アクター×アウター 〜演じる彼女と目立たぬ彼女〜

第一章 開幕

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 瀬能芹奈(せのうせりな)は変わっている。
 彼女はいつもニコニコしていて、一見すると愛想がいいように見えるのだが――異常なのは、そのニコニコを絶やさないところである。
 他人に怒られている時も、悲しい場面も、およそ笑顔が不必要なシーンであっても、常に笑顔を振りまいているのだ。
「――それで鳴海。瀬能さんの事を聞いてどうするつもりだ? いくら顔が可愛いからって……彼女はあまりお勧めできないぞ」
 鳴海の前の席に座る男子生徒は、瀬能芹奈について一通りの説明をすると、お手上げのポーズをとって言った。
 彼は鳴海のクラスメイトの五反田圭(ごたんだけい)。鳴海が転校して早々話しかけてきた人物で、まだ知り合ってから数時間ほどしか経たないが、鳴海は彼が自分とウマの合う人物なのだろうなと早くも予感していた。
「お勧めできないってのは、どういう意味? 何か理由があるの」
 鳴海が聞いた。
「ああ、彼女はなんていうか本心が分かんないんだよなぁ。人当たりはいいけど、人付き合いはできないっていうのかなぁ。見た目はいいけど彼女と深い仲になるなんて相当難しいぞ」
 ペラペラと話す五反田。まるですっかり親友同士みたいなフランクリーな態度だ。
「そ、そうか……で、どの辺が駄目なんだい?」
 人見知りするタイプの鳴海は、ちょっとまだ五反田に対して遠慮がちになってる。
「うぅん。何が駄目って具体的に言われても難しいだけど……敢えて言うなら、彼女には現実感を感じられないんだよなぁ。嘘っぽいっていうか」
「現実感……嘘っぽい……」
 五反田の言葉に、瀬能芹奈と出会った時の風景が鳴海の頭に浮かんだ。
「ところでなんでお前、そんなに彼女の事が気になってる? なかなか目の付けどころが違うというか」
 鳴海が今朝の出来事に思いを馳せていると、五反田が冗談めかして言った。
「い、いや……特に深い理由はないんだ。ただちょっと、遅れてきたから気になって」
 鳴海はごまかすように言うと、五反田は。
「でも……悪いことは言わない。あまり瀬能芹奈には関わらない方がいいぞ」
 まるで腫れ物を扱うように、瀬能芹奈はクラスのタブーであるかのように、渋い顔をした。
 いや、だけどあるいは本当に――瀬能芹奈はこのクラスにとっての腫れ物なのかもしれない。
 そう――瀬能芹奈という人物は、鳴海葉鍵が今朝登校途中に出会ったヌートリア少女の事であった。

 ――それというのも話は鳴海葉鍵がこの学校に来たばかりの頃……数時間前に戻る。
 朝。なんとか遅刻せずに学校に着いた鳴海は、クラスメイト達の好奇の目に晒されながら自己紹介を済ませて、慣れない時間を過ごしていき――そしてついさっき、4時間目の授業中。昼休みに入る10分前に、教室に入ってくる女子生徒を見た。
 それが、瀬能芹奈――今朝出会ったヌートリア少女だった。
 芹奈を見た鳴海は、今朝の少女がまさかクラスメイトだと思わなかったので驚いたが――それよりももっと奇妙な違和感を感じた。
 それはクラスメイト達の反応。芹奈が教室に入って来ても誰も何も言わなかったし、気にもとめなかった。
 それは教師にしても同じ事だった。遅刻してきたはずの芹奈に対して何のお咎めもなく、まるで誰も芹奈の存在に気付いていないようだった。
 そして何よりも驚いたのは彼女の顔。別に楽しい事があるわけでもないのに彼女は、教室の中でずっと笑顔の表情を浮かべていた。ニコニコと1人で。
 不気味な光景だった。この瞬間が訪れる前はごく普通の教室だった。転校生に対してみんなが注目して、休み時間になったら話しかけてくるという当たり前の風景。
 その当たり前が瀬能芹奈の登場によって変わったのだ。非日常の世界。現実感を喪失した空間。異常なのは周りの人々なのか、それとも彼女か、はたまた学校にあるのか……何もかも分からないが、確かな事が1つあった。
 それは、鳴海葉鍵が瀬能芹奈に並々ならない関心を持ったこと。
「…………」
 鳴海は、教室の隅の席に座っている瀬能芹奈を観察した。
「…………ふふ」
 すると、鳴海の視線に気付いた芹奈は、笑顔のまま意味深な吐息をついた。
 彼女がずっと保っている笑顔は、雨降る川辺で出会った時のものとは全然違っていた。
 鳴海は思わず、ぞっとした。
 瞬間――すぐに授業終了を告げるチャイムが鳴って、昼休みに入った。
 瀬能芹奈はすぐに席を立って、教室を出ていった。
 それをぼんやりと見ていた鳴海は、五反田に呼び掛けられて意識を取り戻した。
 そして鳴海は、五反田に瀬能芹奈について訊きだした。


 五反田から瀬能芹奈について色々聞いた後、授業中に見た瀬能芹奈の表情を回想してボーッとしていると、やがて昼休み終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
 その音で鳴海は回想から現実へ引き戻され、そして教室の中を見渡した。
 徐々に教室へと戻ってくるクラスメイト達。
 しかし、瀬能芹奈だけがいつまで経っても戻ってくる事がなく、とうとう午後の授業が始まっても戻って来なくて――結局その日、瀬能芹奈が教室に戻ることはついになかった。
 そして鳴海葉鍵の転校初日はこうして終わり、彼の中には転校したばかりの不安や緊張なんてものよりも……ただ瀬能芹奈の事で頭がいっぱいだった。



 ――ちなみに。
 後に『首締めジャック』と囁かれ、恐れられる最初の通り魔事件が起こったのも、丁度その日の夜からだった。
 『首絞めジャック』。毎日夜になると現れる、無差別に人の首を絞めて回る正体不明の怪人。
 初の被害に遭ったのは会社員の女性で、仕事帰り1人で歩いていたところを襲われたものだと考えられている。犯行現場を目撃した者はいない。
 たまたま通りがかった男性が通報して女性は近くの病院に運ばれたが、未だ意識が戻らず重体の状態だという。
 そして――犯行現場は、人通りの少ない道路沿いの川だった。
 そこは、鳴海葉鍵が瀬能芹奈と出会った場所だった。
 それは全部、鳴海がこの町に来た日――瀬能芹奈と出会った日に――始まった出来事だった。


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