アクター×アウター 〜演じる彼女と目立たぬ彼女〜

第2章 演者

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 近頃夜になると、無差別に人の首を締めるという事件が立て続けに起こっていた。
 不幸中の幸いと言うべきなのか、未だに死者は1人も出ていないが、被害者はみな意識不明の重体で、証言をとることが不可能な状況で、そして犯人の目星は全くついていなかった。
 それがもう数日間毎日続いていて、千本ヶ谷学園の生徒達の間ではその犯人を『首絞めジャック』として呼ぶようになり、事件の噂はどんどん広まっていった。
 けれどそんな事件、自分には遠いものだとあまり感心のない鳴海は、それよりも瀬能芹奈の事で頭がいっぱいだった。
 鳴海が芹奈と人生を演じる契約を結んだ翌日の朝――。
 鳴海がいつものように学校に向かっていると、川原の傍に瀬能芹奈が立っているのを見つけた。
「おはようございます、鳴海さん」
 芹奈は鳴海の姿を確認すると、仮面のような笑顔を浮かばせて挨拶した。
 その近くでは、ヌートリアのヌーボーが故郷の草むらを走り回っている。
「お、おはよう瀬能さん……ところで、ここで何を……」
「あなたを待っていたんですよ」
 芹奈はあっさり答えながら、手に持っていたカバンからなにやら紙の束のようなものを取りだして、鳴海に手渡した。
「これは……?」
 鳴海の手に渡った紙の束。それは数十ページものA4の原稿用紙がダブルクリップで束ねられていて、何やら用紙には文字がびっしり書かれている。
「はぁ……もう忘れたんですか? 昨日言ってたじゃないですか。鳴海さんの行動を考えておくから明日楽しみにしておいて下さいって。とりあえず3日分はあります」
 つまりこれは――芹奈が一晩で書き上げた3日分の、鳴海が送る日常生活の脚本だった。
「う、うそっ! もう書いてきたのっ!? てか、まさか一日でこんなにたくさん……っ」
 鳴海は驚いて芹奈の顔を凝視した。
「それだけ頑張ったんです。だから、いきなりですけど鳴海さん。これを読んで実際に行動に移していきましょうっ」
 なんでもないように言う芹奈の瞳は、赤く充血していた。
 なんてバイタリティ。
「あ、うん……頑張っていきましょう」
 軽はずみに答えるべきではなかったと、鳴海は後悔していた。紙束の重さが、鳴海の心に重くのしかかる。やっぱ、や〜んぴ……なんて、いまさら断れるはずもなし。
「さあそれではさっそくですが……まずは練習として、今のこのシーンも書いておきました。鳴海さん。原稿を読みながらでもいいですから、頑張って下さい」
 いきなり演技をするようにサラリと要求する芹奈。
「……え? い、今っ? このシーンって……そ、そんないきなり言われても……っ」
 心の準備もできていない鳴海はさすがに躊躇する。すると芹奈は。
「ま、まさか鳴海さんっ……!? 私の努力を無駄にするつもりですかっ? 交わした契約を1日で反故にするんですか? やっぱり鳴海さんは私の体が目的だったんですか? そんなの私……悲しいですっ」
 芹奈は、本当に悲しそうに表情を曇らせた。それは仮面のような表情じゃない、ちょっと大げさに盛ってるところもあるかもしれないけど――まさしく芹奈の本物の感情だった。
 それは学校では絶対に見せないような顔だし、こんな顔をさせる為に鳴海は頑張ろうと思ったわけだから……。
「わ、分かったっ。分かったよっ。やるよ、やるからっ」
 鳴海は芹奈のためにも、ページを繰って現在のシーンを探した。
「あった。これか……って、瀬能さん……君はとっくに演技してたんだ……?」
 該当するページを見て鳴海は驚いた。
 さっき出会った時から芹奈がこれまで話していた台詞は、ほとんど原稿用紙に書かれていたものと同じなのだ。
「そ、それに……会話の展開もここに書かれているのと大差ないし……」
 原稿用紙に書かれた鳴海の台詞も、だいたいさっきまで鳴海が話していた内容とそう外れたものではなかった。
「エスパーかよ……それとも誘導尋問みたいな」
「簡単な予測ですよ。世の中の起こることの全ては、予め既に決定されている。この状況で私達がする話なんて、これ以外にないでしょう?」
「確かに……」
 しかも今の芹奈の台詞も原稿に、一言一句違うことなく載っていた。
「ほら、鳴海さん。演じて下さい。まずは読むだけでも」
 驚きと困惑が混じる顔で原稿用紙を見つめるばかりの鳴海に、芹奈が急かした。
「あ、う、うん……分かったよ。読むだけだったら……」
 鳴海は仕方なく台本を読みながら、自分の『日常』を開始した。
「せ……芹奈。僕はなんだかワクワクしてきたなあ……とっても楽しそうだよ。せ……芹奈と契約して正解だったよぉ」
 棒読みで自分の台詞をそっくりそのまま読んでいく鳴海。
 その際、瀬能芹奈のことを『芹奈』って呼ぶのが恥ずかしかったが、台本にそう書かれていたのだから仕方ないと自分に言い訳する。
「よかった……鳴海さんに喜んでもらえて……私、とても嬉しい。一緒に……頑張ろうね?」
 芹奈も役に没頭しているみたいで、芹奈の台詞を完璧にこなしている。一言一句全部暗記しているのは、素直にすごいと感心した。
「ああ。頑張ろう、芹奈。僕達……2人で」
 朗読しながら鳴海は――あれ? なんだか流れがおかしくなってきてないか? って思い始めていた。
 するとその時、芹奈が――おもむろに鳴海の体に抱きついてきた。
「な……なっっっ!!!??? なにをおおおお!!???」
 突然抱きつかれた鳴海は、ついつい役を忘れて驚きの声をあげた。
 だが芹奈はその間も鳴海の体に腕をまわし、彼の胸に顔を埋めていた。
 芹奈の体の柔らかさと暖かさが、直に伝わってくる。特に柔らかい2つのぽよぽよした感触が刺激的すぎた。
「なななななな……なにやってるの、瀬能さんっっ!?? こ、これはちょっとまずいんじゃ……っっ」
 鳴海はジタバタともがくけど、芹奈は離そうともせずに。
「これも脚本なんです。ほら……鳴海さん。続きをお願いします」
 芹奈が囁くように言って、声が振動となって、鳴海の体を伝わっていく。
「ででででもっ……」
 まさかこんな内容だったなんて予測していなかった鳴海。こんなことなら事前にもっと聞いておくべきだったと後悔する。
「ほら……鳴海さんが続けてくれないと、いつまで経っても先に進みませんよ。それとも……もうしばらくこのままでいたいですか?」
 鳴海の胸から頭を離した芹奈の顔は、意地悪そうに、妖艶な微笑を浮かべていた。
「……わ、分かったよ。や、やるよ。やればいいんだろ……」
 芹奈の蠱惑的な表情にドキリとさせならながらも、仕方なく、鳴海は続きの文章を朗読することにした。
「え、えーと……せ、芹奈」
 鳴海は再び原稿に目を落とし、続きを読んだ。
「……はい」
 芹奈は再び鳴海の胸に顔を埋めて、掠れるような声で一言いった。
 そして鳴海は、
「好きだ……僕は君を一生守りたい……って、えええええ〜〜〜〜!!!!????」
「幸せにして下さい、鳴海さん」
 うっかり鳴海が言ってしまうなり、芹奈がにっこり微笑んで鳴海の体から離れた。
「って、ちょっ……ちょっと待ってっ。これは――」
「鳴海さん。私のこと、守って下さいね」
 芹奈はもはや、鳴海のことお構いなしだった。その微笑みは、悪魔のようにも見える。
「いや、だからそれは……」
「私も好きですよ。鳴海さん……」
「って、違うってのおおおおお!!! や、やっぱり駄目だっ。こ、こんなに用意してもらって悪いんだけどっ……ぼ、僕にはできないよ。瀬能さんっ!」
 勝手にどんどん進めていく芹奈に、もう鳴海はついていくことができなかった。
「うふふ……もうキャンセルする事はできませんよ」
 芹奈は混乱する鳴海を小馬鹿にするようにウインクする。
「で、でも僕は――」
「ほら、あれを見て下さい」
 聞き分けの悪い子供を諭すように芹奈は、橋の影になっている草むらの方を指さした。
「え? あ、あれって……」
 鳴海はその先をよく目を凝らして見つめた。
 すると、ちょうどヌーボーが寝転がっている近くに、何かキラリと光るものを発見した。
「ビデオカメラですよ。今の一部始終を録画していました」
 鳴海が不思議に思っていると、芹奈は無慈悲に解説した。
「……んなっ!? んななななっっ!!!??」
 一部始終録音。今のやりとり全てを。盗撮された。
 意味を理解した鳴海は、どんどんと顔が蒼白になっていくのを感じた。
「えへへ……なかなかいい純愛ドラマができたと思います。『僕は君を一生守りたい……』かっこいいですね。これをクラスの人に見せたら、鳴海さんのファンが沢山できるんじゃないでしょうか?」
「なっ、なんてひどいっ!」
「契約を反故にしようとする方がひどいですよ。いいですか? あなたは、ただ台本に沿って私との日常を演じ続けてくれればいいのです。それだけで素晴らしい毎日が送れるのです」
「…………」
 愉しそうに語る芹奈の瞳に、鳴海はある種の狂気を感じた。反論する言葉が見つからなかった。ただ、無限の後悔だけがあった。
「台本、読み込んでおいて下さいね。次のシーンからはできるだけ暗記して挑んで下さい。読みながらではムードが台無しになるので禁物ですよっ。それでは」
 と言って、芹奈は緑の斜面を登ってどこかへ行った。学校とは別の方角だった。
 そして結局その日――芹奈が学校に来ることはなかった。


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