アクター×アウター 〜演じる彼女と目立たぬ彼女〜

第一章 開幕

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

3

 
 芹奈と西澤アンナのトラブルがあった後、特に事件なども起こらずに授業もつつがなく終わり、そして放課後になって――鳴海はまっすぐ帰らずに校門付近に立っていた。
 彼は今、ある人物を待ち伏せしていた。学校の中で彼女と話をすると、余計な事態を招きそうな事は鳴海にも分かっていた。だから彼は、学校の終わる時間、学校じゃない場所で話そうと、わざわざここで待っていた。
 今日はやたらと風が強い日だった。きっとこの風に乗って夏がやって来るのだろう――鳴海はなんとなく思った。
 鳴海が透きとおった青空を見上げて、そして再び視線を戻すと――鳴海のお目当ての人物が、まさに鳴海の前を通り過ぎて帰ろうとするところだった。
「や、やぁ瀬能さん」
 鳴海は慌ててその後ろ姿に声をかけた。
「……あら、鳴海さん。今日も学校、お疲れ様でした」
 鳴海に声を掛けられて振り返った瀬能芹奈は、仮面を被ったような笑顔で恭しく頭を下げた。
 今日あった出来事もまるで最初からなかったように、平然としたニコニコ顔を鳴海に向けていた。
 鳴海はこの瞬間気付いた。そういえばこうして芹奈と面と向かって話をするのは、あの雨の朝の時以来初めてだということに。
「あ、あー……瀬能さん。クラスメイトなんだし、そんな畏まった態度とらなくてもいいよ」
 その、どこか人を寄せ付けない態度が、みんなから嫌われるのじゃないかと鳴海は思った。
 初めて会った時の彼女はもっと自然な笑顔で、きっと誰からも好かれそうなものだった。
 まずは心のバリアを解いてくれれば、きっと彼女はクラスのみんなとも馴染めるはずなのだ、と鳴海は思っていた。
「はい……そうですね。すいません」
 芹奈は眉をひそめて言ったが、その顔は何の反省も伺えないくらい変わってなかった。
 ――なかなか骨の折れる作業だ、と鳴海は思った。
「それでは鳴海さん、さようなら」
 芹奈は頭を下げて、歩き始めた。
「って、ちょっと待ってよ、瀬能さんっ! 淡泊だな!」
 あっさりすぎる芹奈を、鳴海は慌てて引き止めた。
「はい? まだ何か用でしょうか?」
 芹奈はピタリと足を止めて鳴海を見る。つぶらな瞳は小動物のようだった。
「あ、え、と……用というものもないんだけどさ……」
 もともと用なんてなかったので、止めたはいいもののどうすればいいか分からない鳴海。
「なにもないんですか? だったら引き留めないでください。私はこう見えても忙しいんです。それでは失礼しま――」
 忙しくない人間に限って言う台詞を言って、踵を返そうとした芹奈に鳴海は――。
「いや、ある! あるよっ! そ、そう! そういえば瀬能さんっ。あ、あのネズミ……カピバラ……じゃない、えと……」
 数少ない共通の話題を思い出した鳴海は、慌てて話を振った。
「ヌートリアの事ですか?」
 と、振り向き様に答えた芹奈の顔は――どことなく嬉しそうで、自慢げだった。
「そうそうっ、ヌートリアの……」
「ヌーボーです」
「そうっ、ヌーボー。あれから体調はどう?」
 手応えを感じた鳴海は、チャンスとばかりに話を繋げていく。
「残念ですが……」
 と言葉を濁らせた芹奈。
「えっ……うそっ……」
 鳴海の表情は一気に暗くなった。芹奈は口を開けて、告げた。
「ぴんぴんしてます」
「元気なんかい! まぎらわしいわ!」
「えへへ。おかげさまですっかり元気になりましたよ。あ……ほら、噂をすれば丁度そこに」
 芹奈が指を差して、鳴海がそちらの方に顔を向けると――。
 チョコチョコと茶色い、ぬいぐるみみたいなのが近づいて来た。
「ま、元気ならよかったよ……って…………来ちゃってるのかよっ!」
 まさにあの時みたヌートリア。ヌーボーだった。体も洗ったりなんなりしてあって、前見た時よりも随分綺麗になっている。
「ていうか、学校に連れて来ちゃまずいんじゃあ……」
「連れてきてはいないですよ。自分から勝手に散歩してるだけです」
 そう言って芹奈はヌーボーを抱きかかえた。
 下校中の生徒達がヌーボーに好奇の目を向けている。
「それは屁理屈というものだよ瀬能さん……うん、これは見つかったらやばいな。普通にペットの扱いだもん……仕方ない」
 鳴海は今の状況を理解して、芹奈の手をとった。
「なにをするんです? もしかして誘拐?」
「違うよっ! ここじゃ目立つから人目のつかないとこに逃げようとしてるだけだよ! 教師に見つかったら大変な事になるよっ!?」
 とりあえず鳴海は、芹奈を連れて足早に学校を離れた。
「あらあら、元気いいですね。そんなに慌てると転んでしまいますよ」
 片手でヌーボーを抱いた芹奈は、鳴海に手を引っ張られながらのんびりした声で言う。
「いや、なんていうか……瀬能さんはもう少し周りの目を気にした方がいいと思うよっ」
 人目を気にしないといけないのは自分もか――と思いながらも鳴海は繋いだ手を放さずに、芹奈の方を振り向かないまま小走りに進んだ。
 ほどなくして、人気の少ない公園まで来ると、鳴海は少し息を切らしながら芹奈を見た。
「はぁ、はぁ……とりあえずここなら人がいなさそうだけど……」
 学校終わりの時間帯なのに、人のいない公園ていうのも寂しい気がするよな――と鳴海はふと思った。
「それで……周りに人がいないところに強引に連れてきて、どうするつもりですか……まさか」
 鳴海とは対照的に、息一つ乱さずに芹奈は淡々と問い詰めた。
「いやいやっ、あなたが何を考えているのか分からないけど、僕にやましい気持ちは全くないからねっ? と、とにかく、瀬能さん。僕が言いたいのは、もう少し他の人の事を意識した行動をだね……」
「すいません。私、あまり他人には興味が持てないもので。他人に興味を持つ事は、自分の価値観を下げることなので」
「下げるって……」
 そんな身も蓋もない持論をきっぱり言われると、鳴海もどう答えていいか分からない。
「それよりも鳴海さん。1つ尋ねてもよろしいでしょうか?」
 と、いつの間にか主導権を握った芹奈が指を一本立てて言った。
「いいけど……なに?」
「どうしてあなたは私の事を気に掛けるんです?」
 芹奈の表情は蠱惑的で、その目は鳴海の事を見通していそうなものだった。
「ど、どうしてって、それは……えと……」
 ズバリ言われて、思わず鳴海は言葉に詰まった。その理由は、自分でもよく分からないのだ。
 鳴海が答えに困っていると、芹奈が声をあげた。
「1つ忠告しておきますけど……あまり私と関わりにならない方がいいですよ。それがあなたの為です。単にあなたの価値観が下がるから、という意味で言ってるのではなく……むしろあなたがやっているのは自殺だからです」
「…………」
 鳴海は何も言えなかった。そんなことないと、あるいはそんなこと気にしないと言うべきところなのかもしれないが、鳴海は何も言えなかった。
 でも鳴海は、芹奈から目を背けることをしなかった。自殺だとしても、芹奈から逃げることができなかった。
 芹奈は芹奈で、鳴海の真意を測るように、ただじっと瞳を覗き込んでいる。
 2人は牽制しあうように、しばらくお互いを見つめ合った。
 そして、先に口を開いたのは芹奈だった。
「……この前のこと、覚えていますか?」
 唐突な質問だった。
「え? それって……?」
 この前のことというのは、きっとあの雨の朝のことだろうが……芹奈が言わんとしていることが分からなかった。
「……契約ですよ。人生を素晴らしくする契約。日常生活を物語化させる契約」
「えと、確かそれって……人生を素敵にする方法ってやつか? 本気で……言ってたのか」
 芹奈が言っていた、いかにも電波的な話。
「私は嘘は吐きません。だからもう一度言います。私と……契約しないですか?」
「け、契約って……僕にいったい何をさせるつもりなんだ」
 鳴海はどうしても戸惑いを隠せなかった。得たいの知れない不気味さを感じた。
「物語を創るんです、そして自分の人生を物語に沿って演じるんです」
「も、物語……演じる……」
「ねぇ、世界は劇場のようなものなんです。自覚してるしてないに関わらず、人は自分を演じているんですよ。みんな舞台の上で生きているんですよ」
「さ、さぁ……そ、それはそうかもしれないけど……」
 雨の日の川原で初めて会った時のような、奇妙な話が再び始まった。
 確かに『自分』というものは、他人からどう思われているかによって、少なからず他人が思っているその、『自分』というものを演じてしまう。人は無意識の内に自分を創ってしまう。だから本当の自分なんてどこにもいないとも言える。
 でも、だからそれで芹奈の言いたい事が分かるかといえば……鳴海には何も分からない。
「人生は何が起こるか分かったもんじゃありません。一寸先は闇ばかりです。光などありません。残念ですが、現実というものは底が浅くつまらなくて味気ない世界です。毎日が事件の連続でもなければ、ライバルも敵も運命の恋人もいません。そんなもの、この世界のどこにも用意されてはないんです」
「そ、そりゃあ現実はゲームじゃないからな……ていうか、だからゲームは存在するんだけどな。現実逃避するために」
「逃避しているだけじゃいつか人生が虚しくなるだけです。それよりもいい方法があるんですよ。先程も言いましたが……人は自分を演じています。なら、自分が存在しない役割を演じればいいのです。どうせ人が人を演じているのならば、あらかじめ役目を全て決めていればいいのですよ。自分で一寸先を照らせばいいのですよ。誰も傷つかないように、みんなが楽しめるように、お互いに打ち合わせをして生きていけばいいのですよ」
「う、打ち合わせ……ってなにを」
 鳴海は芹奈の気迫に、ただ圧倒されている。
「行動の全てですよ、日常生活事細かく。劇を演じるように予定通りの生活をするのです! だったらお互いの間に摩擦は生じませんし、むしろよりエンタメティックに、よりドラマティックに、より刺激的な人生が送れるというものです」
「ま、まさか……そんなのただのお芝居じゃないか。フィクションじゃないか」
 暮らしの全てが作り物。荒唐無稽だ。こんなことをして何が楽しいのか。全部、偽りの中で暮らしていかなければならないなんて、それはどんなに苦痛なことなのだ。
「鳴海さんの気持ちも分かります。ですが、そもそも私達のこの現実が虚構じゃないなんて確信をもって言えますか? 私達の人生もお話の中のものにしか過ぎないのです。全て虚構ですよ。誰かが私達を観察してるんですよ。どうせ虚構なら、だったらよりフィクションらしい人生を歩む方が面白いに決まってるじゃないですかっ。フィクションは人から見られるものであってこそフィクションなのですから!」
 芹奈はいつになく感情を剥き出しにして熱っぽく語る。芹奈がこんな風に感情的になっている姿を見るのは、初めてだった。
「でも全部日常の生活すべてを打ち合わせするなんて……そんな馬鹿げたこと」
「ですがその馬鹿げたことで……まるで映画のような、まるでドラマのような、まるでアニメのような人生が送れるというものですよっ。人が憧れた理想の世界がそこにあるんですっ。現実の世界としてっ。ああ、それはなんて素敵なことなのでしょうかっ!」
 芹奈は恍惚とした表情で、脳髄がどこか遠いところに旅立っているようだった。
「理想の世界……ねえ」
 あらかじめ決められた通りに日常が進むなら、確かに自分達で自由自在に現実をねじ曲げることができる。自分が望むようなシナリオにすればいい話なのだ。芹奈が言ってる事は分かる。
「理想の現実を手に入れる為に私達がやることはいたって簡単です。前もって私達で考えた台詞で、日常生活を演じればよいのです。時には壮大なイベントも必要ですから、刺激的なシナリオを挟んでいくのも素敵です。ね? これほど素晴らしい日常、ないでしょう?」
 芹奈は、身振り手振りを交えて大げさに語る。クラスメイトが今の彼女を見たらどう思うだろうか……。
「どうですか、鳴海さん」と、芹奈は鳴海の瞳をじっと見つめて彼の答えを待つ。
 芹奈のその顔には、期待の色と、そしてまるで鳴海にすがるような儚さと寂しさを感じた。だから、鳴海は決心した。
「……わかった。やるよ」
「え……ええっ!? ほ……ほんとですかっ!?」
 芹奈自身、鳴海の言葉が意外だったように、目を丸くして顔を輝かせた。
「ああ。退屈な毎日が面白くなるなら、それもいいかなって」
 鳴海はなんとなく恥ずかしくなって、芹奈から視線を逸らしながら答える。
「そう言って期待させといて、実は私の体が目当てとかじゃないですよねっ!?」
「いや、僕はそんな酷い人間じゃないよ! ていうか僕をどんな風に見てるんだ!」
「転校して来たばかりで友達のいない寂しい少年が、性のはけ口を見つけた」
「僕はそんな野獣じゃねえ!」
 鳴海が強く否定すると、芹奈はようやく納得したように嬉しそうに。
「そっ、そうですか。えと、そ、それじゃあいきなりだと鳴海さんもどうすればいいか分からないと思いますしっ、まずは私が鳴海さんの日常を考えてきますから、とりあえず明日楽しみに待ってて下さいねっ」
 芹奈は興奮した様子で話を進めて、1人ではりきっていた。
 鳴海はその姿をどこか遠くを見るように眺めていた。
 正直いうと、鳴海はなぜそんな契約を結んだのかよく分からなかった。
 だけど……1つ、確かなことがあった。
 この話をしている時の芹奈の表情は、生き生きしていて、とても楽しそうだったのだ。
 だから鳴海は、それをただ絶やしたくなかった。教室では無表情の彼女が、こうすることで笑顔になってくれるなら。
 ただそれだけなのだ。
 気付けば日はすっかり傾き、オレンジに染まった公園の遊具が、やけに儚く鳴海の目に映った。


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