アクター×アウター 〜演じる彼女と目立たぬ彼女〜

第一章 開幕

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2

 
 鳴海が千本ヶ谷学園に転校して数日が経過した。
 ようやくクラスメイト達からの興味の熱も冷め、学校にも馴染んできた。
 だが鳴海はいまだに――芹奈と会話を交わしていなかった。あの雨の日の朝を除いて。
 クラスメイト達が鳴海を見ていたのと同じように、その間、彼は瀬能芹奈のことを見ていた。
 芹奈は授業に出ないことも多かったが、教室にいる時はチラチラと芹奈の事を伺っていた。鳴海はそれで分かった事がある。
 五反田圭から聞いたとおり、確かに彼女は笑っていた。いつもニコニコと、大して面白い状況でもない場合でも、だ。
 そして、やはり五反田が言っていたことを裏付けるように――クラスメイトの誰もが彼女に話しかけようとしなかった。
 まるで彼女はそこにあってそこにいないような。もしかしたら普通の人間には見えないのかもしれないと思えるくらいに彼女の存在は希薄すぎて。
 だけど、唯一彼女の存在にスポットライトが当たる場面があるとするのなら。それは――。
「……きゃっ!」
「あ〜ら。ごめんなさい、瀬能さん。まさかそこにいるとは思わなくてぇ」
 芹奈の短い悲鳴と、わざとらしい不愉快な声が聞こえて鳴海が顔を向けると――そこには制服を水で濡らした瀬能芹奈と、クラスメイトの西澤アンナが立っていた。
「あたし、てっきり瀬能さんは学校をお休みになってるとばかり思っていたから……まさかもう来ているとは思いませんでしたわぁ」
 表面上だけ申し訳なさそうな顔をしている西澤アンナ。しかしその表情には陰湿な笑顔が混じっていた。手にはミネラルウォーターのラベルが貼られたペットボトル。
 どうやら西澤アンナが瀬能芹奈に水をかけたみたいだけど……やって来たばかりの鳴海にだって分かる。――故意にやったに決まってる。
 瀬能芹奈は一部の生徒達からイジメられていた。
 特にこのクラスの中で芹奈に対してやたらと陰湿に責め立ててくるのが、西澤アンナ――どこかの社長の一人娘で、いわゆるプライドの高いお嬢様である。
 ロールした金髪と長いまつげが特徴の彼女は、「あーあ、あたしにまで水がかかりましたわ〜」と、まるで自分が被害者のような口調で言った。
 周りにいる者達は、まるで何も見えてないといった風に誰も感心を寄せていない。
 鳴海は何よりも、クラスのこの空気が不気味だった。だから彼も助けにいくことに、どうしても躊躇してしまう。つまりは彼も加害者なのだ。
 ――この教室はとても気分が悪くなりそうな空間だった。それでもくすんだ空気の中心にいる芹奈は。
「いいんですよ、お気になさらないでください。えへへ」
 ニコニコと微笑を浮かべて西澤アンナの非道を許した。
 その笑顔には感情が感じられなかった。その笑顔はまるで、こんな小さくて下らない出来事は取るに足らないことで、西澤アンナの存在も含めてどうでもいいというような――そんな笑顔に見えた。
「……ちっ。なんなのですかっ、そのヘラヘラした笑いは……っ」
 西澤アンナも鳴海と同じような印象を感じ取ったのだろう、瀬能芹奈に対して激昂する。アンナはビンタでもしそうな勢いで芹奈に詰め寄った。
 イジメというよりもむしろ芹奈は恐れられているのだ――と、鳴海にはそう思えた。そして、それはより悲しい事かもしれないと思った。
「…………っ」
 だから鳴海はもう、黙って見ていられなかった。席から立ち上がってアンナを止めようとした――けれど、その時。
「どうしたんだね、君達?」
 凛と、よく通る、爽やかな声が響いた。
 出鼻をくじかれた鳴海は、何事かと声のした方向を見た。
 教室の入り口に、2人の生徒が立っていた。
 ネクタイの色から共に2年生らしい、男子生徒と女子生徒。
「たまたまそこを通りかかったら、この教室の中からやたらと騒がしく不穏な気配を感じたから来てみると……何やらトラブルみたいだね」
 手前に立っている男子生徒が爽やかな声で、本を朗読するかのように言う。
 今まで西澤アンナと瀬能芹奈に関心を寄せてなかったクラスメイト達の空気が変わった。
 女子達からは、男子生徒に対する黄色い声。
 そして男子達からは、女子生徒に対する感嘆するような声。
 鳴海の前の席に座っている五反田も。
「はぁ〜。相変わらずあの2人が並んでいる姿は絵になるよなぁ〜」
 見とれながら、ため息を吐いていた。
「なぁ五反田……あの2人って有名人なのか?」
 クラスの空気が大きく変わる程のあの生徒達は何者なのだろうと、鳴海は気になった。
 すると鳴海の質問に対して五反田は一瞬、何を言ってるんだお前、みたいな顔をしたが、すぐに納得した顔をして。
「ああ、そっか。転校してきたばかりだから仕方ないよな。男の方は奏上大賀(そうじょうたいが)って言って、この学園の生徒会長なんだ。ちなみに彼の後ろにいるのが副生徒会長の橘陽菜(たちばなひな)さん。綺麗だなぁ」
 ぽわ〜んと女子生徒にとろけた視線を向ける五反田。
「へぇ〜……そうなのか」
 五反田の説明を聞いて、鳴海はもう一度よく2人の生徒を観察してみた。
 なるほど。確かに2人は本当に高校2年生なのかという位に、周りの高校生達とは一線を越えた雰囲気を備えていた。
 容姿はハリウッドスター並みに整っていて、スタイルはファッションショーに登場しそうな姿。
 2人共長身で、奏上大賀という生徒会長は180cmを超えるくらいあり、副生徒会長の橘陽菜も180cm近い身長をしていた。
 なるほど。あれならスター扱いされるのも不思議じゃないな――と鳴海は思い。そして、なんとなく。鳴海は芹奈のことを思った。
 芹奈だって副会長に負けず劣らずの美少女である。それなのに一方は存在するだけでクラスの注目の的になる人気者で、一方は誰からも関心を向けられない日陰者。
 皮肉だよな――と、鳴海は虚しくなった。
 そうするうちに人気者の生徒会長、奏上大賀は西澤アンナと瀬能芹奈の元まで近づいていって――アンナと対面して言った。
「君は確か……ええと……」
 奏上は長い髪をかき分けた。
「あ、アンナです……西澤、アンナです」
 アンナはぽわわんと虚ろな瞳で奏上を見上げていた。その瞳は他のクラスメイト達が生徒会の2人に向けるものと変わらない。
「そうかアンナ君。そして――瀬能芹奈くん」
 と、奏上が芹奈を見た。
 芹奈は――。
「私の名前を覚えていてくれて光栄です、生徒会長さん」
 と、先程までとなんら変わらず、ニコニコと笑顔を浮かべながら言った。
 その時鳴海は、アンナが悔しそうに顔を歪めたのを見逃さなかった。
 芹奈を見つめる奏上はしばらく黙ったまま固まっていた。奏上大賀は、明らかに芹奈に対して何らかの感情を持っているようだった。まるで何かを言いたそうな顔だった。しかし彼は再び西澤アンナに向き直って。
「……ところで何があったんだい。よかったらオレに聞かせてくれるかな」
 と、爽やかに微笑んだ。
「あ、いえ……その。あたしはただ、ちょっと瀬能さんと些細なトラブルを起こしただけで……わざわざ奏上さまのお手を煩わせるような事じゃありません。ね、ねえ、そうですわよね? 瀬能さん」
「まあ、そうですね。確かに……とっても些細な事です」
 アンナは動揺しながら、芹奈はいたって平然と答えた。
「そうか。ならいいんだが……同じ教室で学ぶ者同士なのだから、仲良くするようにな」
 奏上はまるで演劇の役者みたいな感じにポーズをつけて言った。
 鳴海はなんとなく、奏上の事が好きになれそうになかった。
「奏上大賀さま……。は、はい。奏上さまがそう仰るのなら……」
 西澤アンナは彼が来るまでとはうって変わったしおらしい態度で、素直に頷いていた。
 その横で、芹奈はただ笑顔を浮かべているだけだった。
 アンナの態度や、奏上の行動も、そしてこのクラス全ての人間に対して嘲笑っているかのようだと――鳴海は思ってしまった。
「そ、奏上さま……」
 奏上大賀に惚れているらしい西澤アンナ。鳴海が後で五反田に聞いたところ、「入学したばかりの頃から奏上先輩一筋らしくて、他の生徒会メンバーは名前もうろおぼえみたいだぜ。信じられないぜ」と、なぜかそんな情報を知っていた。
「それじゃあさようなら、西條アンナさんに……芹奈くん」
 奏上大賀が芹奈に視線を送り、そして2人に背を向けた。
「はい……さようなら。奏上さま」
 ぽけーっと、西澤アンナはただそこに立ち尽くして、奏上の背中に熱い視線を送っていた。
 そして奏上は教室を後にして、副生徒会長の橘陽菜の元へ戻った。
「…………ふっ」
 副生徒会長であるらしい橘陽菜は、まるで無関心そうな瞳で教室の中の鳴海達を一瞥すると、興味を失ったようにそっぽを向いた。結局鳴海は、彼女の声を一言も聞くことがなかった。
 生徒会長と副会長は、廊下にいる生徒達の歓声を受けながら去って行った。
「……すげーよな、生徒会長と副会長。なにしろ生徒の支持率100%らしいからな。俺達には高嶺の花だろうな」
 ようやく教室がいつものような平静を取り戻した時、五反田が鳴海に話しかけた。
「ああ、そうだな……」
 だけど鳴海は、今の2人の事はそれほど頭に入ってなかった。
 クラスの人間みんなが生徒会の2人について話している間、鳴海は1人、じっと瀬能芹奈の事ばかり考えていた。
 だから鳴海はその違和感に気付くことができた。芹奈の顔は……まったくの無表情だった。
 嫌がらせされていた事も、助けて貰った事も、全てが予定調和の茶番であるかのような、まるで自分が全くの無関係であるとでも言いたげでもあった。
 確かにいるのに、ここに自分がいない――鳴海はなぜ彼女がクラスの中で浮いているのかようやく理解することができた。
 しかし同時に、瀬能芹奈と仲良くしたいという気持ちにもなった。これがどんな感情から表れたものか分からないが――これだけはハッキリしている。
 芹奈と初めて出会った時に見た彼女の笑顔は、間違いなく本物だったと思うし――その顔はとても可愛かったのだ。
 だから彼は思った。今日の放課後、彼女に思い切って声をかけてみよう。


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