アクター×アウター 〜演じる彼女と目立たぬ彼女〜

第2章 演者

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

6

 
 川切落花と別れた鳴海は、待ち合わせ場所の校門付近で茫然と立っていた。
 それは瀬能芹奈との、毎日の恒例となった演技の為の待ち合わせ。
 時間にしてはそれほど長くなかった。だけど鳴海には、その時間は無限にも思える程長く感じた。
 こうして鳴海がぼんやり立っている間も、芹奈は体育館でアンナ達から虐げられているのだろうか。川切がなんとかしてくれる事を、鳴海は祈った。
 それでもやはり鳴海は気が気ではなかった。罪悪感で胸が張り裂けそうで、彼は壊れてしまいたかった。
 やがて鳴海が立っているのも憔悴しかけた頃、こちらに歩いてくる芹奈の姿を見つけた――。
「……っ」
 鳴海はすぐに駆け寄りたい衝動を抑えて――自分の役に入ってから、ゆっくりと彼女に近づいてニッコリ微笑んで片手をあげた。
「やあ、芹奈。一緒に帰らな……」
 だが彼の言葉は途中で止まって――驚愕の表情を浮かべた。
 芹奈の制服が泥と砂埃で汚れていた。
「せ、芹奈っ。その姿はいったい……」 
 驚く顔をする鳴海だが……彼は知っていた。朝に台本を渡されていて、こうなる事はあらかじめ分かっていたし、何より先程見ていたのだ。
 だからこれももちろん演技だけれど……でもこの言葉は、鳴海の本心でもあった。
「ひ、ひどい……」
 知ってはいたけれど、それでもまさか本当にここまでボロボロな姿だとは思わなかったのだ。
 ただの演技のはずなのに――ここまでする必要があるのだろうか。
「大丈夫です、いつもの事ですから」
 そう言う芹奈は軽く微笑みすら浮かべていたが、よくみればその綺麗な顔や髪にも汚れがついていた。
「ま、またやられたのか……こんな、ひどい」
 思わず演技するのも忘れてしまいそうだけど、彼は何とかシナリオに沿った言葉をかける。
 本当はそんな場合じゃないし、こんなくだらない演劇なんて放り出したい。
 だけど、鳴海にはそうするだけの勇気がなかった。芹奈に脅されているからじゃない。
 彼女がこうまでして描こうとする物語を、止められるだけの信念がなかったのだ。
 この演技にかける芹奈の強い想いに、鳴海は到底敵わない。だから鳴海はできることは、せめて彼女の強い想いに、同じく演技というカタチで応えることだった。
 だから鳴海はできるだけ胸くそ悪い気分を自分の中に沸き上がらせた。そして激しい怒りを感じようと努力した。
 芹奈をいじめている張本人達には勿論そうだが、そんな事をされて平気な顔で笑っている芹奈にもだし、何より1番許せないのは――結局芹奈のために何もできていない自分自身だった。という設定を自分の中に創った。
「く、くそう……許せない……っ」
 ……だけど本当に許せないのは、偽物の現実を演じなければならないという、この状況そのものだ。それを創った芹奈に対しても、こうやって演技することしかできない自分にも。
「そんな顔をしないで下さい、鳴海さん」
 芹奈は鳴海のそんな気持ちを分かっているのだろうか、悲しそうな声で言った。
 いや、きっと分からない。全部、演技なんだ。ここでやっている事は全部茶番で、演技によって本心は隠されているのだ。
「芹奈……それは僕の台詞だ。君は――どうしてそんな顔をしてられるんだ」
 だから鳴海は、台本にのっていなかった台詞を口にした。アドリブは脚本を乱さない程度になら許されていた。刺激があって面白いと芹奈がそう言っていた。
「え〜っと……言ってる意味がよく分かりませんが……」
 だが芹奈は、鳴海のよく分からないアドリブに対し、困ったように首を傾げた。
「分かってもらわなきゃ困るよ。きっと分かっているはずだよ。君は間違っているって」
「え、えぇ〜と……で、でも。私はそれを望んでいるんです。こうやって生きていくのが私の人生なんです。そう、間違いなんかじゃ……ありません」
 鳴海の言いたい事が分かったのか、芹奈も台本にない台詞で応酬した。いや、それは台詞というより、芹奈の本心だった。
「せ、瀬能さん……」
 そして鳴海も、演技から抜け出していた。
「……私にはリアルなんて必要ないんです。私の真実は偽物こそにあるんです」
 それは偽られたものではない、芹奈の言葉。
「ど……どうしてそんな事言うんだよ。僕は君が心配なんだ……こんな事しなくても君はもっと幸せに生きていけるはずだよ」
 これは演劇の延長なのか、それとも現実なのか、鳴海には自分がやっている事が虚構か真実か分からなくなってきた。
 自分がどこの世界にいるのか分からなくなりながらも、それでも鳴海は言葉を続ける。
「僕はこんな演技なんてしなくても、瀬能さんと楽しい時間を過ごせるって思う。いや……演技なんかより、きっともっといい時間を送れるって信じてる」
 鳴海の言葉はまるでチープな三流ドラマの台詞だったけど、それでもこれは嘘偽りない、鳴海の言葉なのだ。全てはこの哀れな少女の為に送る言葉なのだ。
 だから鳴海は、フィクションを超える事を決意する。虚構世界から現実世界へとアセンションした世界で、芹奈と過ごす事を決意する。
「瀬能さん。僕は君を――」
 現実で芹奈と本当の物語を紡ぐために、鳴海が一歩、芹奈へと近づいた。
 すると――。
「や、やめてっ。わ……私に構わないで下さいっ! 私に優しくしないで下さいっ!!!」
 芹奈が慌てて叫んだ。
「せ、瀬能さん……」
 その気迫に押された鳴海は、つい後退してしまった。
「や、やめて下さいよっ! そんなのは迷惑なだけなんですよっ! 私の事を思うんなら、私の中に入ってこようとしないで下さいっっ!!!」
「…………っ」
 つい反論しそうになった鳴海だが、それも踏みとどまって、ただ黙って芹奈を見つめていた。
 そして胸に溜まっていたものをぶちまけたのだろう、芹奈はようやく冷静になったのか――しまったという風に視線を彷徨わせて、
「……す、すいません。私としたことが、声を荒げてしまいました……すごく、かっこ悪いです。得たいも知られてしまったし、底も見られてしまいました」
 彼女は気まずい感じに顔を背けた。
 普段感情を表に表さない芹奈なだけに、彼女は鳴海以上に動揺していて、後悔しているようだった。
「瀬能さん。……ううん、謝ることはないよ。それに全然、かっこ悪くない」
 鳴海はそれを見て、たじろいでしまったけど、同時に……少しだけ嬉しかった。
 芹奈が自分に本心を見せてくれたというか、芹奈も普通の人のように怒る時は怒るんだと分かった事とか……とにかく鳴海は嬉しかった。
「分かったよ。僕はもうそれ以上は何も言わないよ。出過ぎた真似だったね……ごめん」
 だから今日は芹奈の感情が高まる場面を見られただけでもよしということで、鳴海は素直に引くことにした。
「……私の方こそ、すいません。そして、ありがとうございます。そうしてくれると助かります」
 芹奈は申し訳なさそうに頭を下げて、所在なさげに立ち尽くしていた。
 その姿は捨てられた子猫のようで、放っておけなくて――鳴海は小さく笑って、できるだけ明るい声で言った。
「でもさ、瀬能さん。せめて僕と一緒に帰るくらいはしてくれてもいいだろ? 勿論、今日はもう演技はなしということでさ」
「……そ、それは」
 鳴海からの突然の誘いに、芹奈は躊躇する素振りをみせた。
「いいだろ? ほら、今日の演技も中止になってしまったから、一緒に明日の脚本も考えないといけないしさ」
「え、それはどういう……?」
 芹奈は目を大きく開けて、鳴海と瞳を合わせた。
「これからは僕にも台本作るのを手伝わせて欲しいって言ってるんだよ。これは2人の日常なんだから僕達2人で考えなくちゃね。いつまでも君にばかり考えさせるわけにはいかないよ」
 それに君1人に任せていたら、どんな展開になるか分かったものじゃないからね――と、鳴海は冗談めかして言った。
 上目遣いで不安そうに鳴海を見ていた芹奈は――やがて口元にほんの少しの微笑を浮かべて。
「……はい、分かりました。喜んで」
 芹奈は微笑んだ。
 その笑顔はいつものような仮面の笑顔ではない、普通の女の子の笑い顔だった。
 鳴海がずっと望んでいた、笑顔だった。
「それじゃいこっか、瀬能さん」
「はい」
 だから鳴海は安心して、芹奈と並んで学校の帰り道を歩き出した。



 そして鳴海が立ち去った後――川切はしばらくその場に立ち尽くしていた。
「やっぱり彼が……鍵なのか」
 鳴海の歩いて行った方向を見ながら呟き、そして――芹奈やアンナ達がいるであろう体育館の方を向いて。
「どうやら物語が加速してるのは確かなようで……それは彼が原因のようだね。これは会長さんがどんな顔をすることやら……さっそく報告しないと、ね」
 朗らかな笑顔を浮かべて、そして体育館に背を向けて足早にこの場から立ち去った。
「ああ……楽しいなぁ。すごく楽しいことになってきたなあ」


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