠剤を取り出し、それを飲もうとした――その時だった。
 ピンポーンと、突然鳴り響くインターホン。
 秋涼にふと突然、さきほどの父の言葉が脳裏をよぎった。
『じきにお前の助けとなる者が現れる。その人に助けてもらえ!』
 ピンポーン。チャイムがまた鳴った。嫌な予感はどんどん大きくなる。
「ま、まさか……しまった、鍵、かかってないっ!」
 秋涼は思い出して、慌てて玄関の方に走った。
 玄関前まで行くと静かに、来訪者に気づかれないように、扉へ近づく。
 ぴんぽーん。ぴんぽーん。ぴんぽーん。
 秋涼は震えながらも音を立てず慎重に鍵をかけ、チェーンもかける。
 秋涼がほっとしたその瞬間――ガチャガチャガチャガチャ! と扉を開けようとする音。外からノブを回しているのだ。
「ぅぉ!」
 思わず小さく声を漏らしてしまい、その場に尻餅をつく秋涼。直後、外からは一切の音が止む。秋涼はしばらくその場に凍り付いたまま動けなかった。
(一歩遅かったら洒落にならなかったぞっ。ていうか、マジでやばい……。中にいるのばれたか……? つーか、誰なんだよ。何しにきたんだよ………なんで急におとなしくなったん……だ?)
 秋涼は半ばパニック状態になる。
 全くの静寂。はーっ、はーっ、はーっ。と自分の荒い声だけが聞こえた。
 外からの気配は完全に消えたみたいだ。秋涼は恐る恐る静かに立ち上がった。
(もう……行ったか……?)
 秋涼は警戒を解かないまま、ゆっくりと投函口から外の様子を見ようかと顔を口に近づけていく。ゴクリ、と唾を飲む。
 目をポスト口の前まで寄せて、指で今開けようとした直後――秋涼は突如、頭に鋭い痛みが走って――唐突に、白昼夢のような幻覚が見えた。

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 どこだ、ここは……ビルの屋上? 下には寂れた街が広がっている。ああ、そうか。ここは……俺が小さかった頃によく遊んだ場所だ。
 太陽がまさに沈もうとしている黄昏時、そこには2人の子供の姿があった。
 男の事女の子。そうだ、あれは俺だ。無人ビルで遊んでいるのだ。廃墟となったこのビルで俺達はいつも遊んで、そして屋上へ行って、2人で街の景色を眺めていたんだ。
 彼女は――
「ねえ、在久。運命って信じる?」
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――秋涼は、はっと我に返った。今のは……なんだったのだろうか。
 なんとなく嫌な予感がしたので、秋涼は投函口から何気なく顔を離した。
 その瞬間――秋涼は恐怖のどん底に突き落とされた。
 目の前に悪意を持った殺意が襲ってきたのだ。それは――凶器。
 投函口から突如、アイスピックかドライバーのようなものが突き出てきた。
「おうっ……!?」
 その凶器は狂ったようにギャチャガチャギチャガチャ! と、出たり入ったりを繰り返す。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ〜……」
 思わず大声を上げるところだった秋涼。毛穴に至るまでの全身を、恐怖が襲った。
 手応えはないはずなのに、それでもなお凶器は踊り狂った。そして暫く乱舞した後、ピタリと動きを止めて、鋭利な凶器はすぐに引っ込んだ。
 ――やがてまた、その場は静寂となった。
 秋涼は腰を抜かして尻餅をつき、大量の汗を流し放心状態になっていた。


 PM ; 10:06

 図書館。パソコンの前に座り、事件について書かれた大量のレポート用紙に囲まれながら、四条院司査は一連の連続殺人事件について調べていた。
 分かった事をまとめると――一連の猟奇殺人事件の始まりは3ヶ月前の6月3日。被害者は高田製薬社員――科学者である――大友昭彦。自宅から数十キロ離れた新往町の公園の男子便所の小便器6つに、それぞれ順に頭、右腕、左腕、胴体、左足、右足が遺棄されていた。
 第一発見者は近所に住む運送業の男性。午前5時頃仕事の途中トイレに立ち寄ったところそれを発見。
 死亡推定時刻は同日2〜4時の間。鋭利な刃物で切断に用いた模様、証拠は未だ見つかっていない。
 それから猟奇殺人事件が多発するようになる。
 殺人の手口、被害者に共通点はないが今までの事件全てに言えることが、ここ新奥町で死体が見つかっていることだ。被害者の住所も深奥町の者がほんとどだが、住所が数十キロ、数百キロ離れている被害者ももなぜか皆ここで遺体が見つかっている。
 そしてもうひとつ言えることが、被害者全員のその異様な死に様だ。
 第一の事件の死も衝撃的だったが、その後、内臓全てを綺麗に抜き取られて家の浴槽に捨てられ、遺体は未だ見つからない……という被害者も出た。
 さらには縦に全て細分狂うことなく1cm間隔で切断され、被害者のマンションの屋上に並べられていた死体。
 全身の骨が抜かれ透明のゴミ袋に入れられゴミ焼却所に遺棄された死体。
 他にも、そのどれもが通常では考えられないような姿をしていた。
 そして――犯人に繋がる手がかりは一切なし。
 四条院は両手にそれぞれ持っていたレポート用紙を机に置き、ため息を吐いた。
「ふーっ、すげぇな、こりゃ。俺もしかしてとんでもなくやばい事件に首を突っ込もうとしてんのか……ははっ。まいったね、こりゃ……でも、職業柄ヤバければヤバイほど首を突っ込みたくなる性分なんだよね〜」
 冷や汗をかきながら四条院は呟いて、タバコをくわえた。


 PM ; 10:37

 秋涼は怯えながら夜の町を早歩きで歩いていた。暫く家の中に籠もっていたがどうにも居心地が悪くなって外に出て、人の多いところに行こうとしてオフィス街まで来たのだ。が、この時間にもなると人もまばらで、逆に寂しい印象があった。
「っていうか、さっきのは誰だったんだよ。俺を殺すつもりだったのか? 俺を助けに来るとか、そういう話なんじゃなかったのかよっ!」
 秋涼はこんな場所に来たことを後悔しながらも怒りを露わにする。恐怖を紛らわせているのだ。
「……もしかして最近この町で起こってる連続殺人の犯人じゃないのか……? だったら俺はどうすればいいんだよっ」
 人気のない高層ビルが立ち並ぶ中、秋涼は薄暗い道を歩き続けた。
 すると、ふと通りの向かいから、綺麗な女性が秋涼の顔をじっと見つめながら向かってくるのが見えた。
 被害妄想に陥っていた秋涼は必要以上に怯えながら女性の顔を伺う。女性から見ればとても挙動不審に見えただろう。
 動転した秋涼は今来た道を振り返って、怪しげな女性から逃げるように歩き出した。すると――、
「ねぇ君、ちょっと待ってっ」
 ショートの黒髪を揺らしながら、女性は秋涼を呼び止めた。
「……ッッ!」
 秋涼は驚いて、反射的に走り出した。
「あっ、ちょっと待ちなさいってばっ! 聞こえないのっ!?」
 女性も秋涼を追って走り出した。
 女性が何故自分を追ってくるのか、秋涼には見当も付かなかった。そして秋涼は走りながら想像する。もしかしたらこの女は先程玄関口で凶器を突き入れた犯人なのではと。
 そうこう考えながら走っていると、秋涼は人通りの少ない路地の方まで来てしまった。そして――路地の行き止まりまで追い詰められた。
「もう逃げられないわよ。大人しくしなさい」
 秋涼を追い詰めた女性は、ゆったりとした口調で秋涼に語りかけた。
「はぁ、はぁ、はぁ……あ、あんた誰だ? 俺をこ、殺すのかっ?」
 息を乱して、怯えながら秋涼は尋ねる。
 息一つ乱していない女性は、怯えた秋涼を見て吹き出した。
「ぷっ……どうやら君は関係なさそうね……安心して、私は田辺杏子。これでも刑事よ。君は?」
 田辺杏子と名乗った若い女性は、秋涼に警察手帳を見せた。
 それを見た秋涼は安堵して、そして走った疲れが一気に出たのか、地面にへたり込んで、ゆっくりと話し出した。
「えと、俺は秋涼在久……です。普通の高校生ですけど、刑事さんはなんで俺を?」
 秋涼は眉をしかめて困ったような声で言った。
 杏子は少し申し訳なさそうな態度で答える。
「驚かせてごめんね、秋涼クン。近頃物騒でしょ? だから私たちも最近忙しくて。不審者がいないか見回りしてたのよ」
 はにかんだ顔で言う杏子。こうしてみれば杏子は、秋涼と大して歳が変わらないように思えた。
「で、不審者の俺を見つけたって訳ですか」
 非難するように秋涼は言った。
「疑っちゃってごめんっ。でも君もこんな時間に外を出歩くなんて危ないわよ。遊びたいのは分かるけど本当に危ないからもう帰りなさい」
 歳はそう変わらないのに、秋涼と比べ杏子は精神的にしっかりしていた。
「は、はぁ……」
 秋涼は唸るように、聞き取りにくい声で言った。
「それに君も分かってるでしょ? なんせ私を連続殺人犯って勘違いするくらいですもんね、うふふっ」
 秋涼の緊張をほぐすように、おどけるように、杏子は言った。
 秋涼は返事に困っていると、その時だった――黒い煙のような、影みたいなものが一瞬ビルの壁を横切ったように見えて、秋涼はとっさに顔を上げた。
「ど、どうしたの。秋涼君」
 杏子は小さく首を傾げて秋涼を見て、秋涼の視線の先を見た。
「あ、いえ……何もありません」
 何もない。どうやら秋涼の気のせいだ。
「とにかく……なんだかこの辺りは危険そうだし、よかったら家まで送ってくわよ?」
 杏子は大人びた声で秋涼に手を差し出す。
「い、いいですよっ。一人で帰れますからっ」
 秋涼は顔を赤らめながら杏子の手を取って立ち上がり、杏子の提案を断った。
「そう? ならせめて人通りの多いところまではついて行くわ。こんなところまで来させたのは私の責任だし、ここは危ないしね」
 と言って、杏子はスタスタと歩き出した。秋涼も慌ててそれに続いた。
「でも怖くないの? 秋涼君。今、街には殺人鬼が潜んでいるのよ? 襲われたらどうするのよ」
「いえ……まぁ、襲われたら大変なんでしょうけど、なんだか自分の身にそんな大事件が起こるなんて考えられないというか……」
 普通ならそんな非現実的な事、我が身に降りかかるなんて考えられない。でも――この世界では、その非日常こそが現実なのだった。
 秋涼はビルの壁の上部、先程影が通っていった気がした辺りをチラリと見た。
「ふ〜ん……そんな考えじゃ危険よ。明日は我が身なのよ、秋涼君」
 立ち止まってから、杏子は呆れるように秋涼に忠告してまた歩き始める。
「もしかして……刑事さんも実は怖いんじゃないですか?」
 秋涼は皮肉げな声で、杏子の背中にポツリと呟いた。
 すると、杏子の体がびくっとオーバーに跳ね上がって、すかさず秋涼の顔を睨みつけた。
「そっ、そんな事ないわよっ! …それより君、刑事さんもって言ったわね? ぷっ。やっぱり秋涼君怖かったんじゃない。私に会った時、すごい怯えようだったもんねぇ」
 意地悪そうな笑顔を向ける杏子。
「ちょっと、もういいでしょ。そ、そんなにからかわないで下さいよっ!」
 秋涼は憤慨した。そういえば――あの頃はよく、仲間達から弄られていたな、と秋涼は思った。
「うふふっ。大人をからかうからよ」
 田辺杏子は片目を瞑って笑った。短めの髪が揺れた。
 そして2人は路地から出て、人通りのある場所へ行った。
「もうこの辺までくれば大丈夫よね? それともやっぱり家まで送ってこうか?」
 商店街まで来て、杏子はさっぱりした口で秋涼に尋ねる。
「そんなに子供扱いしないで下さいよっ。ちゃんと一人で帰れますよっ。じゃ……じゃあ、お仕事頑張って下さい」
 けれど秋涼はそれを断り、ペコリとお辞儀をして去っていった。
「ええ、ありがとう……気をつけてね」
 杏子は元気なく歩いて行く秋涼の後ろ姿を、ずっと見つめていた。


 AM ; 8:38

 翌日の朝。秋涼は己が通っている高校、聖エイファス学園へ久しぶりに登校した。
 左手に鞄をもって秋涼は教室の扉を開けた。一呼吸した後、自分の席へと向かう。
「よ〜う、秋涼。久しぶりだな。学校さぼって何やってたんだ?」
 秋涼が席に着くと、隣に座る幾多恭介が声を掛けてきた。彼は学業・運動神経共に優れていて、女子からの人気も高い秋涼のクラスメイトである。
「ああ……その。まぁ、ちょっといろいろあって」
 秋涼は高校を休みがちなのである。まぁ、最低出席日数は保っているのだが。
「ん〜、どうしたんだよ暗い顔して。不治の病か?」
 おどけるような口調の幾多。
「はは……冗談言うなって。ただの生理痛だよ」
 と、秋涼も冗談で返すが見事にすべったようだった。
「まっ、元気出せよなっ」
 幾多は真顔で言って、そのまま友達に呼ばれて席を立ち上がった。
 秋涼はため息を吐いた後、何気なく机の中をみた。
 すると――そこに一枚の、かわいいイラストがプリントされた手紙があった。
 秋涼は緊張して、静かに教室内を見回した。そして恐る恐る手紙の中身を拝見する。
『昼休み屋上で待ってます』
 それは女の子の字だった。そして、その字をどこかで見たことがあるような気がした。
 その時、HRのチャイムが鳴って担任が教室に入ってきた。
「きりーつ」
 と、学級委員長の桂が言って、全員が立ち上がる。そして礼をして着席した。


 PM ; 7:55

 マイアは現在、離陸前の飛行機の中にいた。これから任務のため、日本に出発するのだ。窓際の席にゆったりと座りながら、マイアは鞄から一枚の紙を取り出した。
 そしてマイアはその紙切れを眺めながら、神無月ヒカルから与えられた任務の内容を頭の中で反芻させた。

 それは海洋都市の橋の上でヒカルと合流した後の話――。
 ヒカルが運転する車の中。助手席に座ったマイアは、ヒカルが放った言葉に怪訝な表情をしてみせた。
「リストぉ?」
 マイアは素っ頓狂な声で車を運転するヒカルの顔を見た。車の窓からは広大な海の景色が、絶えることなく続いている。
 ヒカルはぶっきらぼうな声で説明を始めた。
「ああ、重大な事件に深く関係している人間達だ。いいか、これから君にやってもらう任務はこの世界そのものに関わる最も重要な事だ。それを忘れずに聞いてくれ。如月マイア、君にはこれより男5人女7人、計12人の危険人物と言われる者の監視。それとは別に正体の分からない危険人物、通称虚空と呼ばれる者の正体を暴くこと。そしてもう一人の危険人物の護衛・及び協力を得ること。それらを平行して行ってもらうが、まずは護衛対象者と接触を図る事を第一としろ。これがリストだ」
 ヒカルは淡々とした声で言って、マイにリストを手渡した。
「護衛……ですか?」
 リストを受け取ったマイアは、それを眺めながらぽつりと言った。
「そうだ。なにか問題でも?」ヒカルは変わらない口調で問う。
「危険人物……なんですよね?」マイアの声は心なしか弱々しく感じられる。
「ああ、そうだ……余計なことは気にするな。お前は言われたことをやればいい……」
 そう言われたマイアは、ヒカルの方に顔を向き直して糾弾するような視線を向けた。
「あの……でも一体その人達は何をしたっていうんですか? 情報が全然ないし、他に誰がこの任務に当たるかも聞いてないし、なんか変ですよ、先輩!」
 手渡された紙切れに書かれていた内容は、マイアには全くもって理解不能の事だった。
「……俺もお前と同じだ。これ以上のことは何も知らない。これは命令だ、任務なんだ。とにかく……問題があれば俺を呼べ、分かったな」
 ヒカルは反論することを許さぬ口調で言って、後は黙ったまま運転に集中していた。
「はい……」マイアは渋々ながらも承諾する。
 …………。
 と、そんなやり取りがあって車は飛行場へと到着し、マイアは現在に至ったのであったが……マイアは未だ深刻な顔で紙片をみつめていた。


 PM ; 12:14

 聖エイファス学園。昼休み。
 秋涼は校舎の屋上の端のほうで街の景色を見ていた。学校には彼の居場所はなかったから、他に誰もいないここに来るしかなかったのだ。
 夏が近づく真昼の眩しい太陽が秋涼を照りつける。
 眩しさに顔をしかめて、秋涼が手すりにもたれかかったまま小さくため息を吐いた時――、
「ここから見る街の眺めって、私とっても大好きなんだよっ」
 突然、秋涼の後ろから女の子の声が聞こえた。
「……っ!」秋涼はすかさず振り返った。
 そこには、昨日頭痛と共に脳裏に浮かんだ――白昼夢に現れた――少女の顔があった。
「――大宮……優美」


 AM ; 3:53

 大空を駆ける飛行機の中で、マイアは未だにリストを食い入るように見つめ続けていた。
 そのリストに書かれていたものは――。
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 危険人物
 No1. 十月薫子(38歳女性)
 No2. 幾田恭介(17歳男性)
 No3. エナ・カーター(14歳女性)
 No4. 橘紅(16歳女性)
 No5. イアン・D・斉藤(20代男性)
 No6. 正雀渚(17歳女性)
 No7. エゥーゴ・ブガナン(27歳男性)
 No8. 桂スミレ(17歳女性)
 No9. 牧田十三(67歳男性)
 No10. 大宮優美(17歳女性)
 No11. 朴燐(15歳女性)
 No12. 疾螺涼(17歳男性)
 護衛対象
 秋涼在久(17歳男性)
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 ――書かれていた内容はそれだけであった。
「秋涼……在久」
 マイアはリストからゆっくりと目を離して呟いた。
 飛行機は――間もなく日本に到着する。


 終幕 X;death

 自宅に戻った秋涼はとても疲れていた。ここのところ自分を取り巻く物語が加速してきているような気がした。
「今日はなんだか疲れた……まさか、優美に会うなんて……」
 ベッドに横になって目を閉じながら大宮優美の事を考える。
 どうしてだろう、秋涼は何故だか嫌な予感がしていた。不安を感じながら彼は眠りにつく。

 ――そして彼は夢を見る。かつては現実だった夢の世界へと。



「おっほ〜う。お前、秋涼在久君だねぇ〜?」
 秋涼在久が教室の隅の方で体を小さくしていると、突如、見知らぬ男子生徒から声を掛けられた。どうやら上級生のようだ。
「あの〜……あなた誰です?」
 秋涼は不信感丸出しの声で飄々とした上級生に問いかける。
「ああ、そうかそうかオレを知らないか。あっはっは」
 端正な顔立ちをした男は、笑いながら席に着く秋涼に手を差し伸べてきた。
「え、ああ……」
 秋涼は戸惑いながらも、長身で体つきのいい男の手を握った。
「ところで……俺に何か用でも?」
 男の魂胆が全くもって分からない秋涼は自然と身構えていた。
「おいおい、そんなに固くなるなよぉ〜。何もとって食おうとしてる訳じゃあないんだぜ。在久」
「そ、それじゃあどういう訳なんですか……」
 気安く名前を呼ぶ男に、秋涼は疑いの眼差しを向けて静かに問うた。
 男は小さく笑ってから、答えた。
「あっはっは〜。まだ気付かないのか、在久〜。久しぶりの幼なじみの再会だって言うのにさぁ〜」
 長い前髪を軽く振って男は大げさに笑った。そして――秋涼は思い出した。
「え? あ、あんた……もしかして、亮一……って、まさか星亮一ッ!? お前こっちに戻って来たのか!? っていうか、数年見ない間にこんなに成長しちゃって……昔は小さかったのに」
 そうだ、彼は星亮一――小さい頃、よく一緒に遊んでいた。久しぶりの再会だったから秋涼はすっかり忘れていた。
「はっは〜、やっと思い出したか、在久。お前は相変わらず物忘れの激しい奴だ。ほら、オレは約束を今もちゃんと覚えているぜ?」
「約束……ってことはお前……」
「ああ、そうさ……どうだ? オレと一緒に世界の為に戦ってみないか、少年よ」
 まぁ、オレも少年なんだけど、と笑いながら星は再び秋涼に手を差し伸べた。
「はぁ……お前久しぶりに戻ってきたと思ったらいきなり何言い出すんだ?」
 幼い頃今のように、2人で創った団。そんな子供の遊びをまた再会すると言うのか?
 だけどそれでも――秋涼は自然に、迷うことなくあっさりと星の手を握った。
「ふふふふ……さぁ、ここからオレ達の戦いが始まるのだ」
 星は不敵に笑って、秋涼の手をぎゅっと握りかえした。
 そしてここから――秋涼在久と星亮一、2人の運命の錯綜は始まった。

                                第一話 終




 エクスドリーム


 第二話「DUST ON BURST」


 0

 ここは聖エイファス学園。昼休みの光景。
 秋涼在久は現在、校舎の屋上に幼なじみの大宮優美と共にいた。
「大宮……優美」
 秋涼は目を見開き、口を開けて少女の名前を呼んだ。
 優美と久しぶりに再会した秋涼は、それ以外に言葉は浮かんでこなかった。
 栗色のツインテールに大人びた色白の顔。小柄で線の細い体だけど、大きな胸をしていた。
 彼女はとても綺麗に、可愛く、成長していた。
 ――大宮優美。彼女は秋涼や星亮一達と共に、かつて『秘密組織』のメンバーとして一緒に遊んでいた過去がある。星が転校して組織は自然消滅してしまい、優美とはそれ以来だったが、彼女は星がこの街に戻ってきたことを知っているのだろうか。そして、秋涼と星が決裂したという事実を……。
 しばらくの沈黙が続く中、やがて優美の方から口を開いた。
「これは運命……だよ」
 照れるように、はにかんで優美は首を少し傾げた。
「――え?」
 秋涼はその仕草にドキリとした。



 その頃、秋涼のクラスの教室ではお昼休みの喧噪に溢れかえっていて、その中で正雀渚は一人で弁当を食べていた。
 けれど渚は唐突に箸を止めて、人形のように固まった。そして彼女は――、
「聞こえる……運命の歯車は回り始めた」
 彼女は静かに口を開いた。



 OCEAN

 大宮優美と邂逅を果たしたその夜、秋涼は夢を見た。かつて現実だったが、夢に追いやられた幻視を――。

「ところでさ、亮一。結局なんだったんだ? 秘密組織って。昔のお前って一体何がしたかったんだ?」
 学校の昼休みの騒々しい教室の中で、秋涼はふと疑問に思ったことを星に尋ねてみた。
 星が秋涼に呼び掛けて創設した正義の秘密組織。だけど結局秋涼は具体的に何をしている団体なのか知る事はなかった。
「ああ、それか……うん。なんだろうな、お前知らないの?」
「知らねえよ! っていうか何も考えてなかったんだ!?」
 時を超えて明らかになった事実にショックを受けた秋涼だった。
「まぁまぁ、そんなにカリカリすんなよ在久。それよりさ、他の団員達はどうしてるんだ? みんな元気にやってるのか?」
 星は飄々とした声で言った。
「まったく、お前も変わらないよなぁ……他の仲間達、か……」
 秋涼は口ごもった。星が転校した後、秘密組織は自然と解散してしまったのだ。星と秋涼が創った組織なのだが、星がいたからこそ団員達はまとまっていられたのだ。
「最近他の連中とも会ってないから……さぁ、どうなったんだろうな」
 秋涼は目を泳がせながら言った。
「ふぅん。そうか……。優美とかにも会っていないのか?」
 星は興味深げに尋ねる。その顔に何の思惑も見られない。
「いや……会ってない。中学に入ってからは一度も……」
 つまり3年は会っていない事になる。
 ――大宮優美は3人目のメンバーだった。かなり初期からいるメンバーの一人なのだ。だから秋涼と星にとっては特別な存在だった。
 だけどそれも星がいたからこそのものだったんだ――秋涼は視線を教室の片隅に向けた。
「そうか……ところでよ、在久。話は変わるんだけど……」
 と、星は柄にもなく真面目な顔になって秋涼の瞳を凝視した。
「な、なんだよ……」
 秋涼は思わず体を硬直させる。
「俺は気付いたんだよ」
 その声はやはり、いつものような飄々としたものではなかった。
「え……なに、が」
 秋涼は息を呑む。
 そして星は声の調子を落として、まるで何らかの覚悟を決めたような声で言った。
「この世界は――偽物なんだ」


 ○

 目覚めた朝。秋涼はいつものように、洗面所で学校に行く前の支度をしていた。
 TVは付けっぱなしになっていて、ニュースの音が秋涼の耳に届いてくる。
 どうやらまた巷を騒がす新しい猟奇事件が起こったようだった。今回は海に8体の溺死体が浮かんでいたのだそうだ。
 だけど、秋涼にとってはそんな事件、何の関係もない。だから気にもしない。
 それよりも彼の頭には別の考えが巡らされていた。
 ――大宮優美。
 秋涼は顔を洗いながら回想していた。昨日の出来事を。優美との久方ぶりの邂逅を――。



「いいのか? お前、この学校の生徒じゃないだろ? 不法侵入だぞ」
 暖かい日が照りつける中、秋涼は優美と屋上の端に並んで、フェンスに背を向けてもたれている。
「いいの、いいのっ。在久に会えたんだからっ」
 優美は朗らかに笑って、う〜んと、大きく伸びをした。雲間から出てきた真昼の日差しが2人を照らした。
「答えになってねーよ」
 秋涼はむすっと不機嫌になって顔をしかめた。
 すると、それを見ていた優美はフェンスから体を浮かせて、
「ぷぷっ……あはははっ」
 いきなり優美は笑い出た。
 秋涼は狼狽する。
「な、なんだよ」
 ますます不機嫌そうに彼は眉根を寄せた。
「う、ううん。在久は全然変わってないなー、って」
 優美は弁明するようにはにかんだ。
「そ、そうか……」よく意味が分からない秋涼だった。
 太陽の光は再び雲の中に消えていった。
 暫く2人に静寂がおとずれた。
「ところでさ……」と、沈黙を破って秋涼は口を開いた。
「うん?」目だけを動かして秋涼を見る優美。
「数年ぶりにいきなり手紙で呼び出して……こんなところで会うなんてさ……びっくりしたっていうか、なんでかなって」
 秋涼はボソボソと聞き取りにくい声で尋ねた。
 その時だった。
 キーンコーンカーンコーン、と昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。
「……今は、内緒」
 と、優美は人差し指を口元に当ててウインクする。
「なんだそりゃ」まったくもって意味不明だった。
「予鈴、鳴ったよ。また明日も……ここで会えるかな?」
 優美はまるで、懇願するかのような甘える声で秋涼に尋ねた。
「……ああ。また明日も昼休みに来る」
 秋涼は優美に押されるように、思わず了解する。
「うん。待ってるね」
 と、優美は小走りで校舎の中へと走って行った。
 秋涼は優美の後を追うように教室へと戻っていった。
 だけど、優美はこの学校の生徒ではないはずだ。彼女はいったい、どこにいったというのだろうか。秋涼は胸騒ぎのようなものを感じた。


 それが――昨日の出来事だった。
「また明日もここで会えるかな……か」
 洗面所で鏡に映る自分の顔を見ながら秋涼は小さく笑い、頬を緩ませながら洗面所を出て、学校へ行く支度を続けた。
 そして自分が無意識に笑顔をしていた事に気付いて驚いた。
 ……もしかしたら自分は嬉しいのかもしれない。大宮優美と再会できたことが。
 もしかしたら自分は――。
「いやいや……それより遅刻してしまう」
 秋涼は考えを振り払うように急いで支度して家を飛び出そうとして――その時、TVが付けっぱなしだったのに気付いて、慌ててスイッチを切った。
 その時のTV画面には、飛行機事故のニュースが流れていた。


 ○

 四条院司査が目を覚ました時、そこは資料がごった返されたタバコ臭い部屋の中だった。
「あ、ああ……。いつの間にかねむっちまったようだな。ふぁ〜……うぅ〜……なんだか最近頭痛が酷いな……ろくに寝てねーもんな〜」
 どうやら自室で調べ物をしている間に、いつの間にか眠っていたようだった。
 彼は今、一連の怪奇事件に関する調査をしていた。一見何の関係性もないように思われる事件の数々だが、彼の記者としての勘が騒いでいた。
 バラバラ殺人。浴槽箱詰め殺人。サイコロステーキ人間。クラゲ人間。同時多発飛び込み。逆さづり。毒ガステロ。爆殺。串刺し……。
「はぁ……」
 事件を並べてみただけで気が滅入りそうになる。
 四条院はため息を吐きながらゆっくりと起き上がり、その辺に乱雑されていた書類に何気なく目を向けた。
 すると――。
「なっ……! こ、これはッ」
 四条院は一枚の紙切れを手にとって驚愕した。なぜこんなものが……いつの間に。さっきまではこんな紙切れはなかったはずだ。
 それは、人物の名前が羅列された一枚のリスト。
 彼は無性に気になってノートパソコンに向かった。リストとモニタを見比べながら一心不乱にキーボードを打鍵する。
 そして――。
「そうか……そういうことか……」
 これでようやく、彼の調査していくべき方向性が決まった。
「――聖エイファス学園」



 ――そしてまた昼休みになって、秋涼は昨日交わした優美との約束通りに学校の屋上へと訪れていた。まるであの頃のように、街の景色を背景に2人並んで座っていた。
「ねえ、在久。運命って信じる?」
 何の前触れもなく、優美は秋涼に問いかけた。
「いきなり何言ってるんだ?」
 時々優美はよく分からない事を言う少女だったが、どうやらそれは今も変わらないらしい。
「あははっ、ごめんね」
 優美は乾いた声を出して笑った。サラサラした髪が風に舞った。
「……運命なんてあるかどうか分からないけど、信じるのは自由だと思うぞ」
 秋涼はまるで優美の肩を持つようにそう言った。
「でも、その運命が悲しい結末に向かうとしたら在久はどうする?」
 不安そうな声で優美が言う。
「うーん……。運命は自分の手で切り開くものだっていうじゃないか。もし運命なんてものがあっても、俺はそんなものに甘えずに自分の道を信じて進むだけさ」
 そんな、ありきたりな台詞を秋涼は放った。所詮それはどこかの誰かの受け売りだ。
「そう……」
 優美は遠くを見るように目を細めた。
 秋涼がその横顔をなんとなしに見ていたら――、突然。
「……? うっ……?」
 無性に、頭が痛くなった。秋涼はこの痛みに覚えがあった。
 そう、これは。
 そして――白昼夢が訪れた。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ――ここは、聖エイファス学園の屋上。
 そこには1人の少女と、1人の少年がいた。
「あなたは――何をしようとしているの……?」
 少女は不安そうな声で少年に問いかけた。
 その少女は大宮優美――。彼女は屋上の柵にもたれかかって男子生徒と話しているようだった。
 そして優美の話相手である男子生徒は――鈴を鳴らすような、透きとおった声で囁くように言った。
「僕は自分にできることを精一杯やるだけだ。それが力を持つ者の責任だと信じているから……」
 ともすれば女性のように見える姿と声。秋涼はその男子生徒が誰か知っていた。彼は――クラスメイトの徳倉薫。
「……でも、私にできるの? 本当に……」
 優美は泣きそうに眉をしかませて徳倉を見つめた。
「それは大宮さん次第だよ。運命は自分で切り開くものだろう?」
 徳倉は余裕の表情を浮かべて弾むような声で笑った。
「……分かった。私、やってみる」
 優美は弱々しく徳倉に笑いかけて――。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「どうしたの?」
 という、優美の声で秋涼は我に返った。
「えっ? あ……いや、なんでもない……。少し立ちくらみがしただけだ……」
 秋涼は力ない笑顔を優美に向けた。
 今のフラッシュバックはなんだったのか、秋涼は優美に尋ねようとも思ったが、何故かそれは躊躇われた。
 優美が少し悲しそうな顔をして秋涼を見つめていたが、
「そう……だね。私、もっと強くならないとね」
 と言って、すぐに笑顔になった。
「……な、なにが?」
 秋涼には優美が何を言っているのか分からない。
「だから、運命は自分で切り開くってことっ。在久が今言ったことじゃない。もう、無責任なんだから!」
 優美は肩を怒らせて抗議の声を上げた。だけど、すぐに穏やかな表情になって独白するように語りかける。
「ねえ、覚えてる? 昔2人でよく遊んでた頃、こういう屋上から2人で街を眺めてたよね」
 また突然話が飛んだ。いきなり昔話を振られて秋涼は戸惑ったが、思い出して見ればそれはとても綺麗で、楽しい光景だった。
「ああ……馬鹿みたいにいっつも2人でずーっと見てたよな。ははっ、今から考えたらおかしいよな。同じ景色を毎回飽きもせず見てたなんてな」
 秋涼は思い出す。幼かったあの頃の思い出を。楽しかった仲間との日々を。
「そうだね……。でも私、今こうして在久と昔みたいに屋上から街を眺めていて、とても楽しいよ」
 きっとそれは優美も同じだったはずだ。
「そう……だな」
 だから秋涼は、暖かい日差しに照らされた街並みを眺めながら、ゆっくり頷いた。



 ――その夜。
 秋涼は自室のベッドの上に横たわっていた。
 大宮優美との邂逅は秋涼にとって心安らぐ、幸せな時間なのだが、その分彼は気になることがあった。
 白昼夢。フラッシュバック。ビジョン。
 また見えた……あれはなんだったんだ? なんで同じクラスの徳倉薫が……? そして大宮優美との関係は……?
 秋涼はなかなか寝付くこともできずに漠然と考えていた。そして秋涼には大宮優美に対する別の感情が芽生え始めていた。
「俺は……あの頃優美の事が好きだったのかもしれない……。きっと彼女が親父の言う俺の助けなんだ……。優美といると忘れられる。いろいろありすぎて疲れていた今の俺を……優美は救ってくれた」
 もしかしたら秋涼は大宮優美がいれば自分は何もかもやり直せるのかもと、なんとなくそう思った。
 そういえば――昔優美と街の景色を眺めていた場所はどこだったのか、ふと秋涼は疑問に思った。



 一方その頃――田辺杏子はようやく本日の仕事を終えて帰宅した。
 彼女はここ最近の猟奇事件に悩まされていた。
 刑事である彼女は理解不能な事件の連続に連日連夜、休息もままならないままに働きづめだった。
 杏子は捜査資料に目を通しながら、冷蔵庫から取り出した缶ビールを開けて飲む。そしてTVのスイッチをオンにした。
「これだけ派手な事件なのに、解決の手がかりも浮かんでこない……どうなってるの」
 これだけ事件が大きく、多いのに、有益な目撃情報も証拠もない。ボロを一切出していないのだ。
 田辺杏子は憔悴していた。もしかしたらこの事件は思っているよりも、とんでもなく大きいものなのかもしれない。
「こりゃあ本当に、四条院さんが言ってた通り、第一の被害者が勤めていた製薬会社の陰謀かもしれないわね」
 と呟いて自嘲気味に杏子はため息を吐いた。
 TVではニュースが流れている。大統領選の様子について報道されていた。
 缶ビールを一気に飲み干した彼女は捜査資料を広げたテーブルの上に突っ伏した。
 いつものように、このまま泥のように眠りの世界に落ちていくのだ。
 だが――その時。
 ブルルルルルルル、と、杏子の携帯電話が鳴った。着信音だ。
「だ、誰かしら……服部クン?」
 眠気眼をこすりながら、杏子は携帯電話を手にする。発信者は表示されていなかった。
 誰だろうと思いながら、眠い目をこすって彼女は携帯に出た。
「もしもし……」
 携帯電話に耳をやる彼女の顔は――次第に蒼白になっていった。
 そして彼女は固まった顔のまま、TV画面に目を向けた。
 大統領は徳倉巧一氏に確定した、とTVの中でキャスターが言っていた。



 一方その頃、終電の地下鉄電車の中。
 秋涼のクラスメイトである幾多恭介がいる車両には、幾多と眠っている酔っぱらいの二人のみがいた。
 ガラガラに空いた座席に座っている幾多は、眠たそうに体をコクリコクリ揺らしていた。だけど、幾多の身に異変は唐突に訪れた。
「うっ――!?」
 突然、幾多は右目を押さえて苦しそうにうめいた。
 右目に激痛が走った。幾多にはその意味が分からなかった。心当たりがなかった。
「な……なんだ、これは……一体どうなってるんだっ?」
 半ばパニックになる幾多は、右目から手を離して、何もない前方に顔を向けた。
 その時、幾多の右目が地下を走る車窓に一瞬映った。
 その瞳の色は、血を吸ったような赤に染まっていた。


 IN OCEAN

 眠りについた秋涼は――そしてまた――かつての現実世界へ旅立った。

「よし、では現実を侵略するというその夢をオレ達で食い止めよう! 秘密組織を復活させる時が来たッ!!」
 教室の中で、星亮一は声を大にして言った。
「いや、確かにその話が本当だったら大変な事なんだろうけどさ……でもなかなか信じられないし、それにこの歳になって秘密組織っていうのも……」
 星とは対照的に秋涼は消極的に擦れた声で言った。
「ハンッ! 何を言う、在久! オレが今まで間違った事を言ったためしがあるか? そして何かをするのに、年齢をいちいち引き合いに出すようなつまらない人間だとオレを思うのかっ?」
 自信満々に星は言う。確かに星は昔からやたらとスケールのでかい男だった。でも間違った事は言いまくっていた記憶はあった。
 あと、どうでもいいことなのだが、いちいち声もでかいのも何とかならないかと秋涼は思った。ここは昼休みの学校の教室の中で、周りにはクラスメイトがたくさんいるのだ。もう少し自重してほしかった。
「じゃあ、百歩譲ってその話を信じるにして……それで秘密組織を復活させていったいどうしようって言うんだ? 具体的に何か策でもあるのかよ?」
「そんなもの後から考えればいい! とにかく今は活動を再開することだ……そうだな、秘密組織じゃあれだから、もっといいネーミングを考えるべきだな……そう。この世界の秘密に気付いた希望のレジスタンス。そして偽物の世界で声を大にして希望の言葉を吐き続ける……それは――『希吐』だっ!」
 見ていてこっちが恥ずかしくなるくらいに星は高揚していた。昔からちっとも変わっていないと、秋涼は頭を抱えた。
 そんな秋涼におかまいなく、星は続けた。
「そうと決まれば話は早い! 無事、希吐が創設されたということで……ではさっそくだけどまずはメンバー集めからだ! そうだな、やっぱり以前のメンバーを再集結させよう!」
「さ、再集結?」
「そうだ! バラバラになったと言っても、何人かは交流があるんだろう? だったらそこからあたればいい……そう、大宮優美とかな」
 星は口元をにやりとさせて言った。だけど、その名前を聞いた秋涼はうなだれるように呟いた。
「大宮優美は今どこにいるか分からない……」
「え? 会ってないけど居場所は知ってるんだろう?」
「いや……亮一が引っ越した後、彼女もどこかに引っ越したようなんだ。学校でもみかけなくなったし、連絡だってとっていない……」
 それはまるで、大宮優美の存在自体がきえてしまったかのような。
「……ふぅん。まぁいい。だったらそれはそれで構わないさ……オレ達の手で探すまでだっ!」
 と、星は拳を握って高らかに宣言した。
「……って、えええ!? 俺達っ!? 達ってなに? 俺もなのッ!?」
 秋涼は椅子から立ち上がって狼狽した。星は何を言っているんだ、と訝しむように言った。
「だって俺達は秘密組織の創始者であり、一心同体の同志じゃあないか! そんな事言うまでもない!」
 そう言って、星は秋涼の手をとり教室を出た。


 ◎

 いつものように秋涼は昼休みになると、校舎の屋上で大宮優美と邂逅を果たした。
 秋涼が屋上に着いたとき、既に大宮優美の姿があった。
 優美は秋涼に背を向けるようにして街の景色を眺めている。
 真昼の太陽が小さな少女を照らし、その姿は白くぼやけて儚げな存在に見えた。
 しばらく見ていると、なんだか秋涼は不安になって優美の背中に声をかけた。
「よっ」
 できるだけ元気で、爽やかな声をこころがけたつもりだった。
 優美はゆっくり振り返った。
「在久……」
 秋涼はその顔をみて、儚げに微笑んだ。


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 丁度その頃――。

 生徒会室の中に一人の人物がいた。桂スミレ。パイプ椅子に座って、無表情に窓の外を見つめているスミレ。だけど、口元だけがもごもごと動いていた。聞き取れないけれど――スミレは何かぼそぼそと呟いているようだった。

 徳倉薫は薄暗い旧校舎の渡り廊下に一人立っていた。彼は己が右手を見つめていた。
「そうだね……僕が……止めなくては……ホールウィンド計画……か」
 彼は一人、澄んだ声で小さく言った。

 秋涼のクラスの教室では、正雀渚が自分の机に座っていて、お弁当を机の上に置いて、それに手を付けようともせずに静かに目を閉じていた。クラスメイト達は誰も彼女を気にしていなかった。

 秋涼章助――。彼は秋涼在久の父親であり、現在この世の中から姿を消している最重要指名手配人。彼は狙われていた。だから彼は身を潜めていた。この建物の中が現在の彼の世界だった。
 しかし――今、彼の世界に侵入しようとする者がいた。
 部屋の扉を破って、一人の若い女性刑事が彼の元に現れた。

 どこか分からない、薄暗い部屋の中でパソコンを一生懸命打ってる老人がいた。名前は牧田十三。パソコンのかたわらには、『組織』の如月マイアが持っていたのと同じ、危険人物名が載ったリストがあった。老人はパソコンのモニターから一瞬目を離して、それを見て――。
 不気味に笑った。

 そして――一人の女が日本の地に降り立った。
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「私ね、勇気を出して運命と闘う事にしたの」
 屋上に現れた秋涼に対しての、優美の第一声がそれだった。
「今夜は月が綺麗な夜ですね」
 桜色に頬を染めた優美が言う。
「? ……そうか」
 今は昼だというのに、いったいこの少女はなにを言っているのだ? 優美の言いたい事がよく分からないながらも、頷いた秋涼。
「それでね、在久に大事な話があるの。よく聞いて欲しいんだ」
 優美は小さな声で歌うように言葉を紡ぐ。
 どことなく、優美の顔は何か諦めたような顔をしていると秋涼は思った。
「分かった、聞くよ」
 秋涼は、今はただ優美の話を聞こうと思った。
「在久、実はこの……」
 優美はの口ぶりはまるで、これから重要な真実を話そうとでもするかのようだった。だが、
「……? あれ」
 その時、秋涼は景色の向こうに一瞬、何かが光ったのに気が付いた。反射的に視線を向ける。
 ――刹那。
 その視線の辺りにあったビルが大爆発した。閃光と轟音。
「えっ?」
 秋涼も、優美も呆気にとられた。何の反応もできなかった。
 そして次の瞬間――
 何かが猛スピードでこちらに飛んできて――
 驚いている秋涼の目の前で、
 優美の首が、
 切断――されてしまった。
「あ」
 ボールのように跳んだ優美の頭。
 優美の首を切った鉄の欠片――何かの看板のようだ――は、屋上のコンクリートの地面に突き刺さった。
 全て、刹那の出来事だった。
 ただ、弾んでいく優美の頭を視線で追うことしかできなかった。
 爆発の衝撃で破片が飛んで来たのか。それによって優美の首は切断されたのか。秋涼の頭の中で混沌とした思考が駆け巡る。
 そして、優美の頭が完全に動きを停止させて、ようやく秋涼の思考も停止する。
「……ゆっ、ゆぅ……みぃぃ」
 全てが終わって、秋涼は声にならない声を上げた。優美の体の方に向き直る。
 そして彼はおぼつかない足取りで、首のない優美の体の方に向かおうとするが。
 ふらふら、ゆらゆら、と。
「――――」
 首のない優美の体は、まるで機械人形のように、よろよろ後ずさりして――そのまま屋上から転落した。
「…………」
 秋涼は言葉も出ずに、ただ呆然と大宮の体が転落した場所まで行き、落下した優美の体を見つめていた。
 そして秋涼は頭が混乱しすぎて、逆に頭が醒めきったかのように、これが非現実の出来事であるかのように考えた。
 そう――俺は自分が今まで生きてきた人生には何の意味がなく、俺はそれを嘆いていた。
 でも、それは違った。
 もし、意味があるというのなら。そしてそれが自分の意志とは無関係に、自分の行動によって、そしてそれとは別に他の無数の人たちの行動によりそれらが複雑に絡み合い、それが悲劇の結末を起こしてしまったら。だとしたら……俺は。
 そして秋涼の視界は暗転する。全てが闇に包まれた。
 そこから――何か真っ白なものが、ぼんやりと浮かび上がってくるのを感じた。
 その時、秋涼は確かに見た。あの遠い日の光景を。秋涼在り久と星亮一と大宮優美。3人で無邪気にはしゃいでいたあの頃の幻視を――。



 BLUE BURST

 亮一がわけの分からない組織を設立したのは別によかったけれど、だけど団員を増員させて、組織をもっと巨大化させようと言ってきたのにはさすがに驚いた。
「な、何言ってるんだよ亮一!」
 小学校の教室の中で、俺は声を大にしてその真意を問うた。
「はっは〜! そりゃあ世界を救う組織なんだから、たった2人というのも寂しいだろ」
 と言うより、世界を救うなんて遊びで言ってただけだと思っていた秋涼。そして世界を救うっていったい何から救うというのだろうと疑問に感じた。
「なぁ亮一。組織って――って、うおいッ! 無視すんなよっ!」
 秋涼の話も聞かずに星は廊下の方に出て行った。思い立ったらすぐに行動する男なのだ。
「やれやれ……まったく付き合いきれないよ、ほんと」
 呆れながらも秋涼は星の後を追った。放っておけない性質なのだ。
 ――そして辿り着いたのはなぜか校舎の屋上。
 そこに星の後ろ姿があった。
「おい、亮一――っん?」
 そして、端の方で転落防止用のフェンスにもたれかかりながら、街を見下ろす一人の少女の姿があった。
 少女は星と秋涼の気配に気付いたのか、ゆっくりと振り返った。
「あなた達、だあれ?」
 その顔は小学生にしては大人びていて、とても綺麗な印象を受けた。栗色の短いツインテールが良く似合っていた。
「えっ……う」
 秋涼は咄嗟のことに言葉をなくしてしまった。ああ、とかうう、とか声にならない声を上げた。
 すると、秋涼の少し前に立っていた星が――。
「やぁ! オレ達は世界を救う秘密組織のメンバーだっ! 実は折り入って君に頼みがあるんだ! オレ達の仲間にならないかっ!」
 と、快活な声で高らかに言った。
「な、なにいいいいいいいい!? お前、何言ってるんだよ亮一ーーーーっっ!」
 秋涼には星の滅茶苦茶な言葉に驚いた。いくらなんでも初対面の少年にいきなりこんな話をされても戸惑うだけだろう。一体この男は何を考えているのだろう……と秋涼が落胆していると、
「……はい。私、入ります……入りたいです」
 と、澄んだ声で少女は言った。秋涼は耳を疑った。
 にやにや笑う星と、口を開けて放心している秋涼を交互に見て、少女はペコリと小さくお辞儀をして言った。
「私は大宮優美……よろしくねっ」
 満面の笑顔で言った。
 星も、ただにやにやと笑っていた。
「な、なんで……なんで」
 対照的に、秋涼は泣きそうな顔をしていた。秋涼は何も考えられないまま、ただ少女に問いかける。この状況の全てが分からなかった。
 だけど、答えはすごく単純で簡単だった。
「だって、これも――運命だからっ」
 大宮優美の声は弾んでいた。
 これが秋涼在久と大宮優美の出会いで、秋涼在久の初恋だった。

                                 第二話 終





 終。


 opening of epilogue


 四条院司査は飛行機事故の現場にいた。
 乗員乗客全員死亡。
 一面は焼け野原と化している。
 そこで四条院は一つの死体の前に立っていた。
 もはや男とも女とも区別のつかない焼死体。その横には、ハードケースがあった。
 ――四条院司査は知っている。
 この死体がいったいなんなのか。このハードケースにはどんな意味があるのか。その意味を。重大さを。
 ――失ってしまったものの大きさを。
「マイア嬢……あんたの意思を無駄にはしない」



 1


 大宮優美が死んでから、秋涼はずっと家に籠もっていた。無気力になっていた。
 部屋に散乱する食べ物とゴミ。彼は自堕落に日々を過ごしてきた。
 そんなあるとき――パジャマのままリビングで茫然とTVを見ている時だった。
 ぴんぽーん、と自宅の呼び鈴を鳴らす音が聞こえた。
 居留守を使おうか、と秋涼は考えた。
 だが、なおも呼び鈴の音は続いた。
 しつこいな――秋涼は仕方なく立ち上がって玄関の扉を開けた。
 どうやら今は夜の時間帯のようだった。今夜はとても月が綺麗……。
 そして、扉の前にいたのは。
「こっ……こんにちわっ、秋涼くんっ」
 スーツを着こなしたショートカットの女性。
 田辺杏子だった。
「ど、どうしたんですか田辺さんっ。どうしてここが……っ」
 秋涼は驚いた。血相を変えた杏子は息を切らしていてどこか慌てている様子だった。
「い、いいから来て……とても大事な話があるの……っ」
 杏子は秋涼の顔を見るやいなや、すぐにその腕を引っ張って外の世界へ引きずり出した。
「ど、どこに行くんですかっ」
「すぐそこの路地裏……そこで人と会う約束をしてるの」
 小走りで進みながら杏子は言う。
「わ、わけが分からないっ。ど、どうして僕が……」
「それはその時に話すわ。いい、秋涼くん。あなたは……狙われてるの。もう私達に猶予は残されてない……」
 秋涼の手を握る杏子の力が強くなった――そのとき。男の悲鳴のようなものが聞こえた。
「――え?」
 それは、絶叫。それは、まるで満月の夜に叫ぶケモノの咆吼。
 杏子も秋涼も立ち止まった。2人の間に緊張が走る。
「……秋涼君。ここで待ってて私が戻ってくるまで絶対動いちゃ駄目。あと、身の危険を感じたらすぐに全速力で逃げるのよ。いいわね……絶対に来ちゃ駄目よ」
 杏子は早口でそうまくし立てると、秋涼の返事も聞かずに真っ直ぐ走り出した。声のした方角だった。
 一人残された秋涼。理解できないまま刻が過ぎる。
 彼は――自然と足を動かした。
 杏子が向かった方向へと。




 2


 路地裏に来た秋涼は衝撃の光景を目撃した。
 そこには血溜まりの中で倒れている1人の男がいた。
 ――死んでいた。
 だが、しかし。秋涼にはもっと信じられないものがあった。
 さっきまで話していた田辺杏子が、首を切られて死んでいる光景。
 そして。田辺杏子だったものの前に立つ1人の男。それは――。
「どうして……お前、星……星亮一なのかっ」
「よう、在久。久しぶりだな」
 秋涼在久の親友、星亮一だった。
「お前……な、なんで……まさかこれは……」
「ああ、俺がやった。まぁなんだ……ここじゃあれだから場所を移そうや」
 眼前に広がる光景をまるで気にした風でもなく、秋涼を連れてその場所を去っていった。
 歩く歩く歩く歩く。秋涼は星と歩いた。どこに向かっているのかは分からないが、秋涼はその間ずっと黙っていた。
「……なぁ、星。優美が、大宮優美が死んだ」
「……知ってるよ」
 そうか、やっぱりな――と秋涼は思った。星なら知っていてもおかしくない、と秋涼はそう思えた。
 今や星は死を運んでくるものなのだ。星は死神なのだ。
 星亮一は田辺杏子を殺した。いや、彼女だけではない。きっと血溜まりの中で倒れていた男も星が殺したのだろう。
 もしかしたら大宮優美だって――そう秋涼が思ったとき。
「なぁ、在久。お前はこの世界をどう思う?」
 星は独り言でも言うかのような声で尋ねた。
「え? なにを突然……」
「お前は思わないか……この世界は本当に正しい世界なのかって。もしかして世界は偽物なんじゃないかって」
「……なに言ってるんだ?」
「なぁ、在久。黒幕は――お前の父親なんだ」
 と、星は何の脈絡もなく唐突に言った。
「そして、全ての鍵はお前の脳髄の中にある」
「……」
 あまりの発言に、秋涼は言葉を見失った。
「お前の父親はとある組織の重要幹部で、ある実験の責任者なんだ。そしてお前が実験の要……世界の大まかな下地はお前の脳によって創られているんだ」
「そんな馬鹿な……意味が分からない……」
 突拍子もない星の話は尚も続く。
「現実の世界を否定し、空想の世界にこそ人類の進化の秘訣があると考えている組織は、今ある偽物の世界をさらに壊し、さらには現実の世界の全ての人間を夢の世界に取り込んでパラダイムシフトを引き起こし、この世の中を進化させようと考えているんだ」
「なんでお前がそんな事を……」
「俺は世界を救う秘密組織のリーダーだ。だから俺は……いま、お前の前に立っている」
「え……な、なにを」
「物語を、終わらせるんだよ」
 そう言って、星亮一は、秋涼在久の頭へそっと手を添えて――。
「夢から醒めろ――××××」



 3


 世界は終わる。世界は始まる。世界は回る。くるりくるり回っていく。くるくるくるくるくるくる回る。
 僕はまるでモルモット。実験用のモルモット。実験用のモルモットのように回る。くるくるくるくるくるくるくるくる狂う狂う。
 くるりくるりと狂っていく。


 ――とあるマンションの一室。
 電気も付いていない、暗いリビングの中、ソファーに座り呆然とTVを観ている少年の後ろ姿があった。
 TVからはニュースキャスターの声が聞こえてくる。
 少年はずっと部屋の中に引きこもっていた。
 TVでは猟奇事件について白熱した討論が交わされていた。それもまた日常。
 非日常こそが日常で、日常こそが非日常なのだ。だから、さっさと眠って現実に帰ろう……そして秋涼に日常が訪れる。
 こうして世界は繰り返される。脳髄という迷宮の中、輪廻していく。


END.





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