アクター×アウター 〜演じる彼女と目立たぬ彼女〜

最終章 物語

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

―― 事象∞世界 ――

 
 霧宮玲於那は公園の中を茫然とあてもなく歩いていた。
 歩きながら玲於那は考えていた。
 彼女は自分の選択がこれでよかったのだろうかと。物語を消滅させようと誓い、自分を殺しながら闇に生きてきた人生は、これでよかったのだろうかと。
 玲於那の存在のせいで死んでしまった家族達は、果たして今の彼女を見てどう思うのだろうか。
 そう考えると玲於那は、胸の辺りが痛くなった。
 フラフラした足取りで、公園の中の、周りを木々で覆われたいっそう静かな丘まで行くと、玲於那は立ち止まって深呼吸した。
 ほとんど無意識の状態でも、つい人気のないところに来てしまう自分に呆れながら、玲於那はぼんやりと鳴海の事を思った。
 自分のいうことに従わず、物語の元凶に執心して、主人公のように綺麗事で動く少年。瀬能芹奈のために必死で物語を突き動かす少年。
 玲於奈はまた、胸の辺りがチクリと痛んだのを感じた。
 その時だった――人気がないと思っていたこの場所に、気配を感じた。
 ざくっ、という足音。
 玲於那はとっさに振り返った。
「はじめまして」
 そこにいたのは――瀬能芹奈だった。
「せ、瀬能芹奈……っ。ど、どうしてっ! なぜここにっ!」
 玲於那は突然の闖入者に驚きを隠せない。
「うふふ……ようやくお目にかかることができました。あなたが影でコソコソ動き回っていた方ですね。実に……こざかしいです」
「くっ……!」
 警戒した玲於那は、拳銃を懐から抜き取り銃口を芹奈に向ける。
 玲於那は混乱していた。なぜここに芹奈が来たのか全く分からなかった。
 因果を断ち切る銃弾で撃った芹奈は、もうこの物語からは脱落したのだ。いや、そもそも物語の外にいる玲於那の元に辿り着くことなどできない。
 それはすなわち、漫画の中のキャラクターが作者の前に姿を現す事と同義なのだ。
 しかし、現に玲於那の前に立ちはだかる芹奈は、拳銃に怯む様子もなく、笑顔で話しかける。
「何かの為に必死になって生きた事のない人間に、生きている価値はないのです。あくまで物語に関わらず、傍観者という安全な立場で我々をかき乱そうというなら――ここであなたを削除します」
 ニコニコとした笑顔で、残酷に告げる芹奈。彼女は掌を広げた右手をゆっくり上げて、玲於那へと向けた。
「よ……よく言うな、瀬能芹奈。物語の因果から外れたワタシを相手に戦うつもりか?」
 強気に言うが、内心玲於那は怯えていた。目の前にいる芹奈は、自分が知る芹奈とは全く異質のもので、これまで出会った物語のなによりも異質な雰囲気を醸し出していた。
「うふふふ……物語から外れている? 外れてないでしょう? 今や立派にあなたも劇団員の1人じゃないですか。私から言えば……あなたはもうとっくに物語を演じていますよ」
 掌を玲於那に向けたまま、ジリジリと近寄っていく瀬能芹奈。
「ち、近づくなっ! 何をするつもりなんだ、貴様! 貴様は主人公ではないのだぞ! 主人公は鳴海葉鍵だ! 彼がいないところで物語を展開させようというのかっ!?」
「鳴海葉鍵さん? はぁ……元々の主人公は私なのですよ。これは私の物語ですから、鳴海さんは関係ありませんよ」
「うるさい。貴様の物語はワタシが滅ぼしたっ! もう貴様の出番はどこにもないのだっ!」
 玲於那が大声で芹奈を否定し、芹奈に向けた拳銃の引き金に力を入れた瞬間――玲於那の足元の地面がバゴンッ、と大きく音を立ててえぐれた。
「あなたはさっきから、何わけの分からない事を言っているのでしょうか?」
 芹奈は不気味に笑った。
「な、なんだと……」
 玲於那は突然弾けた足元の地面を見つめながら考えていた。瀬能芹奈はいったい何をしたのだ。ただ手をこちらに向けていただけだ。なぜいきなり爆発が起こったのだ。
 そして玲於那は混乱する頭で結論に思い至った。恐ろしい結論に――。
「ま、まさか瀬能芹奈……こいつ、すでに新しい物語を急展開させている……っ!? いや、違う! さすがにゼロにしたばかりなのに、いきなりこんな急展開があるはずないっ。これは……消滅しきれなかったんだ! 物語が……暴走しているっ!!!!」
 物語の主人公とはいえ、ただの人間にどうしてこのような事ができるのだ。それができるとしたら1つ。彼女は物語を乗り越えたのだ。1つ上のステージに上昇してしまったのだ。人智を超えた世界の住人に。玲於那が与えた弾丸をきっかけにして。
「あはは、あはははは。さぁ、私を楽しませて下さいっ。私に刺激的で感動的で非現実的なドラマを演じて下さい〜」
 芹奈は玲於那に向けていた右手を、そのまま真上に上げて、恍惚に浸っていた。
 すると、徐々に芹奈の体を中心にして風が巻き起こる。まるで小さな台風のようにぐるぐる風が渦を巻いて、その勢いがだんだん強くなっていく。
「なに……これは……物語内のルールが変わり過ぎだ……こんな展開、聞いてないぞ……」
 芹奈が何を企んでいるのか分からない。だが――そんなこと玲於那には関係ない。
 バトル物を望むなら――一瞬で終わらせる。
 玲於那は拳銃を芹奈に向けて、そしてこめかみに照準を合わせて――引き金を引いた。
 バチィンッ――!! と炸裂する音。命中した。確かに命中した。
 けれども――芹奈は頭を少し仰け反らせただけで、再び玲於那に顔を向けた彼女は、愉悦の表情に顔を歪めていた。
「ひ、非現実的すぎる……ここまで暴走するなんて……物語の許容範囲を大きく超えているぞ……もはや別ジャンルだ。こんなの、世界が……破綻してしまう」
 巻き起こる嵐を前にして玲於那は戦意消失していた。物語の因果を断ち切る弾丸を食らって何の効果もない芹奈に対抗する術が彼女にはない。
 その時――芹奈が真上に掲げていた手を玲於那に向けた。
 刹那。玲於那は自分の体にもの凄い衝撃を感じて、真後ろに吹っ飛ばされた。
「が――がふぁっ!」
 何度も地面にバウンドして転がっていく玲於那。ようやく勢いが止まり、地面にうずくまっていると――いつの間にか、すぐ目の前に芹奈が立っていた。
「私はもっと心躍るバトル展開を希望していたのですが……力の差がありすぎたようですね……残念ですが、さよならです」
 風を纏った芹奈が、手刀を構えて玲於那に振り落とそうとする。
「ううっ――」
 玲於那が死を覚悟したその時――突如、芹奈の体に飛びかかった何者かの姿が見えた。
「なっ……だ、誰ですかっ!」
 とっさに芹奈が一気に数メートルのジャンプをし人影の体当たりを避けると、態勢を立て直した。
 芹奈に飛びかかろうとした人影は、くるりと芹奈の方を向いた。
 地面に倒れている玲於那は、その人物を見て表情を綻ばせた。
 それは――鳴海葉鍵だった。
「瀬能さん……いや、芹奈。終わらせに来たよ、僕達の物語を」
 鳴海はどこか達観したような、決意のこもった眼差しを芹奈に向けていた。
「鳴海さんですか……ふん。何を言ってるのですか……私は……そんな事は望んでませんよ。私は、私はこういうのを望んでいたんです! 終わらせたくないんです!」
 鳴海の登場に芹奈は、表情を曇らせて動揺しているようだった。
「でも芹奈……そんなのは寂しいじゃないか。君は世界で自分1人で生きていくのかい?」
 鳴海は芹奈にジリジリと近づいていく。
「一人で生きていきます。私はずっと一人で生きてきましたし、これからだってそうしますっ」
 芹奈は戸惑いながら後退する。
「いや、物語は一人では描けない。誰かと一緒じゃないと創れない。君はこっちに来るべきなんだ」
「なら元の世界に……現実世界に私の生き甲斐がどこにあると言うんですかっ!? あの日常に戻ったとして、イジメられて過ごす学校生活や惨めな日常のどこに楽しみがあるというんですかっ?」
 芹奈は叫んで、なおも近づいて来る鳴海を拒絶しようとした。
 だけど、彼は決して止まらなかった。
「生き甲斐ならあるさ……僕が君の幸せになってあげるよ」
「…………」
 瞬間、芹奈がたじろいだ。その隙を鳴海は見逃さなかった。
 鳴海葉鍵は微笑むと、瀬能芹奈の元へたどり着いて、そして――抱きついた。
「えっ……?」
 芹奈は突然の事に驚いているようだった。鳴海に抱きつかれた芹奈は、抵抗もせず何も言えず、全く動けないようだった。
「――だから、君も僕の幸せになってくれよ」
 鳴海がそう言うと――強張っていた芹奈の体が、徐々に脱力していくのが見て取れた。
 そして周りで発生していた暴風が、急速に勢いをなくして収束していく。
 その時、玲於那は分かった。
 瀬能芹奈を巡る物語の暴走は止まって――そして、今度こそ本当に物語は収束した。
 いや、これは収束ではない。鳴海と芹奈は、2人の物語を完結させたのだ。
 これはまごうことなきハッピーエンド。
 そして玲於那は、抱き合ったまま動かない鳴海と芹奈を見て――少しだけ2人を羨ましく思った。


inserted by FC2 system