アクター×アウター 〜演じる彼女と目立たぬ彼女〜

第4章 首絞め

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 昨晩起こった西澤アンナの首絞め事件で、千本ヶ谷学園は生徒の安全のために一時休校となった。
 だから今日から生徒達は自宅学習で外出禁止となっているのだが……そのルールを守っている生徒がいったいどれだけいるのだろうか。鳴海が町を歩き回っているだけでも、見覚えのある若者の顔をちらほら確認することができた。
 午前の空は清々しく、まだ暑さも感じられない過ごしやすい空気で、澄んだ水色の空が心地よかった。
 早いうちから調査を始めておいてよかったと思いながら、鳴海はまだ太陽が昇りきっていない空を見上げて伸びをした。
 水色の空の下であくびをしている鳴海は、もちろん外出禁止のルールを守っていない1人であり――彼はいま、町を騒がす首絞め事件を解決するために調査していたのだ。
 短い間コンビを組んでいた霧宮玲於那が言うには、連続首絞め事件は取るに足らない些細な事件でしかなく、全体の物語を構成するフラグの1つにしか過ぎないこの事件は、いともたやすく解決することができるらしい。
 玲於那がさんざんそんな事を言っていたものだから、鳴海もついついその気になってこうして町の至る所の事件現場を巡って調べていたのだが……そう簡単に答えが見つかるはずもなかった。
 鳴海はまず、昨夜西澤アンナが襲われた、小さな湖のある遊歩道に向かった。
 だが、すぐに後悔した。
 そこには多くの警官がいて、周りには多くの野次馬もいて、つまり調査どころではなかった。そもそも事件発生現場には立ち入り禁止テープで近づく事もできなかった。
 だから彼は遠くからでも事件現場を観察しながら聞き耳を立てて、警官や野次馬の話を整理してみた。
 それによると、靴跡から判断して犯人は同一人物のようで、つまりは犯人は女性か、体重の軽い小柄な男性だという見解であった。
 そしてもう一つ重要な手がかりが残されていた。それは――メッセージである。
 どうやら意識を失う直前に書いたのだろう。アンナの倒れているすぐ傍に、地面に文字が描かれていたのだ。
 それは解読が難しくなんて書いてあるのか、文字なのかもよく分からないものだったが――どうやら3つの文字らしく、『せ・り』と、解読不能の1文字だという。
 鳴海の脳裏にすぐに彼女の顔がよぎった――瀬能芹奈。
「…………」
 鳴海は何も言わずにその場を立ち去った。
 そして、首絞め事件が起こった現場を1つずつ確かめて行こうと、鳴海は次に公園に向かう。
 その途中千本ヶ谷学園の前を通ったが、やましい事がなくても緊張してしまいそうな空間が広がっていた。きっと同じ学校の生徒が立て続けに襲われたという為だろうが、学園付近には大勢の警官が巡回していたのだ。
 鳴海はすぐに学園を通り過ぎて公園に行った。
 そして事件現場をじっくり調べるが、何日も前のことなので、当然と言えば当然だが手がかりは何も見つからなかった。
 その後も鳴海は事件現場を何ヶ所か回ってみたが、結果はいずれも空振りに終わるばかりで、玲於那が言うようにあっさり解決なんてできそうに思えなかった。
 ふと鳴海は、奏上大賀の事を考えた。彼も今頃首絞めジャックを探し出すための調査をしているのだろうか。
 もしもこれが奏上大賀が勝つための物語だったなら――鳴海がやっている事はただの道化でしかない。鳴海の役目とは、奏上大賀を引き立たせる為の存在だとしたら……鳴海はそんな事を考えて陰鬱な気分になった。
 暗い気分を晴らそうと彼は、次の目的地に向かって歩いた。そして歩きながら考える。
 首絞めジャックは、物語の一部でしかない。なら、物語とは何なのか。首絞めジャックはその物語において何の役目を担っているのか。
 瀬能芹奈。演技。学校。クラスメイト。生徒会。霧宮玲於那。物語の外。
 物語はどこから始まって、どこに向かっているのか。
 そもそも。鳴海にとっての全ての始まりはあの川原だった。
 瀬能芹奈と出会った川原――。
 鳴海の足は、自然とある場所に向けて歩んでいて、そして気付けば彼は通学途中にある川原を歩いていた。1番初めの事件が起こった場所。
「……あ」
 彼は、草むらの中に見覚えのある動物を見つけた。
 カピバラに似たネズミの一種。ヌートリアのヌーボー。
 そして、ヌーボーから少し離れたところに――瀬能芹奈がいた。
「おはようございます。鳴海さん」
 こちらに気付いた芹奈は、ニコニコと不自然な笑顔を作った。
「瀬能さん……久しぶりだね」
 鳴海は芹奈の顔を見て妙に嬉しくなった。
 奏上大賀は約束を守ってくれたのだ。勝負が終わるまで、芹奈は解放されたのだ。
「久しぶりと言っても3日ぶりですけれどね」
 自由の身となった芹奈の笑顔は、相変わらず作り物めいていて――その在り方は霧宮玲於那とはかけ離れていたが、やはり根底の部分では同じだと鳴海は改めて思った。
「そ、そっか。まだ3日か。僕は随分時間が経ったように思うけど……そんなもんなんだね」
 鳴海は、芹奈に対して色々聞きたいことがあったのだけど、こうして会うとそんな言葉は何もでてこなくて、当たり障りのない会話しかできなかった。
「ええ、そんなもんです」
 芹奈の返答も素っ気ないものだった。
「……そのヌートリアも前見たときより少し大きくなってる気がするよ」
「鳴海さんもずいぶん大きくなりましたね。見違えましたよ」
「いや、そんなわけないでしょ。逆に怖いよ。ちっとも嬉しくないよ」
「えへへ……実はもうすっかり鳴海さんの顔を忘れてしまって。適当に話を合わせたんですよぉ」
「ひ、ひどいよっ!」
 この3日、芹奈の事を考えていた鳴海は結構なショックを受けた。
「冗談ですよ。相変わらずですね、鳴海さん」
 芹奈は3日前と変わらない表情で微笑んで、鳴海もつい笑顔がこぼれる。
「……そうだね、相変わらずだね」
「お約束は大切ですからね」
 芹奈はニコニコと微笑みながら事務的に答えて――そして。
「ところで鳴海さん――聞きましたよ。生徒会長さんとの決闘のこと」
 まるで大した事じゃないような、自分とは無関係な事であるような声で、そう言った。
 ハッキリ言われて鳴海は少したじろいだが、芹奈の瞳を見据えて答えた。
「ああ、僕はあいつにリベンジする。わけの分からないまま、負けたままでいるのは嫌だからね。それより……君は嫌じゃないのかい? 決闘とか生徒会とか、わけの分からない事に振り回されて……それとも、それも演技だというのかい……そんなの、楽しいのかい?」
「はぁ……あなたが何を言っているのか……だってそれが私の生き方なのですから、嫌とかそういうのは……」
 芹奈は鳴海の言いたい事が分からないとでもいいたそうな顔で微笑んでいる。
 鳴海はこれ以上芹奈のその顔を見るのは限界だった。
「全部やめたらいいんだよ。こんなこと」
「……やめれませんよ。人間は誰も、自分という決められた役目から逃げることはできないのですよ」
 鳴海の懇願に、しかし芹奈の感情は平静を保ったままだった。
「自分から逃げられないのなら、だったら僕が一緒に逃げてあげる。だから――」
「鳴海さん、それは駄目です」
 芹奈はキッパリと、鳴海の気持ちを突き放した。
「だったら瀬能さんは……なんで僕と契約しようと思ったの? 僕に……どうして欲しかったの?」
「望むのは演技だけです。あなたを選んだのは単に……あなただったら、きっと自分を見失わないと思ったから。それだけです」
「自分を見失わない……って?」
「生徒会長さんも、副生徒会長さんも、他の誰も……役割に飲み込まれてしまったんです」
 ここで芹奈が少し寂しげな顔をしたのを、鳴海は見逃さなかった。
「それって僕と君がやっている、物語を演じるやつだろ? まさか他の人達もやってたのかい? あんなことを」
「ええ、そうです。ですが他の方達はみな演技に浸食されたんです。演じていただけの虚構の人格が、次第に本物の自分に取って代わったんです。元あった自我が支配されて、虚構は現実に反転してしまったんです」
 役割になりきっているうちに、本当の自分がその役割になってしまったということ。
「……それは駄目なことなのか? 人は様々なものに影響を受けて今の自分になるんだ。どんな形であれ、それは本物だろう?」
「本物……? 何言ってるんですか。だから駄目なんです。虚構だからこそ、偽物だからこそ意味があるんです。あくまでフィクションだと理解したうえで演じるからこそ、この世界を偽物にすることができるんです。安心できるんです。本物の現実なんてつまらないだけです」
 似た者同士なのに、まるで玲於那とは反対だ。虚構の消滅を願う玲於那と、現実を憎む芹奈。
「どうして君は偽物にこだわるんだ……? どうして役割を演じようとするんだ……」
 芹奈と玲於那の決定的な違い。物語を創る者と、壊そうとする者。
 芹奈は……顔を俯かせて、表情から笑顔を完全に消して言った。
「単に人生がつまらないからです。単に人間が好きじゃないからです。私は――ずっと1人でした。親も友達もいませんでした。ずっと色々な場所をたらい回しにされて、それで今は金持ちの親戚の家に預かって貰っているんです。私は人の心が怖いんです」
 それは、もしかしたら芹奈が初めて鳴海に見せた、弱音かもしれない。
 いつも本当の自分を隠していた自分の、深くてか弱い部分。
「心変わりも、裏切りも、愛情も憎しみも全部怖いんです。感情なんていらない。本心なんていらない。だから全部ニセモノでいいんです。全ての人が上っ面の仮面を被っているなら、誰も傷つくことはないんです。私は安物の車を赤く塗っただけでフェラーリにできるんです」
「…………」
 だから瀬能芹奈はこんなゲームを思いついたのだ。
 鳴海には芹奈の過去に何があったのか、芹奈の家庭の事情などは分からないし、その気持ちも分からない。
 だけど鳴海は、彼女を助けてやりたかった。それは本当の気持ちだったし、決して変わるものじゃないと誓って言えた。
 そして芹奈に、素晴らしく美しく掛け値のない感情もあるんだって伝えたかった。
 見返りを求めない無償の愛があるんだって教えたかった。
 だけど鳴海は、手を伸ばせば触れられる彼女の手を握ることができなかった。
 数十センチに満たないその距離は、数千光年もの距離に思えた。
 鳴海の口から、自分の気持ちがそのままに、少しでも芹奈の元に届けられる言葉が見つからなかった。
「せ、瀬能さん……」
 しばらく沈黙が続いたあと、鳴海は勇気を振り絞って声をあげた。
「なんですか?」
「い、いや……その……そう。この場所も犯行現場になったんだよ。首絞め事件の……。だ、だから手伝ってくれないかい?」
 何もできない無力な鳴海は、言い訳するように早口で伝えた。
 それが鳴海の……凡人の限界だった。
「……ええ。いいですよ。たしか、こっちです」
 芹奈はしばらくの沈黙のあと頷いて、鳴海を先導し先を進んで行った。
 後ろを鳴海が歩き、ヌーボーもその後をちょこちょこついていった。
「この場所なんですけど、確かOLさんが帰り際に襲われたそうですね」
 広場のようになっている場所で、芹奈が立ち止まって言った。
「うん……それが1番はじめの事件なんだよな」
 鳴海は呟いて、そして周囲を捜索し始めた。
 ここを偶然通ったOLが何者かに首を絞められるという事件。それを皮切りに夜毎、無差別に人が首を絞められていく。
 鳴海は辺りを散策しながら妙な因果めいたものを感じていた。
 それはご都合主義とも言えそうな、運命とも言えそうな、神秘的な引力。
 芹奈との初めての邂逅と、首絞め事件の最初の事件。全ての始まりの場所。
 だから――ここで見つかるのは当然だった。
 鳴海は、少し離れた草むらの中に紛れていたあるモノを拾い上げた。半分地面の土と同化している銀色のなにか。
 それは、アクセサリーの一部分のようなものだった。
 それを手に持って眺めながら、鳴海は今までの事件を回想する。
 橘陽菜が襲われた時の事や、先程行った西澤アンナが襲われた現場、そして川原での証拠。
 鳴海はふと、ヌーボーと戯れている芹奈を眺めた。
 そう思ったら不思議だ――。2人が初めて出会った日のその場所で、初めての犯行が行われた。鳴海の中のある考えはますます大きく膨れあがってきた。
 物語というのは、鳴海と芹奈を軸において動いているのではないか――と。
「瀬能さん――」
 気付いたら鳴海は、無意識の内に芹奈に呼び掛けていた。
「はい? なんでしょうか?」
 ヌーボーを抱き上げた彼女はきょとんと鳴海を見つめている。
「君の事を、名前で呼んでもいいかな?」
「え……? 名前で、ですか?」
 いきなりのことに、芹奈は目を丸くさせていた。
「そう。芹奈……って」
「な、なにを言ってるんですか? それならいつも呼んでいるじゃないですか……」
「違うよ――。それは演技の中の僕だろ。何も演じてない、僕が君を呼ぶときの名前さ」
「……基本、鳴海さんと私の関係は全て演技の中にしかありません」
 芹奈は困ったような顔をして、視線をちらちらと彷徨わせた。
「でも例外はあるだろう? 今だってその例外じゃないか。ねぇ、名前で呼んでもいい? それとも、駄目かな?」
「別に……いいですけれど」
 芹奈は何か言いたそうな顔をしていたけど、やがて渋々納得した。
「それともう一つ」
「まだ何かあるんですか、鳴海さん?」
「その鳴海さんっていうの……その言い方もやめてもらえたら嬉しいな。僕は芹奈って呼ぶから、君は僕の事を葉鍵って……名前で呼んでくれないかな?」
「……どうしてですか」
「なんというか……その方が親しい感じがするから――かな」
「で、でも……そ、それは……ちょっと」
 芹奈は明らかに困っている。これも新鮮な顔だった。
 大地の緑と川の青を背景にした、芹奈のその顔がとても綺麗で見ていて心地よく、鳴海はこれからももっと芹奈の新しい顔を見たいと本気で思った。
「――分かった。じゃあこうしよう」
「?」
 だから鳴海は提案する。
「僕と奏上生徒会長の決闘。これで僕が生徒会長に勝ったら、その時は君が僕を名前で呼ぶように……そうしてくれないか? これが僕の決闘で勝った時の望みにするよ」
「……そんなものでいいのですか?」
「本当はその敬語口調をやめてもらえる方がありがたいんだけど、君にとってそれはまだ難易度高そうだからね」
 鳴海は無理に笑顔を作って言った。
「……善処します」
「いいよ。無理にやる必要はないんだ。これは強要してるんじゃなくて、ただ……」
「ただ……なんですか?」
「君と……仲良くなりたいからさ」
「そうですか……えへへ」
 芹奈は困ったままの顔で言ったが、でも嫌そうな顔ではなかった――と鳴海にはそう見えた。そう思いたかった。
 その証拠に、次に見せた芹奈の笑顔は――。
「頑張って下さい。私、あなたなら何かしてくれそうだと……そんな風に思います」
 暖かい風に吹かれる芹奈の表情は、やはりにこにこと張り付いたような笑顔だったが、それはどこか朗らかなものを感じさせた。
 鳴海は草木や、川面が風に揺られるのを見つめながら、決意を込めた声で言った。
「大丈夫――僕はもう、この事件の謎を解いたから。これは演技じゃない。僕が、僕の意思で物語をハッピーエンドに導いてやる」
 そして太陽は真上に達した。どこからかセミの鳴き声が聞こえてくる。いつの間にか夏の季節が迫ってきていた。
「さあ、それじゃあ解決編を始めようか」


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